悪逆王女は改心したいのに、時戻しの魔法使いが邪魔してきます!?
「時戻しの、魔法……?」

「ええ」

 男は澄まし顔で頷くと、パチンと指を鳴らした。何も載っていなかったテーブルに、湯気の立つティーカップとクッキーの皿が突如として出現する。

「えええっ!?」

 私は愕然としてテーブルを覗き込んだ。
 カップからはハーブティーの良い香りが立ち昇り、家や動物型のクッキーには可愛らしくアイシングが施されている。確かに本物、に見えるけど……。

「ああ。言っておきますが、これは魔法で作り出した幻ではありませんよ。我が家の食卓から転移させただけですので」

「てんい!?」

「はい。ちょうど母のお茶の時間でしたので、少しばかり拝借を」

「…………」

 それは拝借じゃなくて泥棒だ。

 男のお母様を気の毒に思いつつも、男から勧められるままクッキーに手を伸ばす。聞けば私が倒れてからすでに丸一日が経っていたらしく、道理でお腹がぺこぺこのはずだ。

 サクサクのクッキーは美味しかった。
 ハーブティーも癖がなく飲みやすく、一口飲めばお腹の底がじんわり温もった。たくさん寝たはずなのに、またも瞼がくっつきそうになる。

「お子様は寝るのが仕事ですからね」

 男からよしよしと頭を撫でられ、私は思わずお茶を噴き出した。

「ぶ、無礼者っ。私はもう十五よっ」

「まだまだ育ち盛りなお子様ですね。あ、ちなみにわたしは二十三歳から若返りましたので、今はピチピチの二十歳になりました」

 再びパチンと指を鳴らし、紙ナプキンで私の口をぬぐってくれる。また実家から拝借したのね。

 流れるように泥棒する男に脱力しそうになりつつも、強いて背筋を伸ばして男を睨みつけた。男がなぜか嬉しそうに頬をゆるめる。

「ちゃんと首が繋がってるって素晴らしいですね」

「一体どこに注目しているの!」

 背筋に悪寒が走って、反射的に自分の首を撫でてしまう。……うん、繋がってる繋がってる大丈夫。

 青くなる私を見て、男はまたくすりと笑った。

「時戻しの魔法は、文字通り時間を巻き戻す魔法です。術者であるわたし以外の人間は、頭の中身――つまり記憶すらも巻き戻り、全てが無かったこととなってしまう」

 ですが、と男が笑みを深くする。

「一切の記憶がなければ、きっとあなたはまた同じ過ちを繰り返すだけでしょう。ですからわたしは、時戻しの魔法を使う際に少しばかりあなたの記憶に干渉しました。お陰で未来の一端を覗けたのではないですか?」

「そ、そうね。確かに私は、未来の私を夢に見て――……ん?」

 ちょっと待って。
 と、いうことは?

 ()()()()にはたと思い至り、私はみるみる顔を険しくした。

「もしかして、パーティで私が倒れたのはあなたのせいなんじゃない!? 頭が割れるように痛んで、死ぬかと思ったものっ」

「ええ、そうなりますね」

「そうなりますね、じゃないっ!」

 気色ばむ私を眺め、男は我関せずとハーブティーを口にする。「ああ、良い温度になりましたね」と機嫌よく微笑んだ。猫舌かっ!

「まあまあ、必要な犠牲だったということで諦めてください。それで、話を戻しますと」

「勝手に戻さないで――……もがっ」

 クッキーを口に突っ込まれ、仕方なくもぐもぐと咀嚼する。私が大人しく食べている間に、男は本当にさっさと本題に戻ってしまった。

「で、ですね。先程申し上げた通り、時戻しの魔法は生涯に一度しか使えないのです。聡いあなたならば、みなまで言わずともおわかりでしょうが……つまりわたしは、人生でたった一度きりのチャンスを! あなたをお助けする、そのためだけに! 捧げた、ということになりますね?」

 わざとらしく一言一句区切って熱弁する。

 ……う。
 な、何もそこまで強調しなくたっていいじゃない?

