恋するだけでは、終われない

第十八話


 中間テストが近づいて、部活中断期間がやってきた。

「昼休みはさておき、放課後は集まらないように」
 ふらりと現れた、顧問の藤峰(ふじみね)佳織(かおり)に告げられて。
 一同が顔を見合わせて、思わず固まる。
「え、なになに? どうしたのみんな?」
 すると、なぜか春香(はるか)先輩が僕を見て。
「はい部長、ひとこと」
 代表してコメントしろとうながしてくる。

「えっと……いや……。藤峰先生が、極めて真っ当な話をしたので、思わず驚いてしまって……」
「えっ?」
 ところが僕の答えは、春香先輩の意図したものではなかったようで……。

「ちょっと海原(うなはら)、それじゃないからさぁ……」
 高嶺(たかね)が心底あきれたという声で、僕の話しをさえぎる。
「あのね、海原君……」
「海原くん、ちょっといいかしら?」
 都木(とき)先輩と三藤(みふじ)先輩が同時に声を上げて、互いの顔を見合わせる。
月子(つきこ)ちゃん、『よかったら』どうぞ……」
「都木先輩こそ、『一応』お先に……」
 なんなんだ、この微妙な譲り合いは?
 いままでにあまり見なかった光景に驚いて、僕はふたりを見るのだけれど。
 なぜか視線が、合うことがない。

「あのさぁ海原君。わたしは君に、部長としてのコメントを求めたんだよ」
「えっ? 春香先輩……?」
「ほんとにもぅ! しっかりしてよね!」
 今度は、先生を含めて皆がギョッとする。
 ほ、本当にいまの? 春香先輩の発言なの?



「なんかきょうの先輩たち、みんなちょっと変だったよね〜」
 ……廊下を歩きながら、何気なく口に出したあとで。
 しまった! アイツだけじゃなかったんだ、とわたしは焦る。
「なになにー、由衣(ゆい)ちゃんもそう思っちゃった〜?」
 藤峰先生が興味津々の顔で、わたしを覗き込む。
 うわぁ……、話す相手を間違えた……。

「でもねぇ、わたしはなんか、ちょっと安心したかもなぁ〜」
 あれ?
 珍しく真面目系なやつなの、先生?
「あの子たち、いつも自分で作った殻の中に閉じこもってきたからね」
 藤峰先生は、少し遠くを眺めるような顔をして。
「なんかね、ふたりがきてくれたおかげで。あの子たちが生き生きしてきた気がするの」
 先生の言葉に、嘘や偽りはひとつもなくて。
「ありがとね『由衣ちゃん』!」
 思わずわたしは、こんな笑顔ができる大人になりたい。
 ……そんなことを考えた。

「あ!」
「えっ、なんですか藤峰先生?」
「なんかわたしたちも! 距離とか、縮まった気しない?」
 さっきわたしを名前呼びしてたじゃん、先生。
 もう距離なんて、とっくになくなってるよ……。

「だからね、由衣ちゃんだって……」
 でも、だからこそ。
 いまはその続きを聞きたくなかった。
「よ、用事思い出しました!」
 わたしは先生の話を遮ると。挨拶だけして、急いでその場から離れる。
 廊下を、走れるだけ早く。
 その声が追いかけてこられないように、走り続けた。



「……あら、いっちゃった」
 逃げ出してしまった、高嶺由衣の背中を眺めながら。
「で、『陽子(ようこ)ちゃん』。どこから聞いてたの?」
 わたしはうしろで気配を消していた春香陽子に、声をかける。

「えっと……、藤峰先生。な、なにも、聞こえていませんから!」
 あらら……。
 もうひとり、走らせちゃった。

 ……ふと。
 少し、不安になった。
 こんなわたしは、いつか誰かが傷ついたとき、『その子たち』に。
 きちんと、寄り添うことができるだろうか?

「海原君さぁ?」
「はい」
「わたし、まだまだだよねぇ……」
 さっきから隣で黙っているこの彼は、本当に不思議な子。
 そんなことないですとか、どうしたんですかとか、ありきたりのことはひとつもいわない。
「藤峰先生、ですからね」
 そう、そうやってわたしがどうなるかはわたし次第だと。
 熟慮した上で、それでいいんだと伝えてくる。
 まぁ、本人がその自覚があるかどうかは謎だけどね。
 頼りにはしてるよ!



