恋するだけでは、終われない
第十話
「『委員会』について、説明しておくわ」
三藤先輩はそういうと、手元の紙の中央に僕の名前を記す。
相変わらずの達筆だ、しかもなんだか。
……僕の名字を、書き慣れている気がする。
「どうかしたかしら?」
「い、いえ……。なんでもありません」
「もしかして、フルネームのほうがよかったかしら?」
知ってかしらずか、三藤先輩は僕の名字に続いて下の名前を書き足す。
「あと、出席者も書いたほうが……。わかりやすいかしら?」
僕のフルネームの下に、『三藤月』まで書いている途中でなぜか。
「う、占いとかしてるの?」
都木先輩が突然割り込んできて、書きかけの紙を手に取って。
「なにこれ? 遊んでないで仕事しなよ!」
高嶺も、その紙になぜかクレームをつけてくる。
あとで思えば春香先輩は、そのときちょうどトイレかどこかに行っていた気がする。
とにかく、よくわからないまま。
「陽子がしっかり相手していないからよ……」
三藤先輩は、ブツブツいっていて。
「ここは、『機器部』にしよっか?」
「そうですね。個人名とか、不要なんで!」
都木先輩と高嶺は。
なぜか妙なことに、こだわっていた。
「……一学期のあいだは、各部活の幹部たちが一堂に会して、いわば部長会として機能するの」
やや機嫌の悪そうな三藤先輩が、『機器部』の文字を四角く囲むと。周囲に丸を一気に並べ始める。なんだか、数が異様に多い……。
「二学期はね、その中から文化祭と体育祭の各実行委員会幹部を決定し、一気に忙しくなるわ」
先輩が丸をどんどん塗りつぶして、黒丸と白丸の集団が出来上がる。
「じゃあ、『機器部』はそんなにやることなさそうですね?」
「最初のうちは、それほどでもないけれど……」
そういってから先輩は、並んだ丸たちに、今度は朱色でバツ印を重ねていく。
「二学期になると色々ともめるのよね、だからたぶん海原くんも……」
「え?」
「こうやって夜な夜な、呪いたくなるわよ」
もしかして、朱色のバツは、呪いの印なのか……?
三藤先輩ってもしかして、黒魔術師なの?
「海原くん、先に伝えておくけれど。その調整は、わたしたちの仕事よ」
調整って、まさか『人数調整』とかで、呪って消していくとかじゃないですよね……。
「あ、あの……。いったいなぜ僕たちがそんなことを? 責任重すぎませんか?」
「いいえ、誰を呪いたくなるかはやってみれば、すぐにわかるわ」
い、いえ。そういうことじゃなくて、ですねぇ……。
「あとは、うちの学校って生徒会がないでしょ。それに『機器部』は体育祭文化祭の両方と関わりが多いから、適任ではあると思うわ」
うぅ……。
三藤先輩が、前向きなのかそうでないのかが、イマイチわからない。
加えて、さっきから目の前の紙をずっとのぞきこんでいる高嶺が、さっきからどうしてもいいたそうにしていることが……。
「あの〜」
ゲッ! まぁ、僕も同じことを思ったけれど……。
「わざわざ筆ペン、しかも二色使って説明することなんですか?」
お前、聞きかたくらい考えろよ!
「そうだね、気になるよね」
都木先輩までもう……。
ま、またもめだすのかと思った、そのとき。
「……あら? 筆ペンって割と便利よ」
「え?」
「特に朱色の筆ペンで丸つけすると、心が落ち着くわ」
「えっ……」
どうやら、高嶺の目論見は外れたようで。
「他にも、藍色の筆ペンもあるわよ。あと、この細いものはこの辺りのあまりお店では……」
まさか、まさかの。
三藤先輩の独演会が始まるのか? そんなに筆ペン好きなんですか!
