恋するだけでは、終われない
第十話
……ふたりが部室から出たあとで。
「いや〜、今年後輩ができるなんて思っていなかったよ〜」
わたしは、つとめてのんびりとした声でいう。
で、そろそろ聞いてもいいのかな?
「ま、それはそれでうれしいんだけどね〜」
たぶん、いいんだよね?
「そろそろさぁ、どうしてあのふたりにこだわっているのか、教えてくれない?」
残念……。
三藤月子は、浮かない顔でわたしを見る。
あぁ、そんなにいいたくないことだったのかと悟ると同時に。
じゃぁどうして月子は誘ったのかと。わたしはより、理解に苦しむ。
「あのね、陽子。……正直いうと、海原くんだけいてくれたらいいの」
「えっ?」
親友がようやく口にしてくれた本音なのに、わたしは……。
「それはひどいよ。だったら高嶺さんに失礼じゃん!」
思わず、いってしまった……。
「陽子が怒るとは思っていた、だからいいたくなかったのよ」
「ちょっと、意味がわからない!」
「仕方がないでしょう。海原くんひとりを誘う方法が、わからなかったのよ……」
「理由になってないよ! それに、それってさ、なんかよくわからないけど。ちょっと海原君にも失礼だよ」
わたしは、月子に本音に驚きつつも。そんな理由を、認めてはいけない気がした。
わたしは、月子の親友だ。
だから、いわなければならないことがある。
「誰ともしゃべらないっていう、自分のキャラ変えてまで、みんなに迷惑かけてさぁ……」
あれ、でもこの出だしで、いいんだろうか?
「そんなに海原君が大事なら、巻き込まないであげたらよかったじゃん!」
でも、もう口にしてしまった。
「それにさ!」
伝えるのは、わたしの役目なのだから。
「『おまけ』みたいに扱われた高嶺さんの気持ちだって、考えてあげなよ!」
これはきっと、正しい……はずだ……。
……違うの陽子。
わたしだって。わたしにだって、いい分がある。
陽子にまだ伝えられていないことだってある。
それに……。陽子がそんなことをいうのは、ずるい。
いわなくても済むことを、あえていう自分を、わたしは嫌いだ。
でももともとわたしは、そんな人間なの……。
わたしは、覚悟を決めると。
「陽子、やめてよ。去年だって、わたしだって。『おまけ』みたいな存在だったじゃない!」
一気に陽子に、自分の気持ちをぶつけた。
……去年だって?
ねぇ月子、いまそういったよね?
……一年前の並木道。
たくさんの部活の勧誘のチラシを受け取り、ようやく玄関にたどり着くと。
「陽子、入学おめでとう!」
幼馴染の美也ちゃんは、そういって笑顔でわたしを迎えてくれた。
「部活の勧誘、すごいねぇ……」
わたしがそういうと、美也ちゃんは静かにうなづいて。次の日も、その次の日も同じことが繰り返された。
「そういえば美也ちゃんは、勧誘とかしないの?」
たくさんの部活が、並木道で部員を誘っているのに。
四日目にようやく、美也ちゃんはその輪に加わっていないことにわたしは気がついて。無邪気に聞いてしまった。
「……いまから、陽子にだけするよ」
あのときのわたしは……。
「ねぇ陽子? 『機器部』に入らない?」
美也ちゃんの誘いだ、わたしが断るはずがない! ようやく誘ってもらった!
