恋するだけでは、終われない

第十三話


 『委員会』が、終わった……。
 隣で三藤(みふじ)先輩は、まるで何事もなかったかのように。
 几帳面に書類をまとめて、帰り支度をしている。

 反対側からは、大袈裟に都木(とき)先輩が褒めてくれる。
海原(うなはら)君! 初めてとは思えないくらいだったよ。すっごくよかった!」
「ありがとうございます。実はこの資料が、司会進行の台本みたいで。おかげでとってもやりやすかったんです」
「お、それ懐かしいやつだな〜」
 長岡(ながおか)先輩が長い腕を伸ばしてきて、うしろから僕の資料を手に取る。
「いやー、去年は大変だったよなー。美也(みや)を辞めさせちゃった責任取れとかいわれて、陽子(ようこ)ちゃんにすんげー怒られてさー。三藤さんが作ったスライド写して、俺が代理議長やったんだよなー」
「ちょ、ちょっと長岡君! それ、いまいっちゃダメ!」

 都木先輩が、慌てて止めたのだけれど。
 僕はもちろん、三藤先輩にも思いっきり聞こえてしまった。
 長岡先輩が、氷の彫刻になっている三藤先輩のほうに、首を動かせずに視線だけを動かした瞬間。
 明らかに、恐怖で怯えて固まる。
 それと同時に。
「……先に戻るわ」
 そんな心の声が、僕に向けて氷の彫刻から発せられたのも感じた。

 吹奏楽部や文芸部などの部長たちと、所属する柔道部の副部長を連れてきた田京(たきょう)先輩が。固まっている長岡先輩に、とどめのひとことを放つ。
「長岡、お前そんなんだから、都木さんに振られたんだぞ」
 都木先輩が、苦笑いしながら。
 昔のよしみか、肩を落としてしょげている長岡先輩をやさしく諭している。
 三年生はやっぱり色々な意味で、僕とは違って大人だよなぁ。


「ところで海原、話がある」
 ひと段落着いたところで、田京先輩がおもむろに口を開く。
 敵意がないのはわかるけれど、まっすぐな目と、低く大きなその声だけで。
 僕はすでに背負い投げでもされたあとのように、思わず緊張してしまう。
 いや、恐らくそれだけではあるまい。先ほどまでとはうって変わったような長岡先輩に加え、そのうしろに控えている各部長たちの雰囲気にも。
 なにかこう、一種の覚悟のようなものを感じてしまう。

「ちょっとちょっと、長岡君と田京君。それにみんなも、海原君にそんなに迫っちゃダメだからねー」
 都木先輩の絶妙なワンクッションのおかげで、雰囲気が少し緩んだので僕は。
 一気に十人以上の先輩に囲まれたのって、人生で初めてだよな……、などと的外れなことを考える余裕が、一瞬だけうまれた。
「若輩者の司会進行で、ご迷惑をお掛けしたならごめんなさい!」
 とりあえず不手際でもあったのなら、謝るのが吉と考えた僕がそう口にすると。
「いや、それは別になんの問題もない」
 田京先輩が、少し声量を落としていってくれた。
 失礼ながら、見かけによらずそんな気遣いとかもしてくれるのか、と僕には少し意外に思えて。
 ただ同時に。
 ではいったいどんな用件でここに集まっているんだろうか、という疑問が湧いてくる。

「いや、な」
 長岡先輩が、少しだけ、照れくさそうに。
「さっきのお前の部活の活動目標を聞いて、応援してるぜっていいにきただけなんだ」
 長岡先輩が、意外なことを口にしてくれて。
 うしろに控えているほかの部長たちも、うなずきながら僕を見てくれている。

「実をいうとね。一年生が議長になったり、会を仕切るのはどうかという意見があってね……」
 文芸部の部長が、遠慮がちに教えてくれる。
「ま、まぁ、それは去年も似たようなことがあったから、ちょっと気になっていたんだ」
 長岡先輩だからこそ、重みがある言葉に思えてきた。
「だから、ここにいる連中は。お前らを応援してやるぞ、という意思表示だ」
 田京先輩の熱い思いが、僕の心を打つ。
「よかったね! 海原君の『応援団』がここにいるとでも、感じてくれたらいいんじゃないかな?」
 都木先輩がほほえみながらそう口にすると。
 ほかの先輩たちも満足気にうなずきながら、僕を見てくれている。 

