桜のころ
林間学校 2
林間学校二日目。
この日の主な予定は陶芸体験だったが、隼人は朝からずっと上の空だった。
愛梨が体調不良で先に帰ったと聞いたからだ。
しかも、日菜子と麻帆が、なぜか六組の水野が愛梨を運んできたとこっそり教えてくれた。
(なんで愛梨と水野が)
ふと見ると、佑香と目が合った。
思わず反らしてしまう。
昨日の夜。
入浴後の隼人にメッセージを送ったのは佑香だった。
『話があるから後で食堂裏に来てほしい』
隼人が行くと、佑香は神妙な面持ちで待っていた。
「話って…?」
いつもと違う佑香の様子に隼人はそっと尋ねた。
「木下さんってただの幼馴染なの?」
「え…?」
佑香からいきなり愛梨の名前が出てきたので戸惑った。
いつも結ばれている佑香の髪が今は真っ直ぐ下ろされていて、少し別人のように見える。
「すごく仲いいよね。付き合ってるんじゃないかって言ってる人もいるよ」
「…いや、それは…」
佑香は小さく深呼吸した。
「私のことはどう思ってるの?」
隼人は言葉に詰まる。
「…あの、いますぐ返事が欲しいわけじゃないの。…私は中学の時からずっと藤島が好きだった」
隼人は自分の足元を見た。
「たぶん私のことそんなふうに考えてくれたこと無いと思うんだけど…」
佑香は続けた。
「木下さんが彼女でもなんでもないんだったら、私のこと考えてみてほしい」
中学二年の夏、母・美季が亡くなり、愛梨が突然アメリカに行ってしまって。
隼人は文字通り、抜け殻だった。
三年生で佑香と新田と同じクラスになり、少しずつ日常を取り戻していったのが分かる。
志望校が同じで、よく三人で勉強した。
二人が居たから今の高校に入学できたと言っても過言ではない。
(佑香がずっと俺のことを)
これまでの三人を思い出す。
図書室で勉強したこと、合格発表の日、学校帰りの寄り道、新田の家で集まったこと。
その時、隼人のスマホが振動した。
同じテーブルの生徒達は粘土状態の器に割り箸で模様を刻んでいる。
隼人は皆が集中しているのを確認して、そっと部屋を出た。
『もう大丈夫。心配かけてごめんね』
愛梨からの返信だった。
陶芸が始まる前、体調はどうかとメッセージしていたのだ。
『なんで水野が』
隼人は入力した文字を慌てて消した。
(いきなりこんなこと聞いてどうするんだ)
スマホをポケットに入れてトイレに向かう。
向こうから歩いてくる人影が見えた。
水野だった。
「藤島、久しぶり」
水野は相変わらずの人懐っこい笑顔で立ち止まった。
「久しぶり。クラス離れると滅多に会わないよな」
隼人も立ち止まって応えた。本来ならこの程度の会話で通り過ぎる仲だった。
だが、愛梨が倒れた時に水野が居たことの疑念がどんどん膨らんでいく。
「そういや、藤島と転校生の木下って幼馴染なんだってな」
いきなり水野から切り出してきたので隼人は少し戸惑った。
「え?…ああ、うん」
陶芸教室からは生徒たちの賑やかな声が聞こえる。
「昨日、愛梨が倒れた時に水野が居たって聞いたんだけど…」
水野は窓の外を見た。森からの心地よい風が通り抜ける。
「あぁ…実は俺、木下と中学の時塾が同じで、久しぶりに話してたんだよ。そしたら急に体調が悪くなったみたいで。先生は疲れが出たんだろうって言ってた」
「え…?塾?」
隼人は記憶を辿る。
(あいつ、塾に行ってたっけ?)
