恋するだけでは、終われない
第三話
「またね〜!」
高尾先生が、とびきりの笑顔で『坂の上』の校門から手を振っている。
「ありがとうございましたー!」
まっすぐな声を届けながら、都木先輩と高嶺が大きく手を振り返す。
三藤月子と春香陽子の両先輩は、少し控え目に手を振ると、きれいなお辞儀で返礼する。
僕ももちろん、ぎこちないけれどそれにならう。
藤峰先生は、そんな僕たちを満足げに眺め終えると。
「さぁ、帰るよ!」
無駄に大きな声を出して、楽しそうに歩き出す。
坂道を下りながら、僕は帰り際に、玲香ちゃんにこそっと告げられたことをを思い出す。
「駅の近くに本屋さんがあるから、そこで待っていてくれる?」
「えっ?」
「片付け終わらせたら急いでいくから。お願いっ!」
……特に、断る理由もないのだけれど。
恐らくこのままなら、僕は三藤先輩と高嶺と同じ列車で帰ることになる。
あ……。これは、断る理由、じゃなくて。
むしろ、断ったほうがいい理由だった、とか……?
「ねぇ海原、なに考えてんの?」
野生の勘鋭く、高嶺が僕の顔を覗き込んでくる。
「きっと部活動のことよ。高嶺さんと違って海原くんは真面目だから」
「いや、この顔見てからいいません?」
「どういうことかしら?」
三藤先輩が高嶺より近くにきて、僕の顔を覗き込もうとして。
「ちょっと、近いんで、離れてください」
「高嶺さん、あなたが下がればいいでしょう」
また無駄にふたりで、もめだした……。
「も〜、帰り道でやめてよ〜」
「陽子、ここなら誰もいないし、多少大声でも平気かもよ?」
「美也ちゃん、あおっちゃダメ〜!」
「じゃあ、代表してわたしが見てあげよっか?」
「先生、もっとややこしくなるからやめて〜」
そんなことをやりながら。華やかな女子たちがにぎやかに、駅への坂道を下っていく。
「確かに、部活ではないなにかを考えている顔ね……」
「えっ?」
「もしかしてなにか、浮かれている?」
「でしょ! やっぱアンタ、なに考えてるかいってみなよ!」
高嶺に噛みつかれそうで、慌てて僕が離れようとしすると。
「ちょっと……、静かに。並んで!」
春香先輩が、静かだけどピシャリと告げてきた。
……なるほど。
視線の先に、玲香ちゃんと同じ制服の女生徒たちの集団が見える。
彼女たちは、まるで隊列を組むかのように、揃って坂道をのぼっている。
先頭の女生徒ふたりが、僕たちの存在に気づく直前。なぜか藤峰先生が脇道に隠れてしまう。
間違いなく、三藤先輩は気づいたはずだけれど。
特になにも、口にしない。
僕たちの先頭を歩く三藤先輩が、すれ違う瞬間にわずかに会釈をする。
相手の先頭のふたりも、無言で会釈を返す。
するとにぎやかだった三十人ほどの集団が、一気に静かになると。ぎこちなく会釈をして通り過ぎる。
だが後方になると統制も乱れ気味になり、わずかな話し声がして。
僕にはそれが、聞こえてしまう。
「あの制服『丘の上』じゃない?」
「あー、玲香先輩『だけ』残っていいっていわれてたヤツ?」
「でも顧問らしき先生がいないよ?」
「違うのかな、でもうちの高校からの帰りだよね?」
「でさ、伝説の話しって、本当かな……?」
「……放送部の人たちだったようね」
集団から随分と離れたあとで、三藤先輩が口を開く。
「なんかちょっと感じ悪かったですよねー」
高嶺が話を続ける。
「まぁ、不審な動きをした人がいたからかも知れないわね」
「そうだよ海原。アンタさぁ、よその女子高生までジロジロ見ないでよ!」
「高嶺さん。今回は海原くんではなくて。突然消えて、ちゃっかり戻ってきた藤峰先生よ」
「い、いや〜。きょうの訪問は、半分非公式みたいなものだからねぇ〜」
あれ?
