悪逆王女は改心したいのに、時戻しの魔法使いが邪魔してきます!?
 招待客と一通り言葉を交わし終えたところで、ちょうどパーティも終盤に差し掛かった。
 喉の渇きを覚えて、私はちらとアレンに目配せする。アレンはすぐに心得顔で頷いた。

「――リディア」

 不意に掛けられた声に、踵を返しかけていたアレンの足が止まる。
 私はこっそり深呼吸をして、心の準備をしてから振り返った。

「あら、ライナー叔父様」

「やあ。パーティは楽しめたかい?」

 ふわりと微笑むと、ライナーは両手に持っていた美しいグラスを片方私に差し出した。しゅわしゅわと気泡の立つ、薄ピンクの澄んだ液体。
 礼を言って受け取った私に、ライナーは長身を屈めて耳打ちする。

「リディア、バルコニーへ行こう。愛想笑いを振りまきすぎて、風に当たりたい気分なんだ」

 君ともゆっくり話したいしね、といたずらっぽく付け加えるライナーに、私は一瞬だけ迷った。
 けれど、ここで断るのはどう考えても不自然だろう。すうっと無表情になるアレンを気にしながらも、「よろしくてよ」と頷く。

「……リディア殿下」

 低い声を出すアレンを、ライナーは常になく厳しい眼差しで見据えた。

「君はここで待っていたまえ。兄上もリディアも随分と君に甘いようだが、従者としての分をわきまえなさい」

「……御意」

 深々と頭を下げたアレンの表情は窺えない。

 私は「後でね」と彼に囁きかけ、ライナーにエスコートされるままバルコニーへと出た。


 ◇


「ああ。外の空気を吸うとほっとしますわね」

 ライナーを振り返り、あえて無邪気に喜んでみせる。
 バルコニーはどうやら事前に人払いしていたようで、ライナーと私の二人しかいなかった。

 笑顔を作る私をライナーは探るように見つめると、小さくため息をついた。

「ライナー叔父様?」

「いや、すまない。まずは乾杯しようか」

 チン、と二つのグラスが合わさる。

 グラスを傾け、私は申し訳程度に唇を湿した。まさか毒が盛られることを心配したわけではないけれど、アレンは私がライナーの杯を受けるのを望まないだろうと思ったのだ。

(警戒を崩さないって約束したしね)

 ライナーはいかにもおいしそうにグラスを空けた。バルコニーの柵によりかかり、目を細めて王城の庭園を見下ろす。

「……変わらないね。ここの景色は」

「ええ、とても美しいですわ」

 私も彼にならって柵に手を掛けた。庭園にはふんだんに明かりがともされ、まるで真昼のように明るい。

 しばし無言の時が過ぎ、頬をなぶるやわらかな夜風に目を閉じる。ライナーが帰国して初めて、二人の間に穏やかな空気が流れた気がした。

「……リディア。一つだけ、聞いても構わないかい?」

 沈黙を破り、ライナーが重い口を開く。

「ええ。何でしょう?」

 しいて平然と頷くと、ライナーはぎこちなく微笑んだ。そっとグラスを置いて私に向き直り、真剣な瞳を向ける。

「久しぶりに会った君は、僕をひどく警戒していたね。帰国した時の僕は、可愛い姪に会えるのをそれはそれは楽しみにしていたんだ。きっと君は最後に別れた日のまま、無垢で純粋で愛らしくて……僕との再会を心から喜んでくれるに違いない、と。けれど君は……、まるで敵を見るような目を僕に向けたんだ」

「…………」

「君がそうまで変わってしまったのは――……全て、あの男のせいではないのかい?」

 動揺を押し隠し、私は震える唇を噛んだ。
 痛いぐらいライナーの視線を感じながら、必死で頭を回転させる。

「嫌ですわ、叔父様。何をおっしゃっているのか……」

 時間稼ぎは通用しなかった。
 ライナーはきっぱりと首を横に振る。

「聡い君ならばわかっているはずだよ。……僕もね、必死で考えてはみたのさ。あの男――アレン・クロノスが、どうしてああまで僕を敵視するのかを」

 ようやく私から目を逸らしたライナーが、苦々しげに眉をひそめた。

「けれどね、いくら考えてみてもわからない。僕はあの男の存在すら知らなかったし、当然恨まれるようなことをした覚えもない。……となると、考えられるのは」

「……!」

 不意に一歩詰め寄られ、私は息を呑む。
 後ずさりしかけた私を、ライナーはきつく腕を掴んで引き止めた。私の手からグラスがこぼれ落ちる。

 カシャンと軽い音を立てて割れるグラスには目もくれず、ライナーは端正な顔を私に近付けた。

「――アレン・クロノスは君を意のままに操ろうとしている。次期女王である君の側で甘い汁を吸うため、邪魔者になりうる僕を排除しようとしているんだ」

「……違う!」

 たまらず声を上げるが、ライナーは「違わない」と落ち着いた声音で否定した。

「君はあの男に洗脳されている。信用しては駄目だ。あの男は君の味方なんかじゃない」

 ――あの男は君の、敵だ。

 ぴしゃりと断言され、体中からみるみる力が抜けていく。
 ライナーが手を離した瞬間、バルコニーにへたり込んでしまった。エメラルドグリーンのドレスの裾が広がっていく。

「リディア。あの男が何を企んでいるにせよ、君はもっと公正な視野を持たねばならないよ」

「…………」

「あの男を信用し、あの男の言にのみ耳を傾ける。それは果たして、為政者として正しい振る舞いと言えるだろうか?」

「…………」

 痛いところを突かれた。

 ライナーは敵だ、という先入観に囚われて、私はこれまでライナーと正面から向き合おうとしなかった。もっときちんと、ライナーを自分の目で見定めなければならなかったのに……!

(アレン……)

 ライナーはアレンに恨まれる心当たりはないと言った。
 当然だ。アレンがライナーを憎むのは、未来の私を殺したのが他でもないライナーだったからだ。今のライナーには何の関係もありはしない。

 そしてライナーが私を殺したのは、未来の私が国民全員に憎まれる悪逆王女だったから。だからライナーは、正義のために仕方なく私を殺し……て……

「……え?」

 うつむけていた顔をぱっと上げる。

 呆けたようにライナーの顔を見つめると、ライナーは怪訝そうに私を見返した。一心に彼の瞳を覗き込みながら、私はこれまでのアレンの言動を思い返す。

(……へん、よ。変だわ)

 つじつまが合わない。

 アレンと私はこれまで、破滅の運命に至る要因をことごとく潰してきた。例えばそれは私の浪費癖であったり、お父様の病気であったり、国民から私への悪評であったり。
 アレンはいつだって計画的に手際よく、現状を変えていってくれたのだ。

 けれど――

(ライナー叔父様に関してだけは、違う)

 本当にライナーが悪逆王女であることを理由に私を殺したのならば、もうその運命は変わったはずなのだ。だって今の私は、国にとって害となる悪逆王女ではないのだから。

 それなのに、アレンは警戒を解かない。
 それなのに、アレンはライナーを敵だと言う。

 両足に力を込め、私はゆっくりと立ち上がった。
 驚くライナーを、真正面からきつく見据える。

(ねえ、ライナー叔父様。未来のあなたは……)


 ――アレンにこうまで憎まれるほどの、一体何を私にしたの?
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