 しゅんと小さくなりつつも、男の言いたいことは痛いほどに理解した。

 男はさっき、死の運命に抗うのは私の義務だと言っていた。これは男としたら当然の要求だろう。

(私が未来を変えられなければ、せっかく使った時戻しの魔法が無駄になってしまう……。たとえこの男にだって、もう二度と時は戻せやしないのだから)

 心を決めて、私は静かに立ち上がった。
 テーブルを回り、目を細めて私を見守る男に淑女の礼を取る。

「わかりました。にわかには信じがたい話ではありますが、あなたの要求を受け入れますわ。わたくしを助けてくれたあなたの誠意に応え、必ずや死の運命を回避すると約束します」

「…………」

 毅然と宣言すると、男はすっと眼差しを冷たくした。その威圧感に怯みそうになりながらも、私は男から目を逸らさない。

「わたくしは絶対に『悪逆王女』にならないわ。今日からは常に質素で慈悲深くあり、国王である父を助け、そして国民を愛し国民に愛される。そんな品行方正な王女になってみせます」

「――はッ」

 厳かに決意を告げれば、なぜか男が嘲るように鼻で笑った。刃物のように鋭いアイスブルーの瞳で、唖然とする私を射すくめる。

「質素? あなたが? 慈悲深く、品行方正な王女に?」

 椅子から立ち上がり、ゆっくりと私に詰め寄った。男の雰囲気がガラリと変わり、私は恐怖を感じて後ずさる。

 けれど男の長い腕が、逃さないと言うように私を捕らえた。

「笑わせないでください。それでは、あなたを助けた意味がなくなってしまう」

「わ、私を……、助けた、意味……?」

 ガクガクと問い返すと、男は再びはっきりと嘲笑を浮かべた。

「ええ、『悪逆王女』をやめるなどもってのほか。なぜなら、悪逆王女だった頃のあなたは――世界中の誰よりも輝いていたのですから!」

 ……へ?

 男の答えに目が点になる。
 ぽかんとする私を置いて、男は恍惚とした表情で天を仰ぐ。

「そう、あなたはいっそ純粋と申し上げて差し支えないほど、清々しいまでに悪でした! 己の欲望にのみ忠実で、良心など欠片も持ってはおられない。他者から搾取することを当然とし、高価なドレスや宝石を際限なく求めるくせに、すぐに飽きて捨ててしまう。無邪気で残酷、相反する魅力にわたしは片時も目が離せなかった……!」

「…………えっと」

 とうとうと語る男を眺め、私は一生懸命に頭を働かせる。

「……つまりあなたは、私のファンってこと?」

「はああッ!?」

 男が途端に眉を跳ね上げた。
 ファンだなんてずうずうしかったかな、と怯える私を不快げに睨みつけ、きっぱりと首を横に振る。

「ファンなど生ぬるい。むしろ信者とお呼びください」

「しんじゃ!?」

「はい」

 男は至極真面目に頷くと、私の手を取ってうやうやしく跪いた。

 切れ長の目で見つめられ、心臓がどきりと跳ねる。整った顔立ちに頬が一気に熱くなった。

 優しく笑んだ男は、私の手の甲にそっと口づけを落とす。

「我が主、リディア姫。どうか時を遡った今生でも、残虐非道な悪の王女として大輪の花を咲かせてくださいませ」

「…………」

 ちょっと待て。

 私は渾身の力を込めて男を振り払った。

「できるわけないでしょ!? そしたらまた首を()ねられて死ぬだけじゃないっ!」

「そこはそれ、処刑にならない程度の良い塩梅で悪役道を突っ走ればよろしいのです」

「塩梅間違えた瞬間に死刑になるでしょーが!」

「ですが毒花から毒を抜いては、ただの平凡な花に成り下がってしまうではありませんか。はっはっは」

 はっはっはじゃなーいっ!

 冗談じゃない、こちらは命が懸かっているのだ。
 己の体を抱き締め、私は勢いよく後ずさった。

「お断りします、断固拒否です。私は今日から清廉潔白に生きて、『悪逆王女』改め『清らか王女』と呼ばれてみせ」

「あなたに拒否権はありませんよ。あなたの首と胴体が今しっかりと繋がっているのは、一体誰のお陰だと思ってるんです?」

「…………」

 絶望に崩れ落ちる私の肩を、男がぽんと気安く叩く。

「無論、今のお子様なあなたには何も感じておりませんので悪しからず。これから素晴らしい悪女に成長して、またわたしを虜にしてくださいね」

「こっの……!」

「遅くなりましたが、わたしはアレン・クロノスと申します。どうぞよろしくお願いいたしますね、我が『悪逆王女』様?」

 誰がよろしくするもんかーーーっ!!
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