恋するだけでは、終われない
第五話
放課後、列車が僕たちの乗り換え駅に到着すると。
扉の向こう側で、赤根玲香が笑顔で手を振っていた。
「都木さんがね、みんなが一番うしろの車両に乗ったトコまで教えてくれたんだ!」
無邪気に笑う玲香ちゃんは、シンプルにかわいい。
「都木先輩って、案外マメなんですね」
「赤根さんの取り入りかたが、上手なのかも知れないわ」
三藤先輩と高嶺が真面目な顔で、階段を降りながらやり取りする。
「そうそう、聞いたよぉ〜。『機器部』の子たちってあと高嶺さん以外、スマホ持ってないんだってね!」
「都木先輩、しゃべりすぎだわ……」
三藤先輩が、ボソリとつぶやく。
「なんかわかるかも。あとの三人、そんな雰囲気だもんねー」
玲香ちゃんが、気にせずに話し続ける中。
「……高嶺さん、お願いがあるのだけれど」
「はい」
「今後あなたのことも含め、都木先輩に色々と暴露されないように。念のため、赤根さんと連絡先を交換して貰えないかしら?」
「うーん、ちょっと悩むけど。そうしときます」
目の前に共通の敵ができたから、みたいな感じで意見が合致する。
僕はなんだか、三藤先輩と高嶺のふたりの距離が。
……少しだけ縮まった気がした。
ガタン!
発車待ちの列車の中で、玲香ちゃんによって即席の四人掛けが完成する。
「昴君の隣、失礼しま〜す」
彼女は迷うことなく僕の腕を引くと、進行方向とは反対向きの窓側に座らせて。
自分はその横にちょこんと、腰かける。
瞬間、三藤先輩の目が大きく開き、高嶺が拳をグッと握る。
「えっと、三藤さんは酔いやすいからわたしの前かな。高嶺ちゃんは晴れてるから、窓側どうぞ」
「ちょっと待ちなさい。その情報はいったいどこから……」
いいかけた三藤先輩を制して、高嶺が喰らいつく。
「わたし、いつもコイツの隣なんですけど!」
デストロイヤー玲香に、そんな文句が通用するはずもなく。
「響子先生が教えてくれたー」
サラリと、情報源を明かしてから。
「まぁいいじゃない。わたしが昴君の隣にいられるのって『今のところ』このときしかないじゃん。ね、昴君? 昔はよくこうやって隣に座って遊んだよね〜」
完全にフリーズするふたりを前に、玲香ちゃんが妙にゆっくりと。
その頭を、僕の肩に寄りかからせようとする。
まずい! これは相当まずい……。
前回の紅茶とは違った甘い香りが、僕を包み始めて。
でも早く逃げ出さないと、血の海が降り注ぐ。
そう思って、僕が玲香ちゃんから少し離れようとした、そのとき。
「え、もしかして赤根さん?」
「うそー、赤根さんじゃんー」
「ほんとだー。赤根さんだねー。で、隣は、えーもしかして彼氏とかー?」
意地悪な響きを含んだ声が、一気に襲ってきた。
一瞬にして、玲香ちゃんが全身をこわばらせる。
肩に感じ始めていた圧力が一気に解放され、彼女が下を向いたまま、僕の隣でみるみる小さくなる。
僕が声がしたほうに、顔を上げると。
玲香ちゃんと同じ制服の女子が三人、薄笑いを浮かべながら立っている。
「赤根さん、パートが『違う』から勘違いだったらゴメンねー」
「わたしたち、きょう『も』部室であなたを見掛けなかったけれど。どうして同じ列車なの?」
「いったい、どこでなにしてたんだろうね?」
「あ! じゃなくていまからなにするんだろう、とか?」
「まぁ、部活より楽しそうでいいんじゃない?」
「ほんと、ウケるー!」
……玲香ちゃんが、小刻みに震えている。
玲香ちゃんのために、早くなにかいわないと。
僕がそう思った、そのとき。
「……玲香さんの友人の、三藤月子と申します」
三藤先輩がゆっくりと立ち上がりながら、静かに話し始める。
「少々電車内で騒がしかったのならお詫びします。ですがここはもう校外ですし、部活動の時間ではありません。いまは玲香さんとわたしたちとの自由時間ですので、悪しからず」
