恋するだけでは、終われない

第十二話


海原(うなはら)! 遅い!」
 放課後、初めて入った社会科教室では。
 春香(はるか)陽子(ようこ)高嶺(たかね)由衣(ゆい)がすでに、『委員会』の会場設営を開始していた。

「いやすまん。担任に野暮用頼まれて、三分遅れた」
「その三分と、わたしが走ってきた時間足したらもう五分じゃん!」
「だからごめんごめん。……っていうか、お前。それに春香先輩もふたりともこんなところでいったい……」
「会議に出ないのと、お手伝いするのは別でしょ?」
「おまけにデビューなんだからさぁ。さっさと準備しなよ!」
 ひとりは笑顔で、もう片方は無駄に突っ張ったいいかただけど。
 僕にはそのどちらも、ありがたい。

「なかなかやるよな……」
 僕が思わず、独り言をつぶやくと。
「自分で自分のことをほめるなんて、海原は結構ナルシストだな」
 驚いて振り向くと、そこには長岡(ながおか)(じん)がいて。
 もうひとり、長身の彼と同じくらいの背だが、横幅もそれなりにある刈り上げ頭の先輩の姿がある。

「いえ、僕のことじゃなくて、高嶺のことを……」
「ん? それはあの、栗色の髪の毛、とかいう女子のことか?」
 刈り上げ頭の先輩の、低く大きな声が飛んでくる。
「し、失礼しました。一年の、海原(うなはら)(すばる)と申します」
「まぁ、無愛想なヤツだから驚くよな。こいつは田京(たきょう)(はじめ)、柔道部の部長だ」
「は、はじめまして」
「おう、ウナハラよろしくな」
 あれ? 一発で名前を覚えてくれた?
「こいつはこんな見かけだが、姓名判断とかが趣味らしくてな。人の名前覚えるのが得意なんだ」
 長岡先輩がそう解説してくれると、田京先輩が無言でうなずく。
 なるほど、人は見かけにはよらないもんだ、昔おばあちゃんだかに習ったっけ。
「おぉーい。長岡君と田京君。ふたりとも大きいんだから、陽子とか由衣ちゃんの代わりに机とか移動してあげてよー」
 なにやら大きな箱を抱えた、都木(とき)先輩が声をかけると。
「了解!」
「うむ」
 短く即答すると、倍速ですか? みたいな俊敏さでふたりが働き出す。
 うん。都木先輩って、やっぱり偉大だ。


 机などの配置が終わりかけると。
 僕から遠く離れた前の扉から、今度は三藤(みふじ)月子(つきこ)がパソコンなどを手に入ってくる。
「……司会進行君は、こちらにきててもらえるかしら?」
 三藤先輩が凛とした声で僕を呼ぶと、ガタッガタッと大きな音がして。
 まるで、宇宙人でも見たかのような顔で、教室内の皆がフリーズする。

「びっくりしたでしょー? 月子ちゃんの変身モード」
 都木先輩が笑顔でそういって、いわれた本人は涼しい顔で席に着く。
「あ、ああっ……」
 どこかの三年生が妙な声で返事をする。
「でもそっとしておいてあげてねー。周りが色々いったらダメだよー」
 都木先輩はご丁寧に、ボリュームを一段上げて皆に念押しする。
「あ、あの三藤が……。いましゃべったよな……」
「あの子が、まさかそんな?」
「こ、ここまで。き、聞こえたよね……」
 三年生たちの、まるで目の前で奇跡でも起こったかのようなこの状況は。
 いったいどういうことだろう?

「おいっ!」
 そんな低い声がしたかと思うと。
 半ば血走ったような目をした田京先輩が、僕を抱え出すようにして、廊下に連れ出す。
「海原! お前は、いったい何者だ!」
 別のどこかの先輩も、叫ぶように僕にいう。
「あの三藤に、なにをした!」
 ……いやいや、こっちが知りたいんですよ。
 三藤先輩って、いったいみなさんにとってどんな存在なんですか?
 もちろんそんなことを偉そうに聞けるわけがない僕は、返答に困ってしまう。

「はいはい、馬鹿なこといってないで! 中に戻りなさい」
 教室の中から、都木先輩が手を叩くと。
 田京先輩たちは、わけがわからないと頭を振りながら戻っていく。
 逆に今度は、僕だけが。
 都木先輩を見つめたまま、固まっている。
 もういっそこのまま、先輩に司会進行を任せたほうがいいんじゃないですか?


