恋するだけでは、終われない
第六話
謎というものは得てして、深まりもするが、徐々に明らかにもなるものだ。
「おはようございます」
翌朝、駅の改札口で謎の女性を見かけたわたしは、自ら声をかける。
わたしにはまだ、やや肌寒いこの時期だけれど。
謎の女性は初夏の先取りといった感じの、淡色のアンティークな花柄のワンピースに、少しゴールドのかかったパンプスという爽やかな装いで現れた。
「新作着てみたの! どう? 似合うかしら?」
白い歯を見せながら笑う顔が健康的でかつ、大人なのにかわいく見える。
昨晩もずっと考えたのにわからない。
どうしてだろう、この女の人が、とても近しい存在に思えるのは?
「大人の女性らしいのに、かわいげもあってすてきです」
お世辞ではない。
わたしに欠けている部分を持ち合わせていて、正直羨ましい。
「褒めるのが上手ね、ありがとう」
そういうと、その女性は。
「でもね、わたしからしたらそのセーラー服だってね……」
続いて、少しイタズラっぽくほほえんで。
「短い青春のあいだしか似合わないから。と〜っても羨ましいわよ」
とても美しい声で、わたしをほめてくれた。
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン……。
リズミカルな走行音がゆっくりと近づき、やがて音が止まって、扉が開く。
お先にどうぞと通した彼女に続き、わたしも車内に入る。
「じゃ、ちょっと失礼!」
そういうと、謎の女性は。
迷うことなく昨日と同じく、シートをゴトンと目の前で倒し、即席の四人掛けを作る。
「ほらほら、奥に入った入った」
イタズラっぽさのさらに増したほほえみが、もう一度わたしを見てそう告げる。
なんだか、ほっとしたような、逆らえないような……。
おかげで、座席を巡る争いにはなんの心配も無くなったけれど。
同時になんだか謎の女性の正体に触れるわけにはいかないような、なんともいえない気持ちになる。
……実はわたしは長いこと、この謎の女性の名前を知らない。
あれは、列車で高校に通い始めた数日後。
慣れない電車で、乗り換え駅で少し気分が悪くなったわたしに声をかけてくれたのが、この女性だった。
「最初のうちは、なにも読まずに景色を見ておくほうがいいわ。これから毎日通うんだから、まずは風景と揺れに慣れなくちゃ!」
そうやさしくいうと謎の女性は、ほほえみながらわたしに、暖かい紅茶のペットボトルを渡してくれる。
「あのね、まだ飲んじゃだめよ。風に揺られて、緊張が解けてから一口だけどうぞ」
そうれから数分して、アドバイスどおり自分が落ち着いた気がして、お茶を一口飲む。
「……もう大丈夫ね」
そうつぶやくと、その謎の女性はわたしがお礼を伝えるまもなく、大きく手を振りながら階段を降りて行った。
そんなことが、あった翌朝。
わたしが列車の席に着くと、その隣に彼女が腰掛けて。
「おはよう。きょうからは、ここに座らせてもらってもいいかしら?」
その笑顔は、前日のことはもちろん。新しい高校に通い出したことも含めて。
緊張気味だったわたしを間違えなく、安心させてくれた。
「静かに座っておくから、なにか会話しながら行かなくちゃ、とか負担に思わなくていいからね。なんだったら寝ていても、わたしが起こすから気にしないで」
わたしがそのあたたかな申し出にどのように答えたのか、実はほとんど覚えていない。
確かなのは、そのとき恥ずかしくなって耳が赤くなったことくらいで……。
それからいままで、謎の女性の名前も聞けず。
加えて、特に話しという話しをせずに、ここまで過ごしてきた。
次の駅で、外から座席の配置を見かけてギョッとする海原昴を迎える。
もうひとつ先の駅では微妙にひきつりながらも、社交性抜群のスマイルを繰り出す高嶺由衣を迎えると。
この奇妙な四人掛け席は、満席になる。
謎の女性は皆と朝の挨拶だけすると、今朝もカラフルな表紙の分厚い洋書を取り出し、自分の世界に没入していて。
そして、もうすぐ乗り換え駅に到着するというとき。
先ほどまで読んでいた洋書を几帳面に黒のカバンにしまった彼女が、意味深な目でわたしたちを見渡すと。
実に楽しそうな笑顔で、宣言する。
「あなたたちの青春の邪魔したらごめんだけど、わたしは気にしないから! 明日からも、みんな集合ね。わたしは仕事の準備とかでひとりの世界で作業するから。みんなは、明日からは是非自由におしゃべりして頂戴ね!」
見知らぬ大人なのに、なぜか他人という感じがしないのは……。
いったいどうしてなの?
……昨晩ずっと考えたけれど、わからなかった。
どうやら、三藤先輩でさえよくわからないみたいだけれど。
やっぱりこんな感じの人に、最近どこかで会った気がするんだよな……。
アイツが三藤先輩と座っているのも嫌だけど。
なんか微妙なこの関係、明日からも続くわけ?
ただ、断りたくないのも、なんでなんだろう……。
アイツも、三藤先輩も、わたしも。それぞれ、律儀に彼女に会釈をしてから。
静かに列車を降りる。
「やっぱ思いつかない」
でもなんだかちょっとだけ。
わたしは明日の朝も、謎の女性に会えるのが楽しみな気がしてきた。
「……まだ青春に未練あるのかな、わたし」
三人のうしろ姿を見送ると、ひとりで思わずニヤけながらつぶやいた。
いったい、どんな結末を迎えるのかはわからないけれど。
あの子たちがとりあえず過ごせるように、お節介を焼いてみた。
「まぁ、ただのお節介焼きでもないんだけどね、わたし!」
あぁ、ほんとにきょうもいい天気になりそう!
わたしは、青い空を見上げると。
少し大袈裟に背伸びをしてから、階段へと向かう。
あの子たちには、朝だけでなく。
列車の中だけでなく。
別の場所でも、また会うことになりそうね。
そんなことを考えながら、改札に向かい。
わたしはカバンの中から。
高尾響子と、自分の名前の書かれた定期券を取り出した。