そのうれしさのあまり。
美也ちゃんの悲しげな表情に、気づけなかった。
「……ねぇ陽子、入部してくれるなら、お願い」
「なぁに? 美也ちゃん?」
「あともうひとり、陽子の友達誘ってくれない?」
だからわたしは、その言葉の持つ重みも。深く考えていなかった。
ただ、美也ちゃんが望むならと。
わたしは誰かを誘うことに決めた。
ただ、最大の問題は……。
そう、わたしにはまだ『友達』がいなかった。
……もめごとを大きくしたくない主義のわたしは。
これまで大抵のことは愛想笑いですべてをかわして生きてきた。
高校に入学したばかりで、よくわたしのことを知らない人たちも。いままでと同じように、そんなわたしを『やさしい子』だねと、勝手に評しだしていた。
だから……。
「陽子、お願い!」
「だって陽子なら『やさしいから』平気だよ。お願い!」
その頃月子は既に、入学早々孤高の存在として有名になっていて。わたしは皆から、月子にプリントを渡したり、伝言する役を任された。
……その日の放課後。
玄関ホールを出ると、急に強い雨が降り出して。
「しばらく待つしかないかぁ……」
天気予報とか、ちゃんと見ないとダメだなぁ……。そんなことを考えいた、そのとき。
「わたしのお世話係をさせられた上、傘もないのね。気の毒だからバス停までならいいわよ」
……妙な話だが。
その月子の物いいが、なんだかわたしのもやもやした心を、一気に洗い流してくれた。
ぎこちない距離のふたりが入ったひとつの傘は、無言で並木道を進み。
発車待ちのバスに乗ると月子は無言で、わたしから離れていく。
「あっ!」
わたしはそのとき初めて。
月子の左側がずぶ濡れだったのに、気がついた。
……気づいてみれば、あれだけ強い雨だったのに。わたしはほとんど濡れていない。
「ダメだよ、風邪ひくよ!」
わたしは慌てて月子を追いかけると、その勢いのままに隣の席に座わってハンカチを差し出す。
「なによ、これ?」
「ハ、ハンカチ……」
「ハンカチくらいわかるわ。わたしはなぜハンカチが出てきて、あと……」
「あと、勢いで隣に座っちゃった!」
勢いでそういったわたしは。
美也ちゃん以外の前で、『丘の上』に入学して初めて、愛想笑い以外の笑顔になれた。
「ねぇ、座ってもいいかな?」
この笑顔のまま、まだ誰かと話していたい。そう願いながらわたしが質問する。
月子は一瞬だけ迷う素振りを見せたあと、ため息をつきながら。
「もう座っているじゃない……」
そう答えながら迷惑そうに。ハンカチも受け取ってくれた。
月子の瞳が、わたしをじっと見つめる。
大丈夫。わたしはあなたの、敵ではない。
そしてあなたも、わたしの敵ではない。
「念のためにいうけれど」
「うん」
「……わたしは。……傘に入れてあげたあなたが、濡れるのが嫌だっただけ」
バスが動き出すと月子が、変な理由をわざわざ口に出してくれたから。
わたしはもう一度、素直な気持ちで笑顔になれた。
そのときわたしは。これからは、なにあっても月子のそばにいたいと思った。
月子を理解できるのは、わたしだけなのだと思った。
……翌日の放課後、玄関ホールでわたしは月子を待っていて。
わたしを見かけた月子は、思っいた通り。明らかに迷惑そうな顔をする。
「きょうは、晴れているわ」
……うん、それは知っているよ、三藤さん。
「だから、『月子』が濡れないでいいのが、うれしい!」
わたしは、月子がそれ以上なにかをいうよりも先に。自分の気持ちを、どんどん月子にぶつける。
「ねぇ、わたしたち同じ部活に入らない?」
「えっ?」
「きっと部室でなら、もっと自由にしゃべれるよ!」
そう……。
わたしはもっと、月子の声が聞きたくて。
月子と、いつまでも話しがしたくて。
……誰にも邪魔されず、ふたりだけの空間があればもっともっと、仲良くなれる。
そんなふうに考えた。
それからしばらくすると、美也ちゃんは。
「あとはふたりなら、平気だね!」
バレー部のマネージャーになりたいといって『機器部』を辞めた。
わたしは美也ちゃんが、同じ中学からやってきた長岡先輩とようやく恋をかなえたのだと思い祝福した。
でも、本当は美也ちゃんは。
わたしに、ついに心を許せる親友が出来たので。
変に気をつかっただけだった……。
……ただ、月子はそんなことを知らないから。
美也ちゃんとわたしは、月子を傷つけた。それが月子のさっきいったこと。
「わたしは、『おまけ』みたいな存在だったじゃない!」
ふと、我にかえると。
月子の、やや物憂げでほんのり潤みがちで、それでいてどこまでも澄んだ紺色のふたつの瞳が。
まっすぐにわたしを、見つめていた。
……心から、通じ合っているつもりだった。
でも、だからこそ伝え切れていない思いがあるのを。
互いに知ってしまった。
だからこのとき、わたしたちは。
ふたりで同時に……。
こういうしかなかったんだ。
「わたしの気持ちだって、考えてよ!」
「ぜんぶ知ってるなんて、いわないでよ!」
わたしたちのベクトルの向きが、違ってしまって。
それからどんどん、加速されていって……。
そして、次の日から。
三藤月子とわたしは。学校に行くのをやめた。