「ちょっと……。いつまで都木先輩にみとれているの?」
 三藤先輩が、そういいながらわざわざ廊下に出てくる。
「海原君は、議長席に行きなさい。あと、わたしは海原くんの隣にいるわ」
 先輩は、僕のブレザーの裾をやや強めに引っ張り、僕を軽くにらむように見つめながら。
「まぁ都木先輩も、わたしと反対側にいることはいるわね……」
 小さな声で、ボソリと付け加える。

 僕たちのやり取りを目ざとく見つけた高嶺が、ズカズカと歩み寄ると。
 三藤先輩と僕のあいだに、割り込んでくる。
「アンタさぁ。先輩たちにみとれてる暇あったら、机の上の資料早く読みなよ!」
「え?」
「『わたし』と春香先輩で刷ってあげたんだから!」
 そ、そうなの? いったいいつのまに?
 そんなことを聞く暇もなく、いい終えた高嶺はくるりと向きを変えて。肩をいからせながら、大股で『機器室』のほうへと消えて行く。
「……実は由衣ちゃん、前から準備してくれていたんだよ」
「えっ?」
 三藤先輩となにやら話し終えた春香先輩が、僕にボソッとつぶやくと。
 軽く走りながら高嶺のあとを追う。
 しまった。お、お礼をいいそびれた……。
「ミスター・ウナハラは、あなたが思っているより多くの人に支えてもらっているのでーす!」
 毎度毎度、神出鬼没の藤峰(ふじみね)先生が突然目の前に現れて。
「ま、だから会議もよろしくね」
 無駄に右目でウインクして、笑顔になる。
 顧問だから、『委員会』の担当……でもあるんですかね、きっと?

「いいから座って。いますぐ、資料を覚えなさい」
 三藤先輩が、藤峰先生をさり気なく僕から引きはがしながら催促する。
「りょ、了解しました」
 僕は急いで教室に入ると、残されたわずかな時間を使い、全力で資料に目を通しはじめる。
 参加する先輩がたは、当然部長副部長なのでほぼ例外なく三年生ばかりで。
 後列に座る書記あたりに、若干の二年生が混じっている。
 そ、そんな皆に、失礼にならないように『委員会』を進めないと……。


 僕は、プレゼンテーションのスライドとしてまとめられた手元資料を時折目にしながら、会議を進める。
 資料は、まるで司会進行の台本のようで。
 使われている言葉は、若干特徴的だがとても馴染みやすい。
「それで、本日の議題ですが……」
 読みながら、僕自身が驚く。
 議題が、顔合わせ、各部の紹介と……、今年の活動目標だと?

 ……じ、時間を稼がねば。
「と、とりあえず……。時計回りにお願いします」
 僕は司会者特権で、都木先輩の一番近くでに陣取っていた長岡先輩から順繰りに話してもらうことにする。
 長岡先輩は一瞬、俺か? そんな顔をしたものの、元気よく部の紹介などを始めてくれる。
 し、知り合いになっておいて、よかった……。

 スタートダッシュの人選がよかったのか、会の進行は極めて順調だ。
 で、すいません……。
 会議が始まって以来、本当になにも口にしない三藤先輩。
 さっきから、目線もずらしている三藤先輩。
 僕たち、『機器部の活動方針』っていったいなんですか? そんなの手元の資料にもないし、そもそもまったく決めてませんけどー!

 三藤先輩が、会議中に絶対話さないと心に決めているのは。
 始まる前のオーラーからも、十分理解している。
「本日の副議長の……」
 冒頭の挨拶で、僕が三藤先輩に話を振ろうとした際は。
 机の下の見えないところで、僕のズボンを一瞬強く横に引っ張り、上目遣いに鋭く一瞥されて。
「二度と話しを振らないで」
 そんな強い意志を、僕に伝えてきた。
 だから絶対。いま相談しても答えてはくれません……、よね……。

 じわりじわりと、会議が進んでいく。
 議長特権で、僕がスルーするという方法もあるかも知れない。
 でも、ポーカーフェイスの三藤先輩と、僕のようすを逐一観察して楽しんでいる、味方のはずの都木先輩。
 そして誰より、大御所のごとく控える藤峰先生の顔を順番に見て確信するのだ……。
 そんなことは無駄だ。
 あの女王は、確実に僕の命を、狙っている……。


 いよいよ手前ラストワンとなったそのとき。
 机の上から膝にずらした僕の左手に、少しあたたかいものが触れる。
「ん?」
 僕が、目でそちらを追おうとした一瞬前。
 三藤先輩の右手が、素早く僕の左手を開いて。薄いなにかを置いた。

 それは、僕をこの世界に引き込んだ魔法のカードだった。


 僕は早速、青みがかった淡い紫色のカードに視線を落とすが、残念なことになにも書かれていない。

 慌てて三藤先輩の顔を見ると。まるで僕が、先輩を見るのを待っていたかのように。
 声には出さないけれど、やや物憂げで、ほんのり潤みがちで、どこまでも澄んだ紺色のふたつの瞳が。
 音のない声で、僕に教えてくれる。

 
「ウラガエシテ」


 カードには。
 少し細めの、藍色の筆ペンの走り書きで、ひとこと。


 ……それを僕は。


 三藤先輩らしくて、素敵な言葉だと思った。


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