恋するだけでは、終われない
第十一話
部室の開いた窓から、ぼんやりと外を眺める。
海原はいつごろわたしの所に、くるんだろう?
「あ、わたしの所じゃなくて、『機器室』に、だけどね」
誰も聞いてないのに、わたしはわたし自身でセリフを訂正する。
ふと机に目をやると、アイツの席のちょうど前に。
先日の委員会の資料の束が置かれているのが、目に入る。
……きょうのわたしは、どうにかしている。
一瞬迷ったものの、別に私信ではないのだからと。
つい一枚だけ、めくってしまった。
「えっ……」
やっぱり、見なきゃよかった。
でも、わたしはなぜか。
それをめくる手を、止められない。
資料は、とても几帳面にまとめられていて。
その打ち込まれた文字のあちこちに。わたしの見覚えのある、ややクセの強い字で書き込みが入っている。
目に入ったものが、ただそれだけなら。
熱心なメモだねで、わたしは終われたのに。
アイツの近くには、華奢な達筆が混在していて……。
「前回の進行の課題」
「初回にしては、上出来よ」
「発言時間が平等になるように配慮する」
「遠慮は無用、次からはもっと厳しく」
そうやってひとつひとつ、アイツのメモに返事が添えてある。
「次回の議題は?」
「先輩の提案通りで構いません」
「去年のままはダメよ、やり直し」
「で、できるだけ早く、考えます」
……なにこれ?
まるであの人との、交換日記じゃん。
すべての書き込みが、まるで目の前の会話のように、頭の中で再現されてきて。
思わずわたしは目を背けると、急いで紙束を元に戻す。
「授業のノートよりも、しっかり書き込んであるし……」
また、口から変な言葉が出てしまって。
わたしは窓を開けて、すべての空気を入れ替えたくなった。
窓を開けると、中庭からにぎやかな声が聞こえてくる。
風にあたるついでにと窓から覗くと、そこには長岡先輩と山川と、あと。
「えっ……?」
なぜか、アイツがいる。
慌てて見てみると、ほかにも三年生らしき男子バレーボール部員たちが集まって。
アイツを囲んで、なにやら楽しそうに騒いでいる。
バレー部だけならわかるけど、どうして海原まで輪の中に?
なぜだか急に、わたしは不安になる。
「いったいどういうこと?」
なぜか、早く聞きたくなって。
でも、アイツにそんな気持ちが通じるはずなんてないだろう、そう思ったのに。
偶然アイツが上を向いて、わたしと目が合うと。
……笑顔で大きく、手を振ってくれた。
突然のことで、わたしは、笑顔を返せない。
わたしは慌ててその場から離れ、すぐに窓をピシャリと閉めて、カーテンをひく。
それから急いで、両手で耳を塞いで。
怖くて部室の端で、うずくまる。
ま、まさか……。
アイツはバレー部にいっちゃうの?
わたしと同じ部活を、辞めちゃうの?
いきなり、とてつもなく大きな不安の波がやってきて。
いままで、感じたことのない気持ちがわたしを覆い出す。
……それから少しして。
薄暗くなった、機器室の扉の外から。
かすかにバタバタと走る音と、聞き慣れた声が聞こえた気がすると。
その音が、どんどん近づいてくる。
アイツがきてくれた。
でもいつもと違って焦っている、おまけに、声が大きい。
え? どういうことなのこれ?
「バン!」
大きな音を立てて、部室の扉が開くと同時に。
「高嶺! 大丈夫か!」
息を切らしたアイツが、叫んでいる。
……あんなにうろたえたアイツの顔を見たのは、初めてだった。
どうやら、しゃがみこんだわたしの位置が低過ぎて。
アイツからは見えなかったらしい。
机の向こうで、首をあちこち振ってわたしを探すその姿がおもしろくて。
小さくプッと、声が出た。
「そこか! 大丈夫か!」
わたしを見つけたアイツは。
必死な顔をして、慌てて駆け寄ると。
両手で、上からわたしの頭を鷲掴みにして。大声でわたしを呼ぶ。
「おい、高嶺っ! 意識はあるか!」
……もし、あのときわたしが。
そのままアイツの胸の中に飛び込んでいれば、きっと……。
でも、現実は。
あぁ……。
「ちょ……。なにしてんのよ!」
アイツが、いつもいっていた。
……わたしって、『黙っていれば、とってもかわいい』。
「手ぇ離してよ! 逆に、あ、頭痛いから!」
ホント、そうだったかもしれないよね……。
……アイツは、山川たちに頼まれて。
男子バレーボール部の、卒業アルバム用写真のポーズを確認していたらしい。
「体育館だと、女子バレー部とかがいて恥ずかしいからって、いわれてさ」
……って、だからってなんで中庭なの?