凛とした声で、はっきりと伝えてから。
三人の正面に、ひとりで立ちはだかった。
続けて僕も、立ち上がろうとしたけれど。
「待って」
高嶺が座ったまままっすぐな目で相手を刺しながら、僕を見ることなく左手で制してくる。
一方相手側は、最初に声をかけてきた女子が、なにかいい返そうとしたほかのふたりをとめると。
三藤先輩に向かって、一歩前に出る。
慌てて高嶺が立ち上がろうとするのを。
「待ちなさい」
今度は三藤先輩が、左手でさりげなくストップをかけた。
「あら、それは失礼」
最初の女子は、冷たい声でそういうと。
「赤根さんが、他校の生徒に嫌がらせでもされていないか気になったのよ。で、あなたは『丘の上』の二年生? それと、あとのふたりは制服からしてまだ一年だよね」
その女子は軽く僕たちを一瞥すると、話を続ける。
「わたしは三年で、彼女の所属する放送部の副部長でもあるわ」
三年、というのに三藤先輩が少し反応した気がする。
その女子も、反応したことに気がついたようで。少し声のボリュームを上げると。
「だから念のため。赤根さん本人から、あなたたちとの関係を聞かせて貰ってもいいかしら?」
そういって、玲香ちゃんに催促するように視線を注ぐ。
玲香ちゃんが僕の隣で、膝に乗せた手を握る。
でもその力は、見るからに弱々しくて。
「……迷惑かけたね。調子乗って、ごめんなさい」
かすかなつぶやきだけを残して、僕の隣から離れようとする。
「待ちなさい」
……だが、彼女の目の前には。
僕が最近、ようやく見慣れてきた白く美しい左手が。
やさしく、しかし有無をいわさぬ意志を持って伸びてきた。
「あなたのように名前も名乗れない人に、わたしの友人を詰問させるわけにはいきません」
三藤先輩の声が、玲香ちゃんを渡す気はないとはっきり伝えた上で。
「先ほども、お伝えしたはずですが」
さらに三藤先輩は、言葉を続けて。
「この時間と場所はもう、部活動中ではありません。だとすれば副部長だとか上級生だとかは、関係ありますか?」
「えっ…」
「で、でも……」
「……関係あるとかないとか、関係なくない?」
ようやく、三人目がいい返したけれど。
それだと、三藤先輩には勝てないなと。
僕にははっきり、わかってしまった。
「では、もう一度言葉を変えてお伺いします」
三藤先輩が再度、問い直す。
「玲香さんとわたしたちの自由時間を奪う権利が、本当にあなたたちにはありますか?」
「えっ…」
「……いまだ」
相手がひるんだのと同時に、高嶺が僕に合図して。
アイツが素早く、三藤先輩の座っていた通路側の席に移動する。
僕は、高嶺の座っていた窓側の席に玲香ちゃんを移動させて、ふたりを並ばせると。
最後にゆっくりと、空席となった玲香ちゃんの座っていた窓際へと座り直し。
玲香ちゃんの『護られるべき場所』への移動を、完了する。
もう、絶対にこの壁は破らせない。
……カチ、カチ、カチ。
実際はレールの走行音が響く車内の、ガタンゴトンという車輪の音だけれど。
その数カウント分の時間が経った。
「……ったく。なんなのこの人たち。もういい、不愉快だから。あっちいくよ!」
相手の副部長は、僕たちに吐き捨てるように告げると。
他のふたりを連れて、わざわざ隣の車両へと移動していった。
恐らく、空いている車内でこのやり取りに気づいたのは。
当事者たち以外には、ほかにいなかっただろう。
……三藤先輩が、肩の力を抜くのがわかって。
なにか先輩に声をかけようと、僕が立ち上がろうとしたそのとき。
またしても三藤先輩は、僕を左手で制すると。
隣の車両のほうに目を向けたまま、僕を見ることなく。
「わたしはいまは平気だから。『昴君』は、赤根さんだけを見てあげなさい」
そういい終えてから。
ひとり静かに、ボックス席から離れていった。