明治時代にタイムスリップとか有り得ない!!
足元を照らすには光量が弱く、柚は勇の歩幅に合わせるのが精一杯だ。湿る地面に何度も足をとられそうになりながらも、勇に追いついた。
「勇さん…!」
息をきらせながらその背中に声をかけると、勇は歩調を緩め、そして止まる。
「……」
振り返った彼の眼差しは、どこか悲しげに見えた。いつもの悠然とした様子ではなく、かと言って怒っている訳でも子供が拗ねたという気配でもない…強いて言うならば、不機嫌そうにも悲しそうにも見えた。
「勇は拗ねてんだよ、明日になればまたケロッとしてるから気にすることじゃねぇ」
「機嫌直しに洋菓子でも買って帰りますか?」
「だな」
「誰が支払うんだよー」
「上司」
「了解」
「賛成!」
つくづく上司が可哀想に思えてくる。皆の視線が集まるなか、上司と呼ばれた男性は目を逸らした。
「俺は食べ物で機嫌直さないからなー」
「嘘つけ。随分前、何とかオーマロンみたいなの食べて元気出してたじゃん」
「…それは」
「目が泳いでますよ?」
穏やかな笑みでさらりと確信をつく。
「その、オーマロンってなんですか?」
「風月堂で販売されている栗のケヱキらしいよー!」
(栗のケーキ…)
柚の頭に浮かぶのはモンブランだが、この時代にもあったんだ…。
「……」
気まずい空気が流れる。何て声をかければ良いのか分からない。
「柚ちゃんは、何で置屋にいたの…?」
「おい、勇!流石に外でそれは…」
「置屋の属する大半は何かしら問題を抱えた女性なんだ。身寄りがなく行き場のない女性もいれば、親の借金を肩代わりする女性もいる。無論、自らその道に進む女性も中にはいると思うけど…」
そこで言葉を区切り、勇は柚を見つめた。
「柚ちゃんは今のところ雨風をしのげる屋根がある。それなのに何で置屋に通って…実は莫大な借金でもあるの?」
責めるでも嘆くでもなく、勇はただの疑問として捉えているようだった。
柚は首を振る。ただ、どう答えて良いのか分からない。
「もしかして、例の死ニカエリを自分で調査しようとして…?」
井上が思いついたように呟く。
「そういや置屋に関係があるって勇が言ってたな」
不意に冷たい風が足元を吹き抜け、ひどく寒気がして身を縮こませる。まるで水が足を浸食しているようだ。
「なるほど…確かに置屋や郭は女性しか内部まで入れないもんな」
「要するに柚ちゃんは、例の死ニカエリを調べていたってこと…?」
勇は眉間を人差し指で押さえながら言った。
柚は小さく頷いた。
「なるほど、やっと合点がいった。ごめん」
「あ、謝らないで下さい…私が勝手にしたことなので」
「勝手ではないよ。確かに今回は驚いたけど、俺達が入れない内部のことも調べようとして置屋に出入りしたんだろ?迷惑なんかじゃないよー」
安心させるように微笑んだ勇の誠実さに心を打たれた。成り行きで縁があっただけの自分に、何故ここまで真剣に向き合えるのか。そう在ろうとする姿勢を支える物は何か。否、勇だけではなく討伐課の六人もそうだ。
傍にいれば、いつかは分かるのかな?と、柚は思う。
何もかも完璧に等しく、だから近くにいて遠くにいるような感じになるのだ。でもそんな彼が今、柚のことを理解しようとして心を添わせてくれていた。
それなら柚も踏み出して少しでも近付ければと思う。僅かな光量を頼りに灰色に(にご)る水底に沈む小石を探すように、目を凝らしてみれば、見えない物も見えてくるのだろうか。
「あの…信じてもらえないかもしれないんですけど…聞いてくれますか?」
「良いよー!」
「作り話でも良いですよ」
「絵空事は好物だから、上手に話せたら褒めてあげるよ」
もう、迷っている時間はない。この際、はっきり言おう。
「実は私…未来から来ました」
「未来…?」
「恐らく、百五十年後くらいから、、、」
「…………」
しばらく、黙っていた。肌寒い風が吹く。
「そうですか…まぁ、有り得ない話ではないですね」
「え?」
「要するに、望月ちゃんは神隠しに遭ったんだよ」
「神隠し…ですか」
「うん。神隠しに遭って…この時代に来て、俺達と出会って…」
「帰れる方法はあるのか?」
「はい、満月の日に池に飛び込むっていう方法なんですけど…」
「何その方法…」
「あれ?上司はー?」
「倒れてる」
坂田が地面を指差す。そこには眠っている上司の姿。
「…どうする?」
「放っておけ」
「咲真の意見に賛成」
「みんな、上司に対する扱い酷くね?」
「…そうか?」
「上司…頑張れ」
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