 周りを、あたたかな輪で囲まれているようだと感じて。
 ……いい高校にきたんだなぁ、単純な感想だけれど、それが事実なのだと理解した。
「ありがとうございます!」
 気の利いた言葉は出ないけれど、これだけでも十分伝わるだろう。
 先輩たちはもう一度満足そうに僕を見てくれて。
 最後に、長岡先輩が。
「これからも一緒に頑張ろうぜ!」
 そういって、ガッツポーズを決めて。
 この日の『委員会』は無事に、終了した。



 ……先輩たちを見送り、僕が最後の片付けを始めようとすると。
「あれ?」
「もう、終わってるよ」
 本当だ、都木先輩がいうとおり、教室が元通りになっている。
「海原君、わかる?」
 先輩は、少し演劇がかった口調でそういうと。

「さっきの輪にいなくても、君を見てくれていた子たちは、他にもいるってことだよ」
 うれしそうに、軽く右目をウインクさせて。
 それからスカートをふわりとさせて、機嫌よく一回転してみせた。


 ……僕にはとても、都木先輩の姿が美しくて。
 だから、しばらく声を出せずにいて。
 でも、なにか口にしなければと思ったけれど……。

「あ、で、でも。一番の応援団は、やっぱり月子(つきこ)ちゃん、かな……」
 都木先輩がなんだか急に、よそよそしい声になったと思ったら。
「……きょうはずいぶんと、都木先輩にみとれることが多い日ね」
 聞き慣れた声に、僕が驚いて振り返ると。
 先に戻っていたはずの三藤先輩が、扉の前で僕たちを見ている。

「さ、先に戻っとくね!」
 都木先輩はそれだけいうと、パタパタと走って消えていく。
「なにか、話していたのかしら?」
「え、えっ……」
「ね、念のためお伝えするけれど。海原くんが無言だったところからしか、み、見ていないわよ」
 三藤先輩の耳が、例によって少し赤くなっている。
 それから、僕は……。



「……まず、三年生の先輩たちが」
 馬鹿正直に説明をはじめようとした、海原くんに。
「それはいいから、早く部室に戻るわよ」
 それだけ伝えて、わたしは足早に廊下を進む。

 わたしはただ、やっぱり社会科教室でお疲れさまと伝えようと戻ってきただけで。
 そうしたら海原くんの背中が、いつもと少し違って見えただけだ。

 都木先輩となにを話していたのかは、本当に聞いていない。
 加えて、きょうの都木先輩の存在は、とてもありがたかったから。
 海原くんが少々その姿を『格好いい』と思っていても、わたしは気にならない。

 なのに、どうして。
 都木先輩は、あわてていたの?
 海原くんも、あせっているの?

「わからないわね」
「へっ?」
 わたしのつぶやきに、反応してくれてありがとう。
 ただ、わたしがわからないのは、わたしの心の中のことだから……。

「あの、三藤先輩……」
 あと少しで『機器室』に着く、そんな場所で海原くんがわたしに声をかける。
 聞いてもいい話し、なのよね?
 そう返事をしようと口を開きかけた、そのとき。

「お疲れっ!」
 高嶺(たかね)さんが、ここで現れて声をかけてきて。
 話しの続きは進まなかった。



 ……あれ?
 やっぱ声をかけるタイミング、違ったのかな?
 ふたりの表情が微妙だけれど、急いで歩いてたから、別にあえて邪魔する必要もなさそうで。
 それに、きょうくらいは労ってあげないとね。

「お疲れっ!」
 だから、そうやって声をかけたのに、
 三藤先輩が、一瞬戸惑ったみたいで。
「迷惑でした?」
 つい、そのまま言葉を重ねてしまった。

「……ありがとう、高嶺さん」
 ところが、どうやらわたしは。
 三藤先輩の、変なスイッチを押したみたいだ。


「……海原くん。あとできょうの議事の進めかたについて、色々と指摘させてもらうわ」
「は、はいっ!」
 ゲッ……。
 しかも押したのは、『完全部活モード』じゃん!

「あとそこの高嶺さん、資料をとめたホッチキスの向きだけれど……」
「うわっ、めんどくさっ……」
 わたしは、あえてそう口に出すと。
「お疲れさまでした!」
 なんだか無駄に大声を出して、三藤先輩がひるんだスキに、急いで部室に走り出す。

「待ちなさい!」
 あぁ、なんかよくわかんないけど。
 その声が、少しだけ笑っているように聞こえたから。

 たぶん、いまはこれでよかったんだと。
 わたしはそう思うことにした。


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