悪逆王女は改心したいのに、時戻しの魔法使いが邪魔してきます!?
「リディアや。後でわたしの部屋に来てくれるかね?」

 不意に掛けられた言葉に、私はナイフとフォークを使う手を止める。
 テーブルの向かいに座るお父様が、にこにこと機嫌良さそうに微笑んでいた。

 鴨肉のローストを飲み込み、私はナプキンで上品に口をぬぐってから頷いた。

「わかりましたわ。……それはそうとお父様、お皿にトマトが残っていましてよ?」

「うぐっ……! ちゃ、ちゃんと残さず食べるとも」

 野菜は完食するまで絶対に下げるな、と給仕には命じてある。
 遠ざけていたサラダの皿を、お父様は悲しげな表情で引き寄せた。しかめっ面で口に運ぶのを見届けてから、私は静かにテーブルから離れる。

「リディア? デザートは?」

「甘い物ならどうせ、後ほどお父様の部屋でご用意いただけるのでしょう?……というわけで、今夜はお父様のデザートもナシで」

「ぐはっ!」

 ……やはり二重に食べようとしていたか。

 日頃お父様の口にする菓子類は全て、砂糖も大きさもかなり控えめなもの。
 せめて量だけでも食べようとするのはいじましいが、駄目なものは駄目。

 カツン、とヒールの音も高らかに踵を返し、うやうやしく辞儀をする給仕に声を掛ける。

「ご馳走様。今日もなかなかのお味だったわ、とシェフに伝えておきなさいな。栄養バランスも申し分なくってよ、ホーッホホホホ!」

「わたし、わたしはもう少し、ギトギト脂っこくて濃厚な味付けの方が……」

「あらお父様。何かおっしゃいまして?」

「……何デモナイデス」

 一睨みで黙らせて、扉の外で待っていたアレンを従えて歩き出した。お父様の部屋に呼ばれたことを伝えつつ、明日の予定について話し合う。

「といっても、しばらくこれと言って大きな行事はないのよね。誕生日パーティも無事に終わったし、孤児院のバザーはまだ先だし」

「ですね。まあこれまで通り勉学に励みつつ、空いた時間で呪い人形を作るぐらいでしょうか」

「呪いじゃなくて魔除け人形よ」

 すかさず訂正して部屋に入った。

 ベッドにどさりと腰を下ろす間に、アレンが手早く紅茶を淹れてくれる。湯気の立つそれを受け取って、じっと虚空を睨みつけた。

「お父様の体調は、相変わらず問題なし。これに関しては侍医も太鼓判を押しているわ」

「それは何より。いかにわたしが有能な魔法使いといえ、病気は治せませんからね」

「……そうだったわね」

 私はため息交じりで頷く。

 何でも有りに見えて、魔法にもできないことはあるらしい。
 アレンが言うには、それは人や動物などの命ある存在に干渉すること。だから病気や怪我など、人を癒やすことは不可能なんだそうだ。

「まあいいわ。今のところ治癒の魔法なんて必要なさそうだし、無いものねだりしたってしょうがないもの」

 さばさばと告げれば、アレンがおかしそうに頬をゆるめた。
 長い脚を組んでソファに座り、からかうように私を見る。

「魔法に頼りきらないのは良い心掛けです。さすがは我が主」

「ホホホ、当然ね! だってわたくしは心根の強い悪逆王女ですもの!」

 もはや何度目かわからない、本日の高笑いを華麗に済ませた。うん、今では流れるように高笑いできるようになってきたわ!

 しばしアレンと談笑し、時間を潰してから腰を上げる。アレンも当然の顔をして付いてきた。

 従者はお父様の部屋の中までは入れないけれど、扉の前で控えていてくれるのだ。

「――お父様? リディアです」

 扉をノックすると、すぐに中から返事があった。
 アレンに軽く頷きかけ、扉を開かせる。

「おお、リディア! 早速掛けなさい」

 お父様がいそいそとソファにエスコートしてくれる。
 差し伸べられた手を取りつつ、私は見慣れたお父様の自室を見回した。相変わらず国王の部屋にしては質素で、必要最低限の調度品しかない。

 もの問いたげな視線を感じ取ったのか、お父様が苦笑する。

「お前のお母様は贅沢好きだったなぁ。気の向くままにドレスや宝石を新調して、精いっぱい己を飾り立ててわたしに披露する。わたしもそんな彼女を見るのが大好きだった……」

 懐かしそうに目を細めた。

「お父様……」

 幼い頃に亡くなった母のことを、私はほとんど覚えていない。
 けれど城内にたくさん残された絵姿のお陰で、目を閉じればすぐに彼女の顔が浮かんでくる。薔薇色の頬をした美しい女性(ひと)で、どの絵でも豪奢なドレスと大ぶりの宝石を身に着けていたっけ。

(……きっと)

 お父様が未来の私を止めなかったのは、亡きお母様の面影を追ったせいもあるのかもしれない。
 お洒落が好きだったお母様の望みを、娘の私に代わりに叶えさせるように。自分の心の隙間を埋めるように。

 ちくりと痛んだ胸に気付かない振りをして、私は気取ってドレスの裾をつまむ。

「ふふっ。わたくしはお母様とは違って、豪華さだけではドレスの価値を決めませんの。ある意味、お母様よりわがままと言えるかもしれませんわね!」

「ほうほう」

「でも『お洒落が大好き』という点では、わたくしとお母様はそっくり同じ。ですからお父様、せいぜい国政に励んでくださいませ。わたくしがお洒落を楽しみ、国民もそうする。そんな余裕があることこそ、幸せな国家の証ですもの!」

 ドレスの裾をふわりと揺らして一回転した。
 お父様が手を叩いて喜んでくれる。

 いたずらっぽく辞儀をすると、お父様が温顔をほころばせた。

「お前の言う通りだ、リディア。……それでわたしも、国のため頼りになる俊才を呼び戻すことにしたのだよ」

「……え?」

 ぽかんと立ち尽くす私を置いて、お父様がパンパンと二度手を打つ。振り向いた先にあるのは、私が入ってきたのとは別の扉――……あれは、亡きお母様の自室に繋がる扉だ。

 今は主のいない、空っぽの部屋の扉がゆっくりと開いた。

 中から現れた長身の人物が、私に向かって洗練された仕草で礼を取る。

(う、そ……)

 その瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。

 よろめきながら、食い入るように()を見つめる。
 ドッドッドッドッ、と心臓が早鐘を打つ。

 後ずさろうとする私にお構いなしに、彼は颯爽と歩み寄ってきた。

「――やあ。久しいな、リディア」

 記憶の中そのままの、耳に心地よい低音。

「こんなに素晴らしい淑女に成長したのだな。まだほんの幼子だと思っていたのに」

 女性のように美しい顔。

「長年寂しい思いをさせてすまなかったね。けれど、これからはずっと一緒にいられる」

 誰もが一瞬で虜になるであろう、華やかで人好きのする笑み。

 中途半端に逃げようとした姿勢のまま、地面に足が縫い止められたように動かなくなる。
 ただ心臓だけが激しく暴れ狂っていた。

(アレン……!)

 目前に迫った男が、嬉しくてたまらないといった様子で腕を伸ばす。

「リディア。可愛くて完璧な僕のお姫様」

 久方ぶりに会う叔父――ライナー・オーレインの長くて綺麗な指が、私の黄金の髪を絡め取った。
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