「それはよくわからん」
ま、まぁそうか……。
他の部活だしね、アンタが決めたんじゃないもんね。
「そういえば山川が。お前に頼んだのに断られたって泣いてたぞ」
うそっ!
今朝、渡り廊下でわたしが聞き逃していた山川の話しって、それだったんだ!
アイツは、わたしが見えたから手を振ったのに。
顔色が悪そうなままスッと視界から消えたから、もしかして部室の中で倒れて頭を打ったのかと驚いて。
慌ててここに、飛んできた。
……これがことの顛末だ。
「アンタさぁ!」
おかげでわたしは、『安心して』アイツを責められる。
「もしほんとに頭打ってて、あんなに掴まれてたらさ! わたし再起不能になってたじゃん!」
「ごめん、でもな……」
「なによ?」
「し、心配だったんだ……」
「えっ……」
ようやく立ち上がったわたしは、ゆっくりと顔を上げて。
「だ、だったらさぁ海原……」
それから海原をじっと見て、いつもよりやさしい声で。
「これからは、部室に先にいかせたりしないでね……」
どう?
わたしなりに少しかわいく、いってみたつもり、なんだけど……。
「……へ?」
なによ、その返事!
いま絶対、作ったキャラだとか思ってない?
いまのは、わたしなりに精一杯、本当の気持ちを伝えたのに……。
あぁ!
アンタには。
絶対、わからないかも知れないけどさ!
少しはそこんトコ、いいかげん理解してよね……。
……このとき、わたしは。
部室の前で、扉を開けられずに固まっていた。
「月子が忘れ物なんて珍しいね」
「集会のあいだに読もうと思った書類よ。ちょっと取りにいってきていいかしら?」
退屈な学年集会の時間に、海原くんに返事を書いておこう。
そう思って委員会のプリントを、部室に取りに戻ろうとして。
遠目に、海原くんがいつになく慌てて部室に入っていくのが見えた。
直後、大きな声が聞こえてきて。
それから、高嶺さんの叫び声も聞こえてきた。
いったいあなたたちは、なにをやっているの?
扉を開ければ、すべてがわかる。
でも……。
なんだか高嶺さんに、遠慮した。
「……大丈夫よね、きっと」
わたしは自分にいい聞かせるようにしてから、扉の前をそっと離れる。
職員室をとおり過ぎ、一階に降りると。
無意識のうちに中庭の『花』のほうをみる。
そろそろ、咲くころか。
またこの季節がやってくる。そう思うとうれしいような、怖いような気になる。
わたしは、果たして。
一歩前に、進めるのだろうか?
海原くんに見つけて、もらえるのだろうか?
……渡り廊下を歩いて、少し変わった場所に植えてある木の前を通り過ぎたとき。
わたしの前を、静かに風がとおり抜けた。
なにかに、まるで誘われたような感じがして。
わたしはその場で一旦立ち止まると、胸の前で両手を広げる。
「海原くん……」
わたしは左手の人差し指一本で、自分の右手の小指をさすりながら、その感触を確かめる。
『あのとき』は、三本の指だったよね……。
まだ、たいした日数も経っていないのに。
ふと懐かしむように、あのときを思い出したわたしは。
いまいる場所からは見えないとわかりつつも。
教室棟の『あの場所』を見上げてみた。
すると、ふたりだけで共有していた場所の、さらに上。
大きくて青い空の中に、飛行機雲がひとすじ見えて。
それからもう一度。
わたしの前を、静かに風が通り抜けた。