恋するだけでは、終われない
第三章
第一話
「改めまして。はじめましてのコたちと、毎朝の三人組!」
よく澄んだ、明るい声が呼びかける。
「藤峰佳織の親友で、ここで放送部の顧問をしています。高尾響子です」
僕たちの『再会』は、校門の前から始まって。
いまも特大の紙袋から取り出した山盛りのパンを食べながら、やや古めかしい会議室の中で続いている。
藤峰先生と中学・高校、おまけに大学も同じで。加えてやっぱり英語の教師。
校門では、久し振りといっていたけれど。
実はほぼ毎週末、一緒に買いものに出かけるほどの、相当な仲良し。
……ということは、つまり。
僕たち三人の、いままでの列車内のやり取りは……。
「絶対に、全部筒抜けよね……」
「個人情報保護なんてなにそれ、おいしいの? みたいに思ってそう……」
三藤月子と高嶺由衣が、絶望的な顔で僕を見る。
きっと、ありとあらゆる情報が。
ふたりのあいだで、常に共有されているに違いない。
あぁ。これじゃまるで、悪魔の会合だ……。
「そんなこと気にしても仕方ないわ。毎朝わたしと一緒に通えてラッキーとでも思えばいいでしょ?」
ふ、藤峰先生と……。毎朝一緒に、通うんですか?
「そうそう、学校にもわたしがいると思えばいいのよ!」
高尾先生が朝だけじゃなくて、『丘の上』にまでいるんですか?
ふたりして、どう? いかにも楽しいでしょう? そういいたげな顔をされても……。
そんな規格外の発想に、僕はなにもいう気になれない。
「はい! この袋が、響子の分ね」
「佳織、メロンパンちゃんと四つ買ってくれた?」
どうやら特大サイズのパンの紙袋まるまる一袋分は、高尾先生からの頼まれものらしい。
袋の中をガサゴソしながら盛り上がるふたりを横目に、チーズのかかったデニッシュを手にして固まる三藤先輩の目がうつろになっている。
高嶺は、やっとありつけた昼食に夢中というか。早々に気持ちを切り替えて、やけ食いに走ることに決めたようだ。
都木美也と春香陽子は、小さな声で。
「偶然って、怖いよね……」
「でもこれ、ほとんど罠にかけられたって感じじゃない?」
自分たちじゃなくてよかった、そう心から安心したという表情で。ふたりで美味しそうにチョコクリームパンを食べている。
あれ、でも……。
「え、それって?」
「ん? どうしたの海原君?」
僕が食べようと、手元に置いておいたパンじゃないか……。
こうして山盛りのパンが、いつのまにかみんなの胃袋に消えると。
「それじゃぁ、放送部の見学でもさせてもらおうか?」
藤峰先生が、単にパンを食べにきただけじゃないのよ、と僕たちに告げる。
「あと五分くらいしたら、案内役の部員がくると思うわ」
高尾先生が、ニコリとしながら補足して。
待ち時間を利用して。僕は失礼ながら、トイレにいかせてもらう。
それから会議室へと戻ろうとすると。
ちょうど扉を開けた高尾先生と、バッタリ出会う。
「海原君、ビックリしたでしょ?」
「いろんな意味で、驚きました」
「そうね、これこそ『ご縁』とでもいえばいいのかしら?」
「そうですね、なんというか……。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ!」
高尾先生が、笑顔でそう答えてくれると同時に。誰かに気づいたようで、右手をあげて大きく振りだす。
「玲香ちゃん、こっちこっち!」
「は〜い!」
僕の背中のほうからパタパタと、軽い足音が近づいてくる。
「海原君よりひとつ上の子でね。と〜ってもかわいいのよ〜」
高尾先生がイタズラっぽい顔でそんなことをいった、そのとき。
「……え? ウナハラって? ……もしかして、昴君?」
その声を聞いても、一瞬誰かわからなかった。
いや。
……振り向いてからも、時間がかかった。
カチ、カチ、カチ。
廊下に時計はないけれど、過去の記憶を取り出すための数カウント。
「なになに、もしかして、知り合い?」
高尾先生の好奇心たっぷりの声が、僕の記憶を呼び覚ます。
「……え、えっ?」
確かに、わからなかった。
でも、その子の存在を忘れてしまったのではない。
僕が、気づけなかったのだ。
「も〜。まさかこんなトコロで会うとは思わないから仕方ないけど……。昴君さぁ。いま、わたしのこと忘れてたよね?」
少しわざとらしく右の頬を膨らませながら、彼女が僕を見る。
うん、その姿だけは、昔と変わっていない。
……こうして、僕は。
赤根玲香に、再び出逢った。
「……はじめまして。放送部の渉外担当の、二年の赤根玲香と申します。本日は『丘の上』の皆さんがいらっしゃるとうかがって……」
……って、なにこれ?
わたしにひしひしと迫る、鋭い視線……。
わたしの話しまともに聞いてるの、響子先生と。
あっちのニコニコ顔の顧問の先生くらいじゃない?
それになに? 昴君。
君までどうして、そんなに居心地悪そうなわけ?