珍しく、女王が恐縮している。
「では、いきの大量の飲みものはいったい?」
「あ〜。あれはちゃんと、名も無きどこかからの差し入れということで。そのうち響子が配るからそれでいいんじゃない……かな?」
うーん、三藤先輩に押されっぱなしの藤峰先生が。
いつもとは、なにか雰囲気が違う気がする。
……そういえば高尾先生も。
わざわざこんな機会を作ったのに、玲香ちゃんだけ残したのも、いったいどうしてだったんだろう?
答えがわからないまま、僕たちは駅に着く。
藤峰先生は学校に戻り、都木先輩は予備校の見学にいくらしい。
春香先輩は、せっかくなので普段こないこの街でもう少し過ごす、ということで。
先に戻るふたりを改札で見送ってから。
「ま、春香先輩とご一緒できるなら。わたしもいこっかな〜」
高嶺が、で? アンタどうすんの?
そんな顔をしながら、僕に口を開きかけると……。
「海原くん。申し訳ないのだけれどきょうは、三人にさせて貰ってもいいかしら?」
「えっ?」
僕ではなく、高嶺が驚いた声を上げる。
いつもなら、三藤先輩にそういわれたら少し落ち込むのだろうけれど。
きょうはこのあと、非常にいい出しづらい予定が入っている僕としては……。
まさに渡りに船、の提案だ。
「うわっ、海原が振られた!」
「ねぇ月子、別にわたしはさぁ。海原君が居てくれても、構わないんだけど?」
「いいえ。きょうに限ってはきっと海原くんは、わたしに感謝しているはずよ」
……ひょっとして三藤先輩は、超能力者かなにかなのか?
ところが。
僕がその実力を試す必要など、まったく不要で。
先輩が僕をほかのふたりから離して、耳元にささやいてくる。
「海原くん、念のため聞くのだけれど……。赤根さんとは、節度を持って接してくれるわよね?」
「えっ?」
先輩が僕に構わず、続けていうには。
「じ、仁義を切られたから……。止むを得ず応じるだけよ……」
な、なんだ、そういうことか……。
じゃなくて! い、いつのまにそんな話しを……。
「それに彼女、きょうくらいは楽しく過ごしたいでしょうし。仕方がないわ」
いい終わると先輩は、ふたりの元に戻ると。
「そのまま帰るのはどうやら寂しいみたいだから、この先の角の本屋でお使いを頼んでおいたわ」
わざわざそんなことをいってから。
「だから海原くん、きょうは『女子会』に参加しなくても大丈夫ね?」
僕をジッと見ながら、いいからいきなさいと暗に告げてくれた。
三藤先輩は、やさしい人だ。
そして玲香ちゃんは、正しい人だった。
「じゃ、じゃぁ。『女子会』楽しんでください!」
僕は三人に大袈裟に手を振り、先輩たちを見送る。
春香先輩はきょうはごめんね、みたいな苦笑いをして。
高嶺は、つまらないなのか同情なのかよくわからない表情で、小さく僕に手を振る。
三藤先輩は、左手でその長くて黒い髪を少し大袈裟に肩に流すと、僕を見ずに歩き出す。
だが数歩進んだ、そのあとで。
うしろ手で、二度だけ素早く。
僕に小さく、手を振ってくれた。
「……ごめんね!」
玲香ちゃんは、少しだけ遅れてやってきた。
息を切らしながら手を合わす彼女の姿を見れば、それでも全力でここにきてくれたのは明らかだ。
「列車まだ、まにあいそうだから急ごっ!」
そんな玲香ちゃんの声に、せかされて。
僕たちはそのまま駅に戻るとプラットフォームに上がり、発車間際のいつものローカル線に乗る。
車内は、いつものように空いていて。
ふたりが座席に並んで腰かけると、玲香ちゃんの息が整う前に。列車は静かに駅を発車する。
「はい、どうぞ」
僕は、先に買っておいたアップルティーのペットボトルを渡す。
「あ、ありがと……」
ずっと前の玲香ちゃんは、公園でよくこれを飲んでいたのだけれど。
高校生になっても、それは変わっていないのだろうか?