「あれ、みんなでなんか仲良くしてるね?」
春香先輩がここで戻ってきたらしい。ちょっと前は、もめそうだったんですけど、ねぇ。
「陽子、きっと聞き逃したでしょうから最初から説明するわね。まず筆ペンには……」
「えっと月子ちゃん……。陽子も戻ってきたんで、あっちで説明聞いてこよっかなって?」
「三藤先輩、も、もうこの辺でいいんで。あとはコイツが聞きますから!」
都木先輩と高嶺が、春香先輩の背中を押して広くもない部屋の反対側に移動する。
「……さっきは、邪魔したじゃない」
「え?」
「なんでもないわ。海原くん、『委員会』の話しに戻るわよ」
こうして筆ペンの話題は、一旦お預けとなり。
このあと僕たちはそれぞれ、少しだけ部活らしいことを進めていった。
「……これで、よしっと」
部室の鍵を閉めた僕は、三藤先輩と春香先輩に連れられ、職員室へと向かう。
「藤峰先生、部室の鍵を返しにきました」
「あらー、噂の新部長直々のお出ましね。どうなの、美人のお客さんを満載した船頭の気分は?」
春香先輩はまた大袈裟な、といわんばかりに苦笑する。
三藤先輩は無言で視線を逸らし、右手で長い髪に少しだけ触れるだけで。
もちろん先生はふたりの反応は織り込み済みなので、まったく気にもしていない。
「先生、冗談はさておき今年度の『機器部』ですが、部員も増えたので、部活の終了時間を延長したいと思うのですがよろしいでしょうか?」
「そんなのは月子副部長。しっかり部長と話し合って決めてくれれば、わたしはいくらでもウェルカムよー。あ、あとね。せっかくだからこの際、部活動の範囲を広げてみるっていうのはどう?」
そういうと、藤峰先生は僕たちの返事も聞かず。
いつもの悪戯っぽい笑顔をしてから、ほかの先生たちと会議室のほうへと歩き出す。
「あ、先生。鍵を……」
「これのことかしらー?」
い、いったいいつのまに僕の手から取っていったんだ?
「それでは、都木先輩たちが待っているから帰りましょうか」
表情を変えることなく、藤峰先生のうしろ姿に丁寧に一礼する三藤先輩に続いて。
春香先輩と僕も、軽くお辞儀する。
藤峰先生は、ちょうどそのタイミングで、うしろを振り返ることなく右手を挙げてひらひらと振っていた。
「女王は、うしろにも目があるんですか?」
思わず口にした僕に、ふたりが同時にため息まじりにこういった。
「だから、魂が抜かれる気がするのよ……」
……玄関ホールで、ひとあし先に靴を履き替えると。
僕の元に、春香先輩が先にやってくる。
「月子、ちょっと忘れ物を取ってくるって」
「じゃぁ、ここで待ちましょうか?」
春香先輩は、返事の代わりに僕のブレザーの裾をくいくいとひっぱると。
「あのさ……」
なんだか小さな声で話しかけてくる。
「海原君、遅くなったけど。月子を変えてくれてありがとう」
「へ?」
いきなりそんなことをいわれると思わなかった僕は、一瞬驚いた声をあげる。
「ほら、知っての通り。あの子はわたし以外と、話さないでしょ」
確かにそう聞いた、だけれど……。
「いまは、藤峰先生にも都木先輩にも高嶺にだって。ガンガン遠慮ないですよね」
「そう。すっごい変化だよねー! でもね、あれでもまだほとんど『部活の人とだけ』なんだよ」
春香先輩は自慢げに、ただ少しだけ寂しげな声で僕に告げる。
「だけどね、本人はすっごく努力している、というか、変わってきたの。わたしも本当にびっくりしてる」
陽が傾きかけた並木道の先で、誰かがこちらに手を振っているのが見える。
きっと、都木先輩と高嶺だろう。
「それでね、海原君……」
春香先輩が、僕をじっと見つめてきて。
なにか、大事なことを伝えようとしてるのがわかる。ところが。
「……お待たせ。あら陽子、どうかしたの?」
三藤先輩が、不意に現れると。
「ううん、なんでもないよ」
春香先輩はそう答えると、この話しはこれきりとなってしまった。
……あのとき、春香先輩の伝えたかった言葉の中身を、僕はいまだに考えることがある。
聞いておくべきだったと思う気持ちは。
はたして、後悔とでも呼ぶものなのだろうか?
確かなこととしては、あの日も。
校門までの並木道には、やさしい風が吹いていて。
再合流した僕たち五人はバスに乗ると。
駅までのあいだも、にぎやかなひとときを過ごしたことだ。