恋するだけでは、終われない
第二話
高嶺由衣は、海原昴にとって唯一四年連続の「クラスメイト」だ。
「そう! 四年目も一緒だなんて聞いてない!」
いきなり叫ぶな高嶺、まだ僕は背景を説明中だ……。
僕たちの通う高校は、通称『丘の上』。
そこそこ大きな地方都市の中心駅からスクールバスで十五分、文字どおり『丘の上』にある私立高校で。同じ学校法人には通称『本校』と呼ばれるもうひとつの高校が、バスルートとは反対側の駅から徒歩圏内にある。
高嶺と僕のふたりは、その『本校』と同じ敷地内にある、附属中学以来の同級生だ。
「同級生はほとんどあっちに行くから、こっちにくる子なんて、ほんのちょっとだけなのに!」
お前さぁ……。
頼むから、解説中に割り込むのをやめてくれ……。
あえて追加でスクールバスに乗る上、勉強がハードだといわれる『丘の上』を選ぶ生徒は珍しくて。今年もわずかな数人だけしか『丘の上』に進学しなかった。
「なのに四回目だよ! 同じクラスが四回目とか、あり得なくない?」
あのさ……。
そんなの作者の都合、でいいじゃないか……。
とにかく!
僕にとってこの高校は、ほかの新入生たちと同じく。ほぼ知り合いのいない、まったく新しい学校だ。
駅からはやや遠いがその分、海と街がきれいに見渡せるし。あのときの人間関係の多くをリセットできそうなこの高校を、思いのほか僕は悪い選択だとは思っていない。
いや、思っていたはず、だった……。
……ところが、今朝の出来事はいったいどういうことだ!
もしかして早くも、僕の新しい高校生活は崩壊してしまったのだろうか……。
だが、そんなことを考える余裕がうまれたのは。いまも肩で風を切りながら玄関ホールをつき進む、この高嶺のおかげなんだろう。
「……な、なあ高嶺」
「なによ海原?」
「そろそろいいかな……。あ、ありがとう」
「はぁ?」
そういって、両目を大きく開いて僕を見た高嶺は。
いまさらながら、あれからずっと、僕のブレザーの裾を引っ張り続けていたことに気がついたらしい。
「うわっ!」
大袈裟な声をあげた高嶺は、慌ててその手を離すと。同時に一メートルほど横に瞬間移動する。
「な、なにいってんの? 困ってそうだったから、助けてあげたかっただけだし……」
珍しく動揺するアイツに、僕はもう一度真面目な声で感謝の気持ちを伝える。
「ありがとう。おかげでなんか、助かった」
「そ、そんなに感謝しなくてもいいから……。困った時はお互いさまだから……ね?」
一瞬の沈黙ののち、高嶺は少し大きめに息を吸う。
それから、肩を少し越えた長さの、先端にややウェーブのかかった栗色の髪の毛に、右手の人差し指を絡ませながら。
少し首を斜めに傾けると、その大きな目を精一杯細めて笑顔になる。
「そのわざとらしい笑顔、いいかげん見飽きたぞ……」
「え! なんで! 毎日やるとかわいくなれるって、雑誌に書いてあったからやってるのにひどい!」
「中学からもう四年は見てるから、さすがに飽きてきた……」
「もう! 今度からお願いされたって、絶対助けてあげないから!」
……そう、これでいい。
おかげで、これまで通りのふたりの距離感に戻れた。
並木道でなにがあったのかは、まったくわからないけれど。
高嶺までこれ以上僕に関わらせて、高校生活を『終わらせる』必要などない。だから僕はここからは、別々に教室に向かおうと考えた。
「じゃ、先に行くね!」
予想通り、アイツはそういうと。ご機嫌に手を振りながら、笑顔で教室へと進んで行く。
僕は、教室に向かうのは、もう少し時間を置いてからにしようと思って。玄関ホールから見える中庭を何気なく眺めながら、ゆっくり、のんびり歩くことにした。
……その頃。
二年生が過ごす、三階の廊下では。
早くもちょっとした騒ぎが始まっていた。
「三藤月子が動いた!」