玲香ちゃんが、しばらくそのまま動きを止める。
「……これって。もしかして、覚えててくれた?」
よかった。どうやら正解だ。
「昴君、ありがと」
僕の知っている笑顔で、彼女が僕を見る。
返事代わりに、僕は。
自分用に買っておいた、甘い炭酸飲料のボトルを取り出す。
「あ、覚えてるー。昴君、昔もそれ飲んでたよね!」
紅茶の香りなのか、つけ直したであろうデオドラントの香りなのか。
玲香ちゃんが少し動くたびに、甘い空気がやさしく漂ってくる。
「あ、でもきょう最初に会ったときはさぁ……。わたしのこと忘れてたんだよね〜」
あれは不意打ちだし、そんなこと予想してなかったから……。
僕は、改めてそういいかけたけれど。
彼女の瞳が、そんなことはすでにどうでもよいんだと僕に告げている。
列車が、ひとつトンネルを抜けたあとで。
「……わたしね、放送部居心地悪いんだ」
予期せぬ告白が、唐突に訪れて。
思わず僕は、口に入れたばかりの炭酸飲料をこぼしかける。
「ごめんごめん! 別にいまいわなくても、よかったよねー」
少し寂しそうだけど、笑顔を取りつくろって、彼女がいう。
「なんかきょうの昴君たち見てたら、ちょっとくらい愚痴ってもいいかな、って思っちゃってさ……」
ああ、なんてことだ……。
僕の知っている玲香ちゃんは。
無理をしなくても、笑える子だったのに……。
……なんとか、乗ろうとしていた列車にまにあった。
いまのわたしに、駅の周りのお店でのんびりする選択肢なんてなくて。
かといって、プラットフォームで話しているのも落ち着かない。
「なんかひさしぶり〜。駅前のどっかでお茶でもしない?」
そんな軽い『ノリ』になっていない君に、ホッとしたけれど。
昴君が準備よく、既に飲み物を購入しておいてくれたことが……。
わがままなことにほんの少しだけ、ガッカリした。
予期せぬ再会は、唐突に訪れて。
ずっと前のわたしの好みを覚えていてくれた昴君を前に、思わずわたしは。
ちょっと弱音を、吐いてしまった……。
「……ねぇ、もっと『機器部』のこと話してよ!」
悲しそうな顔のわたしを見ても。
昴君はきっと、うれしくないよね。
そう思ったわたしは。
楽しい話しをして欲しい、そんなわがままに付き合わせた。
個性豊かな四人と藤峰先生が騒いでいる話しが、おもしろくて。
響子先生が即席ボックスシートを作って、四人で座ることになったエピソードは、最高で。
おかげでわたしは、ひさしぶりに。
……誰かの前で、遠慮せずに笑うことができた。
「……そっか〜。響子先生って隣の駅だなんて、ちっとも知らなかった!」
ひとしきり笑ったあとで、玲香ちゃんは。
「もう朝練とかもいかないし、遅い列車だったから。これまで全然会わなかったんだね……」
思い出したように、静かにそんな感想を漏らしていた。
ふたりが同じ駅で降り、列車が出発してほどなくすると。
駅前は、ぐっと静かになる。
「わたしの家は、あっちね」
「僕の家は、こっちだよ」
互いの家は、並木道を逆向きに進んだ先に変わらずある。
同じ駅で、違う高校で。
行きも帰りも違う時間帯だった。
だから、これまで出会うことがなかったけれど。
僕たちはこうして再び、出会うことができた。
「ねぇ、昴君……」
信号待ちをしていたら、玲香ちゃんは僕の真正面に移動してきて。
「朝は、別々だけど。帰りは、一緒に帰れない?」
突然そう聞いてきた。
「朝はほら響子先生もいるから、『ボックスシート』は満席でしょ?」
でもね、と小さく口にしてから。
「帰りは、普段先生遅いし。まだ、一席空いてるよね?」
……僕の考えていることなど、すでに玲香ちゃんはお見通しだ。
「無理にとはいわないよ。だから一度、あのふたりにも聞いてもらえると……。うれしいかも」
信号が、青になる。
すると玲香ちゃんは。
「じゃぁねっ!」
そういって、胸の前でやや控え目に手を振ると。一気に家の方角へと走り出す。
「あぁ、返事する前に、帰っちゃったよ……」
明日、ふたりに聞いてみよう。
でも僕はもう、答えを知っている。
嫌味もいわれそうだし、ため息もつかれそうだ。
でもあのふたりは、絶対に断らない。
もめごとが増えそうなのは仕方がない、でもきっとそれ以上に。
……楽しいことが、増えるはずだ。