虐げられ続けた私ですが、怜悧な御曹司と息子に溺愛されてます
岳は真矢に会ったことなどすっかり忘れているようだ。
対鶴楼に明都ホテルグループの人たちがやってきてから緊張し続けていたが、ホッとすると同時に肩の力が抜けてきた。
このまま黙っていれば、何日かあとには帰っていく人だ。
そう思うと真矢はリラックスできたので、予定していなかった場所も案内する気になった。
「この上からの景色が、お勧めなんです」
路地の行き止まりで真矢は足を止めた。その先には石段がある。
岳は長い石段を見上げて驚いている。
「鳥居が見えるね」
「はい。このあたりの氏神様を祀っている神社です」
鳥居までかなりの段数があるが、真矢は先に立って上り始めた。岳もあとに続く。
ふたりが上りきった場所は神社の境内で、今は藤が見ごろをむかえている。
ここには房が大きく垂れ下がるものから小ぶりの種類まで町の人たちの手で植えられていて、境内から本殿の裏山までの一面が紫のカーテンにおおわれているように見えるくらいだ。
「この眺め、すてきでしょう」
真矢はこの季節ならではの景色を岳に見てもらいたかったのだ。
「ああ、すごいな」
じっと見入っている岳に、真矢は背を向けた。
(なにやってるの、私)
黒縁メガネ越しでもわかる端正な横顔。筋肉質でたくましい体躯。
つい岳を見つめている自分に気がついて、慌てて距離をとった。
(お客様に見とれるなんて、いけないことだわ)
岳から離れたほうがいい気がして、真矢は境内の端の立って町を見下ろしながら胸の動悸を静めた。
「対鶴楼も、よく見えるんだ」
だが岳も見晴らしがいいと気がついたのか、真矢の隣にやってきた。
「やはり広いな」
高い位置から見ると、広い敷地がよくわかる。どっしりとした門構えや、きちんと手入れされた日本庭園。
対鶴楼の名称となった、中庭を挟んで鶴が羽を広げた形をイメージした建物。
「君は、対鶴楼ってどんな場所だと思う?」
ふいに、岳から尋ねられた。
「豪華で、ぜいたくな時間を過ごせる場所」
「ぜいたくな時間か」
「非日常と言った方がいいでしょうか」
たしかに高級旅館だから、宿泊料はかなりのものだ。
それに見合ったサービスや料理を提供しているが、やはり一泊だけの客が多い。
連泊して高額な宿泊料を払えるのは富裕層や一部の外国人観光客くらいだから、真矢はこの先もそれでいいのか疑問に感じていた。
ふたりはそのまま境内を散策し、藤棚の近くにあるベンチに腰をおろした。
「かなり歩きましたね。お疲れになりませんか?」