恋するだけでは、終われない
第九話
僕は現在、場の雰囲気という言葉の意味を、身をもって実感中だ。
……そう、昼休みの『機器室』は。
なんともいえない緊張感が漂っている。
中央の大きな机を挟んで三藤月子と春香陽子、その反対側に僕、高嶺由衣の順で向かい合う。
「高嶺由衣さん、三藤月子よ」
「高嶺由衣です。ミフジツキコ先輩には、うちの海原昴が『昨日から』色々とお世話になっているようで」
……な、なにこの。のっけからバチバチな雰囲気は。
「よ、ようこそー。高嶺さん」
やはり春香先輩も、三藤先輩には気が引けるらしい。
「春香先輩こんにちは! 笑顔のステキな都木先輩は、いまはいらっしゃらないんですねー」
高嶺が遠慮なく問う。あぁ、ここに都木先輩がいてくれたら!
「あの先輩は、『いまは』部員ではないのよ」
残念……。
三藤先輩が、さらりといってのける。
「えっと、この部屋ってなんだかー」
おい高嶺! 自分で話し振っといて。聞いてんのか?
「『いまは』、『機器室』と呼んでいるわ」
三藤先輩も、動じないんですね……。
「あのー。さっきから微妙に、『いまは』、って連呼していません?」
「そうね。『いま』だから、『いま』の話をしているのだけれど。わかりにくいのかしら?」
うぉぉ……。
三藤先輩が、氷の女王みたいになっている……。
「……おい、初対面なのに高嶺! もうちょっと愛想よくしろよ」
「なによアンタ。わたしはちゃんと話してるでしょ、どこか問題ある?」
「いいのよ海原くん。わたしは、広い心で臨むつもりよ」
「ふ〜ん。新入生を振り回しておいて、広い心ですかぁ〜」
な、なんだこのふたり……。
どっちも、気が強い、強すぎる……。
「え、えっと……。そ、そうだ! お昼ご飯食べようか?」
そうそう。春香先輩のそのやさしい感じが、ほんと、春みたいでいいですよね。
あ、でも僕には最初冷たかったけど……。
「え、なにか余分なこといった? 海原君?」
お願いです、真顔にならないで、春香先輩……。
「……陽子、玉子焼きをどうぞ」
「ありがとう!」
「どういたしまして」
「あと陽子、これ」
「あ、ありがとう、えっと……」
「随分と物欲しそうなので、陽子から差し上げて」
「いりません」
「ま、まぁせっかくだからさぁ……。月子のおうちの、とってもおいしいよ」
「春香先輩がそうおっしゃるなら、春香先輩からのものとしていただきます」
……と、ここまでが。
女子三人の緊迫したおかず交換のやり取りの一部である。
以前もそうだったが、どうやらおかずの供給源が三藤先輩で、春香先輩はもっぱら喜ぶほう。
そして高嶺は……なんだか難しい顔をしているつもりだろうけれど。
僕にはわかるぞ! どうやら味は、美味しいらしいな。
満足げに卵焼きを口にして。
それからふと、高嶺が気づいたようだ。
あ、でも本当は聞かないで欲しかったことなんですけど、それ……。
「あれ、アンタは、わけてもらってないの?」
「い、いや僕はいいんだ……」
高嶺の顔が、ニヤリとした。い、嫌な予感がする……。
「そうなんだー。じゃぁ、『わたしの』おかず、わけてあげる」
「あ、えっと……高嶺さん。それはちょっと……」
春香先輩、争いを止めてれくれるんですね!
「いいのよ陽子。好きにさせなさい」
え、三藤先輩……?
「高嶺さん。海原くんには、いずれわたしが正式にお弁当を作ってお渡しするからお構いなく。これは母の作ったおかずなので、海原くんに失礼だと思って差し上げていないのよ」
そ、そうだったのか。僕は知らなかった……。
けど、あれ? いずれ『正式』にって、なんですか?
「なんだかややこしいですねぇ。いいですよ三藤先輩がやらなくてもわたしが餌付けしますんで」
「それは不要と、いったはずよ」
「さっきは、好きにしろっていいましたよね?」
「も、もう……。お願いだからもめないで〜!」
あらら……ついに。春香先輩が、根を上げてしまった。
「……ごめんなさい春香。そうね、わたしも高嶺さんに喧嘩を売るつもりではないの。ただ、異文明間の交流をどう進めていけばよいのか、わずかながら頭を悩ませているだけなの」
あの……。
それを一般的には、喧嘩売っているというのではないでしょうか? 三藤先輩……。
高嶺が一度、わざとらしく大きなため息をついて。
「まぁいいんですけど。コイツの『保護者』として、なんだか昨日からやたら騒がしいみたいなんで。春香先輩と都木先輩に敬意を表して、きょうはようすを見にきただけです」
「それならこの先は、もう海原くんの保護者としての責任は放棄していただいて構わないわよ」
「お、お願い! お願いだから仲良くしてー!」
もう、根を上げただけじゃ足らなくて。
春香先輩が、壊れそうだ……。
……だが、三藤先輩が。
ふと、表情をやわらくしたのがわかった。
「もうわかったわ、高嶺さん」
それから、いきなり。
「単刀直入にお伝えするわ。海原くんと一緒に、わたしたちの部活に入ってもらえないかしら?」
……ものすごい直球を投げたのだけれど。
高嶺は、平然と。
「海原が入るなら……。わかりました」
顔色ひとつ変えず、打ち返した。
「うんうん、海原君は入ってくれるもんね! やった。わたしたちに後輩がふたりも出来た!」
……果たして打球の行方は、ホームランだったのだろうか?
とにかく春香先輩が、うれしそうにはしゃぐので。微妙な緊張感は消えないけれど、それから先は比較的おだやかにことは進んだ。
現状について簡単にまとめると、こうなるらしい。
ここは『機器部』で。それほど活動することは、ない。
ただ、朝も昼も放課後も、機器室に集まっている。
「……ま、ほとんどふたりで、おしゃべりしてるだけなんだけどねぇ〜」
「ちょっと陽子、宿題もしているわよ?」
「そ、そうだねぇ〜」
「あと、よくわからない雑用もこなしているわ」
……え、えっと。
三藤先輩には。ふ、深くは突っ込まないでおこう。
「とりあえず、いまの所はこんな感じかしら。入部届は、明日わたしが届けます」
三藤先輩の、締めのひとことで。
本日のなんともいえない初顔合わせは、少なくとも血を見ることなく終了した。
「……本当にこんなんで部活って呼んでいいの?」
教室への帰り道。
高嶺が不満というより、不思議そうな顔で僕に聞いてきたけれど。正直、僕にもよくわかない。
「そもそもさ、なんでアンタとわたしなわけ?」
「僕も知りたいんだけどさー、まだ教えてくれそうにないからなぁ……」
そうだよねぇ、と。この場は、意外にあっさりと高嶺は引き下がる。
「でも、アンタ他にやりたい部活とかなかったの?」
「うーん、お前は?」
「ま、別にいいよ。嫌になったら変えればいいし。でも、バレー部とかいいの?」
「あ、それはいい。あとなんとなく……」
僕は、三藤先輩や高嶺がいればそれでいい、とまでは。
さすがに声に出しては、いえなかった。