あの頃愛梨とは病院でしか会ったことがなかった。二人でいる時も病室で美季や美乃里といる時も、いつも隣で笑っていた顔しか思い出せない。
「久しぶりに会ったけど、木下、相変わらずかわいいよなぁ。今度試合の応援来てくれないかなぁ」
水野は隼人の反応を見るように少し顔を覗き込み、教室に入って行った。
隼人は思わず歯を食いしばった。
教室に入ってきた愛梨に日菜子と麻帆が真っ先に駆け寄ってきた。
「二人とも、心配かけてごめん」
「ほんとに心配したんだから」
「陶芸、愛梨と一緒にやりたかった」
「私も、陶芸すごく楽しみにしてたのに」
座って粘土をこねるくらいはできそうだったが、迎えに来た母が半ば強引に車に乗せたのだった。
「おはよ。大丈夫か?」
日菜子達の後ろで隼人が心配そうな顔をしている。
愛梨は、林間学校での隼人と佑香の姿を思い出す。
「うん、もう大丈夫。先生に山登りから張り切りすぎって言われちゃった」
「てか、朝から張り切ってたよな」
愛梨のいつもの笑顔に隼人は少しホッとした。
水野が愛梨を運んだことは誰も見ておらず噂になっていないが、昼休みに日菜子と麻帆の尋問が始まった。
「水野くんは中学の時塾が同じだったの」
昨日、倒れた時のことを隼人に聞かれた、と水野からメッセージが届いていた。
『塾が同じって言っておいた』
愛梨は水野が言ってくれたことに合わせ、二人に返答した。
「それよりも、水野くんが運んでくれたこと、隼人に言った?」
今度は愛梨が尋問役にまわる。
二人の目が泳ぐ。
「藤島くんが水野くんのこと聞いてきたのよ」
日菜子が続ける。
「だって愛梨が倒れて帰ったって聞いた時の藤島くん、すごい心配そうな顔してたんだもん。思わず藤島くんが愛梨の彼氏だって錯覚しちゃった」
「だから、彼氏じゃなくて幼馴染」
愛梨はすかさず否定した。
「でもさ、愛梨。藤島くんのこと好きなんじゃないの…?」
麻帆が真顔で、でも心配そうに尋ねる。
愛梨は一瞬言葉に詰まった。
「…隼人はいい友達だよ…前からずっと…」
そう言った愛梨の姿があまりにも儚げだったので、日菜子と麻帆はそれ以上何も聞けなかった。
この日の主な予定は陶芸体験だったが、隼人は朝からずっと上の空だった。
愛梨が体調不良で先に帰ったと聞いたからだ。
しかも、日菜子と麻帆が、なぜか六組の水野が愛梨を運んできたとこっそり教えてくれた。
(なんで愛梨と水野が)
ふと見ると、佑香と目が合った。
思わず反らしてしまう。
昨日の夜。
入浴後の隼人にメッセージを送ったのは佑香だった。
『話があるから後で食堂裏に来てほしい』
隼人が行くと、佑香は神妙な面持ちで待っていた。
「話って…?」
いつもと違う佑香の様子に隼人はそっと尋ねた。
「木下さんってただの幼馴染なの?」
「え…?」
佑香からいきなり愛梨の名前が出てきたので戸惑った。
いつも結ばれている佑香の髪が今は真っ直ぐ下ろされていて、少し別人のように見える。
「すごく仲いいよね。付き合ってるんじゃないかって言ってる人もいるよ」
「…いや、それは…」
佑香は小さく深呼吸した。
「私のことはどう思ってるの?」
隼人は言葉に詰まる。
「…あの、いますぐ返事が欲しいわけじゃないの。…私は中学の時からずっと藤島が好きだった」
隼人は自分の足元を見た。
「たぶん私のことそんなふうに考えてくれたこと無いと思うんだけど…」
佑香は続けた。
「木下さんが彼女でもなんでもないんだったら、私のこと考えてみてほしい」
中学二年の夏、母・美季が亡くなり、愛梨が突然アメリカに行ってしまって。
隼人は文字通り、抜け殻だった。
三年生で佑香と新田と同じクラスになり、少しずつ日常を取り戻していったのが分かる。
志望校が同じで、よく三人で勉強した。
二人が居たから今の高校に入学できたと言っても過言ではない。
