恋するだけでは、終われない

第十四話


 自分だけが知らないことほど、悲しいことはないと思う。

 高嶺(たかね)由衣(ゆい)さんがもう一度、わたしに聞いてくる。
「どこに行ったか、知っていませんか?」
「え、えっとね……」
 この子は、案外賢くて。
 いい淀んだわたしを見て、質問を変えてくる。
「じゃぁ海原(うなはら)(すばる)は、あの人の所に行ったんですか?」

 あぁ、声をかけるタイミングを間違えた……。
 でももう、あとの祭りだ……。
「えっと、詳しくはわたしもいいにくいんだけれど、ね……」
「なんでですか?」
「え?」
「なんで海原が、会っているんですか?」
「そ、それはね……」
「それにどうして都木(とき)先輩が知っているのに、わたしが知らないんですか?」
「ちょ、ちょっと高嶺さん。いきなり先輩にそんなふうに突っかかったら失礼だからさぁ……」
 慌てて、ただ遠慮がちに山川(やまかわ)君だっけ?
 そんな名前の子が止めに入るけれど。でも、高嶺さんはもう止められないね……。



 ……な、なんでアイツが。
 わたしにいわないで勝手に、あの人に会ってるの……。
 あの人は、なんで勝手に。わたしの知らないところでアイツと会ったりしてるの?

 わたしは、ふと。
 自分の両目から、なにか妙に熱いものが噴き出しそうになっていることに気がついた。
 ど、どうしちゃったの、わたし……。

「えっと、あのね、高嶺さん……」
 それに、都木先輩。
 わたしが知らないのに、先輩はどうして知っているんですか!

「……すいません。な、なんだかすっごく大きな埃が目に入ったみたいなので、もう前を向いておきます」
 そこまで一気に口にすると。
 わたしは、座席の中に文字どおり沈み込む。

「えっと、高嶺。心配するな。今度海原に会ったら、俺がガツンといってやるからな!」
 ……あぁ、長岡(ながおか)先輩。
 そういうの、いま女の子に一番いっちゃダメなヤツなのに!
 都木先輩、彼氏なんでしょ、しっかりして下さいよ!

 わたしは、無言でもう一段階座席に深く沈み込んでから。
 とにかくバスが、一秒でも早く駅に到着することを祈っていた。



 ……駅に到着すると、高嶺さんは。
「お先に失礼します!」
 赤い目を誤魔化しながら、ぎこちない笑顔で手を振ってひとり消える。
 あと、山川君だっけ? その子は、気がつけばいないレベルでいなくなっていた。

「なぁ俺、余分なこといったのか?」
「長岡君は、最悪なことをいった感じかな」
「そうなの? なんか女って、難しいよなー」
 あぁ、まったく……。だからわたしたちもこうなっているんだよ。


 残されたわたしたちは、無言で電車に乗る。
「じゃあな」
 二駅進むと、長岡君が先に降り。そのまた二駅先が、春香(はるか)陽子(ようこ)とわたしの家の最寄り駅だ。
「ただいまー」
 家に帰るとリビングにある袋入りのお菓子を手に取り、すぐに陽子の家へと向かう。
 幼馴染のわたしたちは、『以前は』数え切れないくらい、互いの家を何度も行き来していたものだ。

「久し振りね美也(みや)ちゃん。きょうはごめんねー。あと、ありがとう……」
 陽子の母が、わたしを笑顔で迎えてくれて。うながされるまま、かつて通い慣れた階段をのぼる。
「あ、これ……」
 途中にある手摺りの傷が、懐かしい。あがり終えたところの廊下の凹みや、陽子の部屋の扉に少しだけ残っているクレヨンの跡を眺めてから。
 わたしは一呼吸置くと、扉をノックする。

 コン、コン、コン。
 あ……。いつもよりなんだか、余分に叩いてしまった。

 返事がないのは、入室の許可が出ている証拠だ。
 ここまでくれば悩んでも仕方がないと、乱暴にならない程度に勢いをつけて扉を開け放つ。
「いらっしゃい」
 予想外なことに、春香陽子はすっきりとした顔で。
 正座をして、わたしを待っていた。

「美也ちゃん、わざわざありがとう」
 少し意外でしょ、といいたげなその笑顔からは。『あのとき』以来の。悟ったような、それでいて悲しんでいるような影もほとんど消えていた。
「陽子、もう、平気なの?」
「平気もなにも……。藤峰(ふじみね)先生の使いがくるなんていわれたら、もう腹をくくるしかないよ」
「まぁね。わたしも、なにもいい返す気にならなかったもん」
「一週間は放っておいてくれるけど、これ以上はダメみたいな……。なんであの人が、わたしの担任もやってるんだろうね……」
「さぁ? おかげでわたしは救われたけどねぇ〜」


 少し、ふたりのあいだに静かなときが流れて。
 それから、陽子がわたしの『持ち物』に気がついた。
「……ねぇ美也ちゃん、まだそんなの食べてるの?」
「え、ダメなの?」
「子供だねぇ〜。高校三年で、まだ食べてんの?」
 陽子にそんなこといわれたから、わたしは……。
「いつも陽子の家で食べてたよ。仲良く食べてたお菓子だよ。それにね、これを食べてるときの陽子の顔ってね……」
「ちょっと待って!」
 陽子が、珍しく大きな声を出してわたしの話しを遮って。

 数秒おいて、もうひとつの覚悟を決めたような顔で。
 陽子がまっすぐな瞳でわたしを見つめて、質問する。
「ねぇ美也ちゃん、月子(つきこ)はどうしてる?」
 いきなり月子ちゃんの話しで驚いたけれど。もう、隠してどうにかなるものでもない。
「陽子の、考えているとおりだよ」
「そっか……」

 ……次の句までに十分でも、三十分でも待つつもりだった。
 陽子を、しっかりと受け止める。それがいまのわたしに、できること。
 気合を入れるために、わたしは肩と腹に力を込めて座り直す。

 ところが、その直後。
 陽子は明るい声で。
 「美也ちゃん、一緒にお菓子食べよ!」
 そういって勢い良く、わたしの胸に飛び込んできた。

 それから陽子の小さな肩が、まずは控え目に。続いて大きく、揺れ出して。
 それはしばらく、続いていた。



「……昔もいまも、おいしいね」
 そう、春香陽子。
 わたしはそうやって笑顔でお菓子を食べる顔を見るのが、昔から大好きだ。

 わたしたちふたりも。
 お互いがとても『大切な人』だと。

 そんな当たり前のことを、この日また見つけられた。



 そしてきっとそんな人が、これから増えていく。
 よくはわからないけれど。
 そんな予感がしてわたしは。

 明日がくるのが、楽しみになっていた。
 

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