 ……きょうから部活ができないのを、玲香(れいか)ちゃんに伝え忘れていた。
 僕は授業が終わってから、ようやくその事実を思い出す。
「おい、高嶺?」
 スマホで連絡してもらおうと、隣に声をかけたけれど。
「あれ?」
 いつのまにかアイツは消えていた。
 ……仕方ない。
 とりあえず時間を潰そうかと、『機器室』に向かう。
 いつもなら、絶対に三藤先輩が開けてくれているはずだけれど。
「中断期間なんだからそんなことないか」
 そう思いながら扉に手をかけ、軽く力を入れる。
「あれ?」
 するとなぜか扉は、スッと開いて。

 ……いつもの席には。

 三藤月子が、座っていた。

 黒く長い髪を、左手で耳にかけるその仕草で。
 僕の入室が、許可される。
 静かに扉を閉めると、三藤先輩の斜め前の『指定席』に腰掛ける。
「もう少しで、解き終わるわ」

 ……だから待っていて。

 もう、最後までいわれなくても。
 もちろん僕は、理解していますよ。

 少しだけ開いた窓からは、やさしい風が入ってきて。
 結局、もう少しではない。やや長めの時間が、過ぎるまで。
 三藤先輩と僕は、そのまま試験勉強を続けていた。


 ……英単語を練習していた僕の目の前に。
 突然青みがかった淡い紫色のカードが一枚、目の前に着地する。
 僕の大好きな、藤色のカードだ。

「いま読んでも、いいんですか?」
 三藤先輩はなにも答えない。
 これが先輩の承諾のしるしなのも、もう僕はよく知っている。


「この部活のルール」


 書きかけではない。
 それだけが書かれた、カードだった。
 僕は顔を上げて、思わず三藤先輩を見るけれど。

 先輩は顔を下に向けたまま、僕からは片側しか見えないのだけれど。
 その両耳が、赤くなっているのだと。
 なんとなく、わかってしまった。


「わたしが代表して伝えているの。部長、守ってね」



 ……海原くんはやさしいから。
 それ以上わたしに、聞かないでいてくれた。
 本当は、嘘。
 わたしは、代表なんかじゃない。
 誰とも、相談なんかしていない。
 ただ、ただそうしないといけないと思ったから、勝手にやってしまっただけだ。

 海原くんのことを、誰がどう思っているかなんて。
 いまは知りたくない。
 考えたくもない。
 加えてわたしは、わたしの自身の気持ちさえ、よくわからないけれど。

 ただ、『勝手に』進んではいけないのだと、思ったの。


「えっと……。まだ、時間がありますね」
 突然彼にそういわれて、思わず顔を上げてしまった。
「三藤先輩、いきたいところがあるんですけど、いかがですか?」
 一瞬でどこか、わかってしまった。
 そうね、いい提案ね。
 そしてこれは。ただの、『息抜き』なのよね?

 ……とっても近いのに、ぎこちないくらいの距離感で。
 きょうのわたしたちは、校舎棟の非常階段を静かにのぼる。
 三階を越えて、その先にある踊り場へ。
 黒くて重たい扉の前に着くと、わたしの秘密の鍵を、海原くんに渡す。

「右手の……」
 そういいかけた彼を止めて、自分から口にだす。
「小指を出すわ」
「包むのは、三本までですね」
 そう、そう答えてくれる、君のことが……。


 ……太陽のまぶしさに慣れると。
 屋上にはきょうもどこまでも青い空が、変わらず大きく広がっていた。
「あの時以来だね」
 もう、この場所にはひとりではこないと、心に決めていた。
 だから、君とまたここにこられたのが。
 わたしはとってもうれしい。

「いいですよね、この屋上」
「そうね」
「見えているなにもかもが、美しいです」

 見えている、なにもかも、か。

 ねぇ、海原くん。


 ……その中にわたしは、入っていますか?


