あなたが運命の番ですか?
主役への抜擢
テスト期間が終わり、夏休みまで残り1週間となった。
ある日の放課後、演劇部の部室へ行くと「星宮さん、ちょっといいかな?」と部長に呼ばれた。
「はい、何でしょうか?」
「文化祭で披露する『猪三郎物語』のことなんだけど――」
テスト期間後の部活再開の今日から、演劇部は9月下旬の文化祭に向けて準備を始める。
演劇部は、今年も恒例の「猪三郎物語」を披露する予定だ。
「星宮さんに、小十郎役をやってもらいたいんだ」
「えぇっ!?」
アタシは部長からの突然の申し出に、仰天する。
小十郎って、主人公・猪三郎のライバル・天津小十郎のこと?
「えっ!?な、何でアタシなんですか!!?」
アタシは困惑する。
役者のオーディションは夏休みに入ってから行われる予定だし、宝月学園演劇部の「猪三郎物語」の小十郎は主役の1人だ。
そんな大役を、どうして1年生のアタシに?
「実はね、うちの演劇部にはベータ男性版の小十郎と、アルファ女性版の小十郎の2種類の脚本があるんだ」
「えっ、アルファ女性?」
「そう。聞いたことない?小十郎が日本最古のアルファ女性だったっていう説」
天津小十郎が日本最古のアルファ女性説――。
それは、「織田信長が本能寺の変を生き延びていた説」や、「松尾芭蕉の正体が忍者説」などに等しい珍説だが、歴史好きの間ではロマンとして語られている噂だ。
小十郎は腕の立つ剣士であったが、その容姿は女性のように線の細い美男子で、常に厚着で肌を見せるのを嫌っていたという。
さらに、小十郎は幼い頃病弱で医者からは「10歳になる前に亡くなるだろう」と言われていたが、10歳を過ぎてから病を克服し、丈夫な体になった。しかし、その代わりに小十郎が10歳の時に、2歳上の姉・おふくが急死した。
こういった背景から、本物の小十郎は10歳で亡くなり、亡くなったとされている姉のおふくが小十郎に成り代わったという噂がまことしやかに囁かれているのだ。
また、小十郎が剣豪で、周りの男性たちに引けを取らない身体能力を持っていたことから、日本最古のアルファ女性だったのではないかと言われている。
加えて、本物の小十郎が亡くなった時、おふくは12歳で第二次性徴期を迎えていたはずだ。おそらく、バース性の概念のなかった当時、両親はおふくのことをその身体的特徴から「半陰陽者」として扱ったのだろう。
武士の家系で跡取りとなるはずだった息子は亡くなり、残った娘は身体的に疾患があるとなれば世間から白い目で見られる上、婿を迎えることもできない。
小十郎たちの両親は全てを隠すために、おふくを小十郎に成り代わらせたのではないか、と言われている。
「今回は、アルファ女性版の小十郎でやってみようと思うんだ。アルファ女性版・小十郎の脚本のほうは、もう10年以上披露していないんだけど、俺はこっちの脚本のほうが好きなんだよね。だから、このまま眠らせておくのも勿体ないし……。アルファ女性の小十郎を披露するなら、やっぱり星宮さんに演じてもらいたいと思ってるんだ」
「は、はぁ……」
「猪三郎伝説」に関する創作物の中には、小十郎がアルファ女性だった説を基にした物もいくつかある。
昭和の名作映画の中にも、アルファ女性の小十郎に焦点を当てた作品が存在する。
「ア、アタシなんかにそんな大役が務まりますかね?」
アタシは弱気な感じで尋ねる。
「大丈夫だよ。星宮さんの演技力はエチュードで散々見てきたし、何よりも星宮さんにはスター性があるからね」
「そ、そうですか……」
気合の入った部長の圧に、アタシは推し負けてしまう。
正直、アタシの演技力がどうこうというよりも、アタシがアルファ女性だから抜擢されたような気がする。
「そんなに弱気にならなくても大丈夫だよ、星宮さんなら絶対上手くいくから。それに、困ったことがあったら俺や他の先輩たちに何でも相談していいし、猪三郎役の前園くんだって相談に乗ってくれるだろうし」
「――ん?猪三郎役って、前園先輩なんですか?」
「あれ?まだ聞いてない?猪三郎役は、去年からの続投で前園くんだよ」
部長はあっけらかんとした様子で語る。
ん?去年からの続投――?
「えええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!?????」
アタシはあまりの衝撃に、思わず悲鳴を上げた。
その瞬間、部長は驚いた表情でビクッと身体を震わせ、周りにいた他の部員たちが一斉にこっちを見てきた。
アタシはすぐ我に返って、「すみません……」と周囲に頭を下げる。
「きょ、去年、猪三郎を演じてたのって前園先輩なんですか!?」
アタシは、去年観た猪三郎物語の記憶を何とか手繰り寄せる。しかし、その舞台に立っている猪三郎が前園先輩と同一人物とは、どうしても思えない。
「えっ?知らなかったの?まあ、無理もないか。普段と違って眼鏡かけてないし、背筋も伸ばして漢らしい感じだからね」
部長はケラケラと笑う。
本当に、あの猪三郎を演じてた部員って、前園先輩なんだ……。
「前園先輩って、あんなに演技が上手い人なんですね。その……、いつもエチュードをやっている時は、あんまり前に出ようとしない方なので……」
アタシは入部してから今まで、前園先輩の演技をちゃんと見たことがない。
それも相まって、あんな素晴らしい演技をする役者が前園先輩であったことに驚いている。
「うーん、前園くんって台本があれば完璧に演じられる人なんだけど、アドリブはどうも苦手みたいでね。だから、エチュードの時は黙っちゃうことが多いんだ」
部長の話を聞いて、アタシは「なるほどな」と納得した。
――アタシ、あの猪三郎役の人と話してみたかったんですけど、あの人はもう卒業しちゃったんですか?
――ん゛んッ――!?
アタシは5月の前園先輩とのやり取りを思い返す。
件の猪三郎を演じていた役者が目の前にいるのに、それに気づかないアタシ――。
思い出すと、顔から火が出るほど恥ずかしい。
前園先輩も、自分から名乗り出てよ!
ある日の放課後、演劇部の部室へ行くと「星宮さん、ちょっといいかな?」と部長に呼ばれた。
「はい、何でしょうか?」
「文化祭で披露する『猪三郎物語』のことなんだけど――」
テスト期間後の部活再開の今日から、演劇部は9月下旬の文化祭に向けて準備を始める。
演劇部は、今年も恒例の「猪三郎物語」を披露する予定だ。
「星宮さんに、小十郎役をやってもらいたいんだ」
「えぇっ!?」
アタシは部長からの突然の申し出に、仰天する。
小十郎って、主人公・猪三郎のライバル・天津小十郎のこと?
「えっ!?な、何でアタシなんですか!!?」
アタシは困惑する。
役者のオーディションは夏休みに入ってから行われる予定だし、宝月学園演劇部の「猪三郎物語」の小十郎は主役の1人だ。
そんな大役を、どうして1年生のアタシに?