……妙な話だけどね、それだけでもニュースになるのが月子という存在だ。
さらに今回は、特大のおまけまで……。
「男子と、しゃべったの? ウソだよね!」
そうそう、驚くよね。
「おまけに、後輩だってよ!」
ほんと、大事件だよねぇ……。
わたしは長い廊下の一番奥の二年一組を目指しながら、思わず大きめのため息をつく。
本当は、月子を守ってあげたいのに……。
「説明してる場合じゃないの! ごめんねー!」
……って、わたしのあれも悪手だった。
わたしが通り過ぎたあとで、男子たちがなにかいっている。
「おい! 三藤さんが公開告白されたって本当か?」
「いや、春香さんのほうらしい」
「マジかよ!」
「ウソだろ!」
……はいはい。
両方、違うからね〜。
まぁ、確かに。月子は周囲に一切男子を寄せ付けない上に、女子だって話しかけるのを思わず遠慮してしまう。そんな、孤高の存在だもんね。
月子は基本、わたし以外の誰とも話さない、それも認めるよ。
だから、そんな月子が自ら動いて、後輩男子になにかいうなんて……。
正直、わたしだって驚いている。
わたしが廊下をさらに進むと、好奇心を抑えるのに耐えきれなくなった女子たちが、わたしの近くに寄ってくる。
「ねぇねぇ陽子! 新入生に告られたって本当?」
ううん、違うよ。
「それを三藤さんが、一喝したんだって?」
まさか、そんなわけないでしょ。
「じゃ、新入生が三藤さんに告白したってウワサは?」
なにそれ? あの状況、見てからいってよね……。
もめごとを大きくしたくない主義のわたしは、教室に行くからごめんねと。本音を隠したまま愛想笑いで、すべてをかわして先を急ぐ。
でも、わたしたちの教室、二年一組の中に入ったら……。待ってましたといわんばかりに。クラスの皆の目が、一斉にわたしのほう向けられる。
うん、わかるよ……。
誰が一番先に声を出して、わたしに質問しようかと。お互いを牽制中なんだよね?
そしてようやく、同時に数人がわたしの名前を呼びかけた、そのとき。
全員が驚いて、わたしの『うしろ』をみて、固まっている。
「……おかえり、陽子」
決して大きくはないけれど、それでも月子が周囲に聞こえるようにしゃべったのだから。インパクトは強烈だ。
教室の扉の前に立つ、三藤月子は。
「なにも、ないわね」
もう一度、はっきりとそんなセリフを口にしてから。ゆっくりと自分の席に向かうと、一度だけクラス中を見渡すようにして、静かに座る。
わたしも隣の席に、慌てて腰掛けて。
……みんなはもうそれ以上、わたしたちに近づくことができなくなった。
「か、格好いいよ、月子!」
わたしは、思わず心の中でガッツポーズをする。
月子がこちらを向いたので、精一杯の笑顔で返すと。月子は、口元でわたしにだけわかるようなほほえみを浮かべながら。
「どういたしまして」
声を出さずに、やさしくわたしに答えてくれる。
続けて月子が、口だけを動かして。
「今朝は、驚かせてごめん」
……あ。意外と、そんなことを気にしてるんだ。
わたしも月子の真似をして、口だけで返答する。
「あんまり役に立てなかった。かえって混乱させてごめん」
すると月子は、迷うことなく。
「いいのよ、ありがとう」
そんな言葉を、返してくる。
ここでふとわたしは、いまなら聞けるかもと。甘い考えを持ってしまった。
ゆっくり息を飲み込んでから、思い切って月子に質問する。
「ところで、彼は何者なの?」
そう口を動かした、瞬間。
わたしは月子の顔に、これまでとは別の表情が浮かんだのを、見逃さなかった。
「いつか、話す」
しばらくして、ようやく月子が答えた。
いや、少し違う……。
それしか月子は、答えてくれなかった。
……もしかして、嵐の始まりは。
案外晴れた日の、ほんの少しの違和感だったりするのかもしれない……。