あなたの隣で生きていく

いつも隣で

あの頃から10年の月日が流れた。一馬とは記憶が戻ったあの頃から付き合ってそして1年前に結婚をした。私は退院してから高卒認定の資格をとって一馬のお父さんの歯科医で受付の仕事をさせてもらっていたが今はお休みしている。それは……私のお腹には一馬との新しい命が宿っているから。そして
一馬は精神科のお医者さんになった。結婚してから家から電車で1本で行ける心療内科のクリニックで働いている。結婚する前は大学病院で勤務していたが夜勤もあってどうしても会える時間がバラバラになったせいで一時期、私の精神状態が不安定になったからだろう。

私の頭の中の記憶は完全には戻っていない。たまに忘れてしまってることもある。だけど一馬が一緒にいてくれるだけで本当に幸せだ。これから帰ってくる一馬のために晩ごはんの買い物に行こうとしてクローゼットからコートを取り出すと奥の方に箱が見えた。あっこの箱……

その中には私が記憶障害になったときに書き留めていたメモ帳やノートが入っていた。懐かしいな〜そう思いながらページをめくっていった。そしてその中に見慣れない大学ノートが入っているのに気がついた。こんなノート知らないな?と思いながらめくってみると、それは一馬の数学のノートだった。なんでこのノートをこの箱にいれたんだろう?パラパラとめくっていくともう終わりかけのページに

「蛍の記憶が全部なくなってしまっていた。俺はこれからどうすればいいのだろうか?」
そんな見出しからはじまった一馬の少しクセのある字だった。

「俺を怖がらずに見てもらうにはどうする?今は無理って言われたからあとどれくらいしたら会えるんだろうか?でも蛍の顔が見たいし声が聞きたい。」

きっと私が入院していた頃の心境だろう。ついノートに書いてしまったみたいだな。
「蛍の記憶が戻る可能性がわからないみたいだ……俺は頑張って医学部に行って精神科医になる!!蛍の為だけじゃない。俺が蛍のそばにいたいから。」
そう力強い文字で書いてあった。

思わず涙がこぼれてきた。一馬はどうして精神科医になったのか理由を教えてはくれなかった。一馬はお父さんと同じ歯科医になって歯科医を継ぐって子どもの頃に言っていたから私は歯科衛生士の資格を取ろうと思っていた。それなのに……私のことがあったから進路を変えたんだと思ったら昔のことを思い出した。

前にもあった……私にボールをぶつけて怪我をさせてしまったからとサッカーを辞めて有名な高校のスポーツ推薦もなくなってしまったときが……私は一馬の人生を何度も狂わせてしまった。私が記憶障害になったことも、きっと一馬には負担だったのに、私と会わなければ一馬は……家の中が暗くなってきたことにも気が付かずに私はその場に座り込んでいた。

「蛍っ」
抱きしめられて自分の感覚が戻ってきた。

「蛍、何かあったか?こんなに冷たくなってどうした?」
私の手をさすってあの頃と同じようにいつも私を1番に考えてくれる一馬に私は謝った。
「ごめんなさいっ……」
「蛍?何があったか教えて?」
一馬は私の手を引いてソファーに座らせてくれて温かいホットミルクを用意してくれた。一馬に謝らないと、そう思って声を出そうとするけれど喉が詰まった感じがして代わりに涙がポロポロとこぼれ落ちた。一馬は私を抱きしめて
「大丈夫、大丈夫。俺がいる。どんなときも側にいるから」
まだまだ精神的に不安定な私……それでも一馬は一緒にいてくれる。こんな私と付き合って結婚もしてくれた。それなのに……
「ごめんなっさいっ」
言いたい言葉はたくさんあるのに声に出せない。ただただ涙がこぼれていた。一馬は私が落ち着くまで抱きしめてくれた。
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