 突然、少し強めの風が吹いてきて。
 海原くんが、慌ててわたしを見る。
 でも大丈夫、あいているほうの手で、スカートは押さえられるから。

 ……わたしは指を、離さない。


 ところが、風の神様は。
 別のイタズラをわたしたちに、仕掛けてきた。

 わたしの耳の横を通り過ぎた、風の矢が。
 まるで狙い撃ちしたかのように、彼のシャツの胸ポケットに当たる。
 すると藤色のカードが、わたしたちの頭上に舞い上がって……。

 慌てて取り戻そうとして、思わず『わたしが』。
 彼の指を離してしまう。

 カードは、さらに空に近づこうとして。
 海原くんがジャンプして伸ばした手が、かろうじてそれを取り戻す。


 ……わたしは、自分の小指を恨めしそうに見ることしかできない。
「あぁよかった。で、三藤先輩? 指がどうかした……」
 わたしは、海原くんがいい終わるより先に。
「もう! 胸ポケットにはものを入れないで!」
 そういって、話しをさえぎった。
 すると海原くんは、驚いたような顔をしたあとで。
 今度は、顔をくしゃくしゃにして笑い出した。
「え、なんで? どうして笑うの?」
「だって先輩……。思いっきりほっぺた、膨らんでましたよ!」
「ちょっと、ひどいっ!」

 ……あぁ、風の神様のイタズラは。
 また、心の距離を縮めてしまった。



 ……わたしたちだけの世界へつながる扉を、静かに閉める。

「この小指を、どうしたい?」
 わたしは少し、意地悪な質問をする。
 すると、海原くんは。
「きょうのところは、ここでせーの、で離しませんか?」
 思いがけず、はっきりと提案してきた。

 意外そうだという気持ちを、察したのか。
 彼が一瞬息を飲み込んでから、ゆっくりと話しはじめる。
「先輩と僕は、副部長と部長なので。ですから……」
「ちょっと、その先はいわないで!」
 思わず焦って、口にすると。
 海原くんが本気で驚いたような顔をして、わたしを見る。
 もしかして、きついいいかたに聞こえてしまったの?

「い、いや……。色々考えたいなと思いました……って、伝えたかったんです」
「あら……。そ、そうだったのね……」
 あぁ。
 きっとまた、わたしの両耳は……。

「あ……」
 海原くんの声に頭を上げ、同じ空の向きを見る。
 すると、先ほどまでふたりでいた屋上のさらに上を。
 つがいの鳥が、気持ちよさそうに風にのっているのが見えて。



 ……そのとき。
 意図せず、自分の口から出た言葉に。
 わたしが一番、驚いた。


「海原くん。部長のあなたが、決めさない」


 なにそれ……・
 これって、ほとんど……。


「あ、あのね!」
「えっ? なにかいいましたか?」

 ……まさか聞こえて、なかったの?


 ところが、そのとき。
 中庭のほうから聞き覚えのある声が、風に乗ってやってきた。
「海原ぁ〜」
「月子〜」
「ふたりとも〜」

 大き過ぎる声と、やわらかな声と、よく通る声が、わたしたちを呼んでいる。
 ここにいることはわからなくても、校内のどこかにいることは知っているのだろう。
「やっぱりそうだ」
「えっ?」
「なにも、中庭で何度も叫ばなくてもいいのに……」
 海原くん……。
 あなた本当にわたしのセリフ、聞こえなかったのよね……?

「海原くん」
 わたしは、彼がわたしの顔を見て少し『ひるむ』まで、ジッと待ってから。

「わたしの声より、誰の声が先に聞こえたのかしら?」
 少し、意地悪なことを聞いてみた。

「えっ……」
 ……そう。
 その、ちょっと動揺した海原くんの表情が。
 わたしはそんなに、嫌いじゃないわ。



 ……結局、部活中断中も放課後の『機器室』は。
 少しだけ遠慮がちにではあるけれど、にぎやかだった。


「や〜っと、部内で勉強するようになったのねぇ〜」

 藤峰先生は、一度だけわたしたちに涼しい顔でそういうと。
 それからはなぜか、部室に入り浸るようになっていた。

「五人どころか、六人になったわね……」
 海原くんにつぶやいたつもりが、みんなに聞こえていた。
「当たり前でしょ〜」
「月子、なにいってんの?」
「当然ですよ」
「まぁそうなるよね〜」


 こうして、六人の物語が。
 これからもまだまだ進む、はず。


 ……わたしは、少なくともこのときは。

 そんなふうに、考えていた。


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