【改訂版】ぺちゃんこ地味系OLだけど水曜日の夜はびしょぬれ
プラス思考
ランチのあと、石和は気疲れしている桃瀬の顔色をうかがい、早めにアパートへ帰宅した。駐車場での別れぎわ、「理乃ちゃん」と、ひきとめる。
「はい」
助手席に坐る桃瀬は、シートベルトをはずしながら返事をした。石和は、ショルダーバッグについているペンギンのキーホルダーを見て、笑みを浮かべた。
「次はいつ逢えそうかな」
「次ですか? えっと……」
姉の体調を気づかう石和は、桃瀬の都合を確認した。そろそろ月のものがくる桃瀬は、もじもじと腰を動かした。生理中はめまいもするため、石和と逢わないようにしている桃瀬は、十日後の水曜日にデートの約束をした(たまった年次休暇を月にいちどのペースで申請する必要がある桃瀬は、木曜休みを取得しておいた。水曜の夜、時間を気にせずにセブンスターでゆっくりのみたかった)。
「きょうは、いろいろありがとうございました」
「こちらこそ、また来週よろしくね」
石和に見送られて二階の自室へ帰宅した桃瀬は、玄関のドアをしめると、ホッと溜め息を吐いた。とてつもなく充実した一日だったが、内容が濃すぎるため、肩がこっている。シャワーを浴びてリビングへもどると、携帯電話が鳴りひびいた。姉からの着信だ。いやな予感がしたが、「もしもし」と応答すると、ふくみ笑いされた。
「お姉ちゃん、なに、その笑い方」
『見たわよ。あんた、きょう彼氏とデートしてたでしょ』
いきなり指摘され目を見ひらく桃瀬は、顔が熱くなった。姉の理加子は、ビュッフェスタイルのレストランへ入店するところを、偶然目撃したようだ。ランチタイムの店内はにぎわっており、外から見られているとは思わなかった桃瀬は、携帯電話を持つ手がふるえた。
『いっしょにいたおじさん、かなりイケてるわね。背が高くて顔も良いなんて、最高じゃない。どこかの一流企業で働く社長って感じ。ちょっと心配してたけど、いまのところだいじょうぶそうね。……理乃ってば奥手のくせに、あんなイケおじとつきあうなんて、すごいじゃない』
すごいのは素養を見ぬいてレベルアップをサポートしてくれる石和さん……と云いかけて、姉がしゃべりつづけた。
『ねえ、ベッドインはもうしたの? あんたは処女だから、相手のほうが難儀するでしょうね。……まさか、泣いた?』
図星の桃瀬は返すことばが出てこない。答えあぐねていると、携帯電話の向こう側で『ぷぷっ』と笑われた。
『やだ、本当の話? でも、交際が順調なら、おめでとう。あたしが退院したら、ちゃんと紹介してね。お父さんとお母さんに話すときは、後押しくらいしてあげるから』
理加子の叱咤激励は思わぬ展開だが、桃瀬は礼を述べ、姉の存在に感謝した。いつも味方とはかぎらないが、こんなとき、背中を押してもらえるのはありがたい。ちょうど、気持ちがもやもやしていたタイミングにつき、理加子の強気な調子は、逆に胸がすっきりした。
「お姉ちゃんは怖くないの?」
間近に迫る出産もそうだが、結婚して相手の家に嫁ぐということは、これまでの生活が劇的に変化する。面倒が多いイメージだが、理加子の答えは意外だった。
『なにも怖くないわよ。じぶんで望んだ結果だもの。まあ、ストレスの半分は環境が原因でもあるけど、好きなひとがそばにいる生活はしあわせよ。……たまに喧嘩もするけれど、好きだからこそ、意見が衝突しちゃうのよ。そんな喧嘩をくり返せるのも、夫婦の特権かもね』
「……すごいね」
『なにが? どこもすごくなんてないわよ。理乃も、結婚すればわかるよ。少なくとも、世界中の夫婦や恋人が経験することだもの。それに、ひとりで解決する必要なんてないしね』
「お姉ちゃん、がんばって元気な赤ちゃんを産んでね」
『あんたこそ、家族が増えるのよ。これまでどおりの立場じゃなくなるの、わかってる?』
「わ、わかってるよ」
姪や甥っ子が生まれたとき、桃瀬は叔母という肩書を持つことになる。身内の婚姻により社会的立場が強制的に変わってゆくのは不安でもあり、どこかふしぎな感覚だった。ちっぽけで無力だとしても、社会の構成員として見做されているのだ。
✦つづく