(佑香がずっと俺のことを)
これまでの三人を思い出す。
図書室で勉強したこと、合格発表の日、学校帰りの寄り道、新田の家で集まったこと。
その時、隼人のスマホが振動した。
同じテーブルの生徒達は粘土状態の器に割り箸で模様を刻んでいる。
隼人は皆が集中しているのを確認して、そっと部屋を出た。
『もう大丈夫。心配かけてごめんね』
愛梨からの返信だった。
陶芸が始まる前、体調はどうかとメッセージしていたのだ。
『なんで水野が』
隼人は入力した文字を慌てて消した。
(いきなりこんなこと聞いてどうするんだ)
スマホをポケットに入れてトイレに向かう。
向こうから歩いてくる人影が見えた。
水野だった。
「藤島、久しぶり」
水野は相変わらずの人懐っこい笑顔で立ち止まった。
「久しぶり。クラス離れると滅多に会わないよな」
隼人も立ち止まって応えた。本来ならこの程度の会話で通り過ぎる仲だった。
だが、愛梨が倒れた時に水野が居たことの疑念がどんどん膨らんでいく。
「そういや、藤島と転校生の木下って幼馴染なんだってな」
いきなり水野から切り出してきたので隼人は少し戸惑った。
「え?…ああ、うん」
陶芸教室からは生徒たちの賑やかな声が聞こえる。
「昨日、愛梨が倒れた時に水野が居たって聞いたんだけど…」
水野は窓の外を見た。森からの心地よい風が通り抜ける。
「あぁ…実は俺、木下と中学の時塾が同じで、久しぶりに話してたんだよ。そしたら急に体調が悪くなったみたいで。先生は疲れが出たんだろうって言ってた」
「え…?塾?」
隼人は記憶を辿る。
(あいつ、塾に行ってたっけ?)
あの頃愛梨とは病院でしか会ったことがなかった。二人でいる時も病室で美季や美乃里といる時も、いつも隣で笑っていた顔しか思い出せない。
「久しぶりに会ったけど、木下、相変わらずかわいいよなぁ。今度試合の応援来てくれないかなぁ」
水野は隼人の反応を見るように少し顔を覗き込み、教室に入って行った。
隼人は思わず歯を食いしばった。
教室に入ってきた愛梨に日菜子と麻帆が真っ先に駆け寄ってきた。
「二人とも、心配かけてごめん」
「ほんとに心配したんだから」
「陶芸、愛梨と一緒にやりたかった」
「私も、陶芸すごく楽しみにしてたのに」
座って粘土をこねるくらいはできそうだったが、迎えに来た母が半ば強引に車に乗せたのだった。
「おはよ。大丈夫か?」
日菜子達の後ろで隼人が心配そうな顔をしている。
愛梨は、林間学校での隼人と佑香の姿を思い出す。
「うん、もう大丈夫。先生に山登りから張り切りすぎって言われちゃった」
「てか、朝から張り切ってたよな」
愛梨のいつもの笑顔に隼人は少しホッとした。
水野が愛梨を運んだことは誰も見ておらず噂になっていないが、昼休みに日菜子と麻帆の尋問が始まった。
「水野くんは中学の時塾が同じだったの」
昨日、倒れた時のことを隼人に聞かれた、と水野からメッセージが届いていた。
『塾が同じって言っておいた』
愛梨は水野が言ってくれたことに合わせ、二人に返答した。
「それよりも、水野くんが運んでくれたこと、隼人に言った?」
今度は愛梨が尋問役にまわる。
二人の目が泳ぐ。
「藤島くんが水野くんのこと聞いてきたのよ」
日菜子が続ける。
「だって愛梨が倒れて帰ったって聞いた時の藤島くん、すごい心配そうな顔してたんだもん。思わず藤島くんが愛梨の彼氏だって錯覚しちゃった」
「だから、彼氏じゃなくて幼馴染」
愛梨はすかさず否定した。
「でもさ、愛梨。藤島くんのこと好きなんじゃないの…?」
麻帆が真顔で、でも心配そうに尋ねる。
愛梨は一瞬言葉に詰まった。
「…隼人はいい友達だよ…前からずっと…」
そう言った愛梨の姿があまりにも儚げだったので、日菜子と麻帆はそれ以上何も聞けなかった。