歪んだ月が愛しくて1
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冷たい月が見下ろす、街。
ここは東都白羊区にある歓楽街の一角。
その中心部の裏路地を更に奥へと進んで行った先にあるのは、今にも潰れそうな地上2階地下3階建ての古びた小さな店。
入り口には看板も出ておらず、一見店とは思えないほど暗く怪しい入り口が一般人を遠ざけていた。
東都三大副都心の一つである白羊区は世界有数のターミナル駅である白羊駅を中心に商業、ビジネス、文化、そして住宅地が混在する複合的な街である。日本を代表する歓楽街を持つほど眠らぬ街として賑わいを見せる一方、都会のオアシスとして親しまれる緑豊かな庭園もあり、独特な魅力を持つ街となっている。
その魅力の一つがこの場所と言っても過言ではないだろう。
入り口の前に立つのは黒服の大柄な男。
所謂門番と言う奴で、彼の許しがない限りこの場所に足を踏み入れることは出来ない。
入り口を潜ったすぐ目の前には地下に降りる階段があり、レンガを乱暴に積み上げたようなデザインの壁には怪しげな絵や写真、スプレーによる精巧で粗暴な落書きがされていた。
地下に降りると、そこにも観音開きの大きな扉が聳え立つ。
その傍らにはまたしても門番こと黒服の大男が構えていた。
「―――“ハチ”」
大男に身分確認される前に男は自ら口を開いた。
そう言えば大男が門を開けると分かっていたからだ。
案の定、大男は驚いたように目を瞠った。しかし目の前の男が本物の“ハチ”だと分かると「…どうぞ」と言って門を開けた。
「どうも」
門の向こうは当然の如く爆音。
真っ先に目に入ったのはだだっ広いフロアとバーカウンター、そしてちゃんとした店じゃないことが一目で分かるほど乱れた雰囲気。
ここはクラブ“BLANC”
出入りしているのは殆どが若い男女。
いい大人が足を踏み入れたら悲鳴を上げるに違いない光景が広がるそこは、クラブと言うより犯罪現場と言った方がピッタリかもしれない。
耳が痛くなるほどの音楽。
それに合わせて踊り狂う連中。
それらをするりと躱して、声を掛けたり掛けられたりする中。
―――いた。
目が合った瞬間、彼は不機嫌そうに眉を顰めて溜息を零した。
彼の機嫌が良くないことは分かっていたが、それでも目当ての人物を前にして回れ右は出来なかった。
目的の人物に向かって一直線に足を進める。
運が良いことに彼がいるのはカウンター内。
もう逃さない。
「久しぶりだねぇ、―――ヤエちゃん」
「……ぶっ殺すぞ」
低い、地を這う声。
相変わらず不機嫌だな。
と言うことはアイツはここにいないのか。
「いきなり?久しぶりの再会だって言うのに連れないな。俺はこーんなにもヤエちゃんに会いたかったって言うのに」
「テメーが俺に会いたかったのは別の理由だろうが」
「あ、バレちゃった?」
「テメーに出待ちされても気持ち悪ぃだけだからな」
誰もが振り向くような男らしい整った顔立ちに獣のような鋭い瞳、トレードマークの水浅葱色の髪をリーゼント風にセットする彼こそがクラブ“BLANC”のオーナーだ。
こんな好戦的な性格で尚且つ超絶口が悪いと言うのに若くしてオーナーなんて務まるのは絶対に顔が良いからだ。それと彼の肩書きとカリスマ性か。
「気持ち悪いって酷くない?しかも一度もお見舞いに来てくれないなんてちょっと冷たいんじゃないの?」
「安心しろ。テメーに優しくしてやった覚えは一度もねぇよ」
「エコ贔屓」
「御託はいい。用件は………ま、聞かなくても分かるがな」
「あっそ。じゃあ単刀直入に聞くね」
途端、彼の目付きが変わる。
「シロはどこ?会いたいんだけど」
「………」
今の彼等にとってそれは禁句。
それでも禁猟区に踏み入ってでも確かめたいことがあった。
伝えたい。
伝えなくちゃいけない。
誰もが焦がれる美しい月に再び危険が迫っていることを。