最後の旋律を君に

揺れ動く想い

「今日もお疲れさま」

奏希さんは優しく微笑みながら、律歌の前に温かな紅茶を置いた。

ピアノ室には、ほんのりと甘い香りが漂っている。

レッスンの後、こうして二人で紅茶を飲むことが、すっかり習慣になっていた。

「ありがとう……」

律歌はカップを手に取り、そっと口をつける。

奏希さんのレッスンは、驚くほど丁寧で優しかった。

できたところはしっかり褒めてくれるし、つまずいても焦らせることなく、どうすれば良くなるかを穏やかに教えてくれる。

今までの自分だったら、誰かにピアノを習うなんて考えもしなかった。

でも、奏希さんと過ごす時間は――とても心地よかった。

(奏希さんの隣にいると、なんだか安心する……)

ふと、奏希さんの横顔に目を留める。

穏やかな表情で紅茶を飲む姿は、まるで一枚の絵のように美しかった。

「……大丈夫?」

不意に声をかけられ、ハッとして視線を逸らす。

「えっ、な、なんですか?」

「いや、急に黙り込んだから。疲れた?」

奏希さんが心配そうに覗き込んでくる。

律歌は慌てて首を振った。

「そ、そんなことないです! ちょっと考え事をしていただけで……!」

「そっか。無理しないでね」

奏希さんは柔らかく微笑んで、律歌の手元に視線を落とした。

「でも、本当にすごいよ。最初の頃に比べたら、驚くほど上達してる」

「そ、そんなこと……」

「本当だよ」

奏希さんは迷いなく言った。

「音に表情がついてきた。前よりずっと、心がこもってる」

そのまっすぐな言葉に、律歌の胸がじんわりと温かくなる。

(……どうしてこの人の言葉は、こんなに心に響くんだろう)

初めて会ったときから、奏希さんのピアノに強く惹かれていた。

それは、ただ音が美しいからではない。

音の一つひとつに、奏希さんの想いが込められているから。

そして――気づけば、律歌の中で奏希さんの存在は、どんどん大きくなっていた。

(……私、もしかして……)

自分の胸の中に芽生えた感情に気づいた瞬間、心臓がドキリと跳ねた。

――奏希さんのことが、好き。

律歌はそっとカップを握りしめる。

この想いを自覚した瞬間、もう元には戻れない気がした。
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