「実はね、うちの演劇部にはベータ男性版の小十郎と、アルファ女性版の小十郎の2種類の脚本があるんだ」
「えっ、アルファ女性?」
「そう。聞いたことない?小十郎が日本最古のアルファ女性だったっていう説」
天津小十郎が日本最古のアルファ女性説――。
それは、「織田信長が本能寺の変を生き延びていた説」や、「松尾芭蕉の正体が忍者説」などに等しい珍説だが、歴史好きの間ではロマンとして語られている噂だ。
小十郎は腕の立つ剣士であったが、その容姿は女性のように線の細い美男子で、常に厚着で肌を見せるのを嫌っていたという。
さらに、小十郎は幼い頃病弱で医者からは「10歳になる前に亡くなるだろう」と言われていたが、10歳を過ぎてから病を克服し、丈夫な体になった。しかし、その代わりに小十郎が10歳の時に、2歳上の姉・おふくが急死した。
こういった背景から、本物の小十郎は10歳で亡くなり、亡くなったとされている姉のおふくが小十郎に成り代わったという噂がまことしやかに囁かれているのだ。
また、小十郎が剣豪で、周りの男性たちに引けを取らない身体能力を持っていたことから、日本最古のアルファ女性だったのではないかと言われている。
加えて、本物の小十郎が亡くなった時、おふくは12歳で第二次性徴期を迎えていたはずだ。おそらく、バース性の概念のなかった当時、両親はおふくのことをその身体的特徴から「半陰陽者」として扱ったのだろう。
武士の家系で跡取りとなるはずだった息子は亡くなり、残った娘は身体的に疾患があるとなれば世間から白い目で見られる上、婿を迎えることもできない。
小十郎たちの両親は全てを隠すために、おふくを小十郎に成り代わらせたのではないか、と言われている。
「今回は、アルファ女性版の小十郎でやってみようと思うんだ。アルファ女性版・小十郎の脚本のほうは、もう10年以上披露していないんだけど、俺はこっちの脚本のほうが好きなんだよね。だから、このまま眠らせておくのも勿体ないし……。アルファ女性の小十郎を披露するなら、やっぱり星宮さんに演じてもらいたいと思ってるんだ」
「は、はぁ……」
「猪三郎伝説」に関する創作物の中には、小十郎がアルファ女性だった説を基にした物もいくつかある。
昭和の名作映画の中にも、アルファ女性の小十郎に焦点を当てた作品が存在する。
「ア、アタシなんかにそんな大役が務まりますかね?」
アタシは弱気な感じで尋ねる。
「大丈夫だよ。星宮さんの演技力はエチュードで散々見てきたし、何よりも星宮さんにはスター性があるからね」
「そ、そうですか……」
気合の入った部長の圧に、アタシは推し負けてしまう。
正直、アタシの演技力がどうこうというよりも、アタシがアルファ女性だから抜擢されたような気がする。
「そんなに弱気にならなくても大丈夫だよ、星宮さんなら絶対上手くいくから。それに、困ったことがあったら俺や他の先輩たちに何でも相談していいし、猪三郎役の前園くんだって相談に乗ってくれるだろうし」
「――ん?猪三郎役って、前園先輩なんですか?」
「あれ?まだ聞いてない?猪三郎役は、去年からの続投で前園くんだよ」
部長はあっけらかんとした様子で語る。
ん?去年からの続投――?
「えええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!?????」
アタシはあまりの衝撃に、思わず悲鳴を上げた。
その瞬間、部長は驚いた表情でビクッと身体を震わせ、周りにいた他の部員たちが一斉にこっちを見てきた。
アタシはすぐ我に返って、「すみません……」と周囲に頭を下げる。
「きょ、去年、猪三郎を演じてたのって前園先輩なんですか!?」
アタシは、去年観た猪三郎物語の記憶を何とか手繰り寄せる。しかし、その舞台に立っている猪三郎が前園先輩と同一人物とは、どうしても思えない。
「えっ?知らなかったの?まあ、無理もないか。普段と違って眼鏡かけてないし、背筋も伸ばして漢らしい感じだからね」
部長はケラケラと笑う。
本当に、あの猪三郎を演じてた部員って、前園先輩なんだ……。
「前園先輩って、あんなに演技が上手い人なんですね。その……、いつもエチュードをやっている時は、あんまり前に出ようとしない方なので……」
アタシは入部してから今まで、前園先輩の演技をちゃんと見たことがない。
それも相まって、あんな素晴らしい演技をする役者が前園先輩であったことに驚いている。
「うーん、前園くんって台本があれば完璧に演じられる人なんだけど、アドリブはどうも苦手みたいでね。だから、エチュードの時は黙っちゃうことが多いんだ」
部長の話を聞いて、アタシは「なるほどな」と納得した。
――アタシ、あの猪三郎役の人と話してみたかったんですけど、あの人はもう卒業しちゃったんですか?
――ん゛んッ――!?
アタシは5月の前園先輩とのやり取りを思い返す。
件の猪三郎を演じていた役者が目の前にいるのに、それに気づかないアタシ――。
思い出すと、顔から火が出るほど恥ずかしい。
前園先輩も、自分から名乗り出てよ!