……高尾先生と玲香ちゃん。そして僕が、なごやかに会議室に入った瞬間から。
会議室は、まるで地獄とブラックホールが同時に渦巻き出したようになった。
「えっ!」
まず、都木先輩が思わず両手を口に当てて、目を見開いて固まって。
「ちょっと……」
春香先輩が、明らかに僕から目を背けてフリーズして。
「は?」
高嶺の怒りのオーラが、会議室の窓ガラスをすべて割ってしまいそうな、迫力で。
「 」
三藤先輩は、かっこの中がすべて。白い空白で、埋まってしまった……。
「なるほど〜、そういう展開か……」
藤峰先生、口元が笑ってますけど……。
「えっとまぁ、偶然が重なると……。『ご縁』っておもしろいねぇ〜」
高尾先生! 完全に、笑いをこらえてますよね!
そんな状況下、なんともいえない空気の中で玲香ちゃんが自己紹介をする。
はい、僕の責任、じゃないけど……。
ぶ、部長ですから。さぁみなさん、返礼しますよー。
だから『機器部』のみなさん、お、お願いですから……。
そろそろ、そのめちゃくちゃこわばるっているお顔とかを。元に戻してもらえませんでしょうか……。
「玲香ちゃん、ありがと……。ウゲッ!」
「アンタ、どうかした?」
どうしたもこうしたもないだろう! 高嶺が、机の下から思いっきり僕のスネを蹴り上げる。
「なんだか、随分と親しげな呼び名があるのね」
三藤先輩……。あ、そ、そうか。
「失礼しました、玲香先輩ありがとうござ……」
いいかけて、今度は春香先輩の目が僕を射抜いてくるのに気がつく。
「『名前呼び』とか。うちの部活でやらないのに。部長って、斬新だねぇ〜」
「あ、赤根先輩、ありがとう……、ございました……」
どうにか、これで落ち着くと思った。
は、はずなのに……。
「ねぇ昴君?」
その低い声に、思わず背筋が凍る。
「誰、それ?」
「へ?」
う、うそだろ……。
今度は玲香ちゃん、じゃなくて玲香先輩、でもなくて赤根先輩が。
僕をジロリと見ながら、不機嫌な顔をしている。
「なんだか、わたしたち『他人』みたいだね」
「ひえっ……」
僕が思わずそんな声を出して、都木先輩に助けを求めたけれど。
ダメだ……。
都木先輩はまだ目を見開いたままで……。
お願いだからそろそろその口から、両手を外してください!
「そこのあなた、まさか『他人』だという自覚がないのかしら?」
三藤先輩が、容赦無く次の燃料を投下する。
「小学校で五年間毎日仲良く遊んでましたので、ちっとも『他人』じゃないんですけど。ね? 昴君?」
ぐ、偶然の再会なのは本当で……。
ただ、小学生のあいだ、遊び仲間だったのも事実で……。
僕は恐る恐る、玲香ちゃんをチラリと見る。
いまは三藤先輩と同じくらいの背丈で、これまた同じくらいの黒髪と長さだけれど。
ただし先端が微妙にウェーブがかっていて、スカートは高嶺並みに短めで、春香先輩的ソフトさとは違うけれど、どことなく『お姉ちゃん』みたいで……。
……い、いや。
いまはそんなことは、どうでもいい。
ただ、その見た目のかわいさとは裏腹に。結構気が強くて。
当時の男子たちの、密かな呼び名は確か……。
あぁ……。
僕の頭の中で『デストロイヤー』という単語が、ぐるぐると回っている。
ま、まずい……。
いまから、僕だけ逃げ出してもいいですか?
「じゃ、じゃぁ……。ちょっとわたしは佳織と、積もる話でもしようかなー」
「そ、そうだねー。響子と会うの『とっても』ひさしぶりだもんねー。じゃぁみんな、あとはヨロシクね!」
大人というものは、実に都合のよい生きものだ。
確か、先週末もお出かけしていたはずなのに。
ふたりは白々しく再会を祝し合って。僕たちは全員、むりやり会議室から廊下に追い立てられると。
「ガチャ」
……って先生たち?
いま、会議室に鍵かけたましたよね!
やはり、というべきか。
玲香ちゃんは我が部の四人を前に、一歩もひることなく。
「ふ〜ん」
そういうと、あえて挑み掛かるように。大袈裟に両手を腰に当てて対峙している。
「と、とりあえず見学に……。い、いきましょうか……」
天に祈るような気持ちで、僕が小さく声を出すと……。
「そ、そうだね。海原君がイマイチなのは仕方ないね!」
な、なんだか都木先輩。さり気なく僕をディスリませんでしたか?
ただ、それがきっかけとなって。
「確かに、仕方がないわ……。もういいわ、いきましょう」
大きめのため息をついてから、三藤先輩が、フォローする気はないと告げて。
「昴君がよそよそしいのはもういいので。どうぞ、ご案内しますね」
玲香ちゃんが負けじともっと大袈裟なため息をついてから、歩き出す。
「もう、仕方がないから、いってみようか〜」
「そうそう。コイツなんて気にしても仕方がないから、いきましょう」
春香先輩と、高嶺が僕の前をそういいながらスルーして。
ま、まぁいいんですけどね……。
とにかく、なんだか妙な方向性で。
みんなが一致団結してしまった。