悪逆王女は改心したいのに、時戻しの魔法使いが邪魔してきます!?
「ぐっ……!」

 低いうめき声に、咄嗟に閉じていた目を開けた。
 信じがたい光景に息を呑む。

 ――アレンの脇腹が血に染まり、ライナーの短剣が深々と突き刺さっていたのだ。

「アレン!?」

 心臓がぎゅっと鷲掴みされたような心地がする。

 私はアレンの前に立っていたはずなのに。それなのにどうして――……?

 動いた自覚もないのに、なぜか私は後方に取り残されていた。
 そしてアレンがいるのは、つい今しがたまで私がいたはずの場所……。

(転移魔法!? 体の位置を入れ替えたの!?)

「うわぁぁぁぁっ!!」

 アレンに駆け寄ろうとした瞬間、ライナーが絶叫して崩れ落ちる。アレンの血で汚れた自身の両手を見下ろし、ガタガタと震え出す。

「ち、違う……っ。僕は、僕は……!」

「――ライナー! その場から一歩も動かないで!!」

 鋭く叫べば、ライナーの肩がビクッと跳ねた。
 私は彼を睨み据えたまま、血の気を失ったアレンの顔を覗き込む。

「アレン、部屋にかけた障壁を解きなさい!」

「…………」

 アレンは一瞬ためらったが、ややあって諦めたように頷いた。キィン、という甲高い音が部屋中に響き渡る。

 私はすぐさま扉を開け放ち、すうっと大きく息を吸った。

「――誰か! 急いで医者を呼んできて、怪我人がいるの!!」

 慌てたように使用人や警備兵が駆けつけてくる。
 いまだうずくまったままのライナーを一瞥し、私は警備兵に向かって手を振り上げた。

「ライナー・オーレインを拘束なさい! この男は剣を持ってわたくしを害そうとしたわ!――さあ、今すぐによ!!」


 ◇


 王城は上を下への大騒ぎとなった。

 お父様はおろおろするばかりで話にならない。泣き出しそうに私にすがりつくお父様を、私は「しっかりしなさい!」と怒鳴りつけた。

「お父様が動揺すれば臣下も浮足立つでしょう! 演技でいいから、どっしり構えておくのよ!」

「で、でもリディアや。臣下から聞かれたら、一体なんて答えれば」

「今調べさせているところだ、とでも不機嫌に答えておきなさい! いい? この件はわたしが預かる、と重々しく宣言するのよ!」

 一喝し、私はお父様を放って奔走した。

 アレンの怪我は命に関わるものではないらしく、ひとまず胸を撫で下ろす。本心ではすぐにでも彼を見舞いたいものの、私には先にすべきことがある。

 王立病院のライナーの部屋を徹底的に捜索させ、隠し戸棚にあった薬物を押収した。アレンの言葉通りなかなかの量で、よくもまあこれだけ集めたものだとあきれてしまう。

「信じられません。まさか、あのライナー殿下が……」

 沈痛な表情を浮かべる王立病院の院長を重々口止めし、私は急ぎ王城へと戻る。

 ヒールの音も高らかに廊下を進んでいると、背後から慌てたように名を呼ばれた。

「リディア殿下! お急ぎのところ申し訳ございません、殿下の従者殿についてご報告があるのですが」

「――まさか、容態が急変したの!?」

 私を呼び止めたのは王城勤務の医師だった。

 真っ青になって詰め寄ると、彼は目を白黒させた。激しく震える私を見て、申し訳なさそうに眉を下げる。

「い、いえ。ご安心ください、体調は落ち着いていらっしゃいます。ですが、そのう……一度も目覚めないのです」

「……え?」

 ぽかんとする私に、彼は深々と頷いた。

「怪我のせいではありませんよ。何と申しますか、心身ともに疲れ果てているご様子なのです。よほど張りつめた日々を送っていたのか、体が休息を求めておられるのでしょう」

 ライナーに刺された日から、アレンはこんこんと眠り続けているというのだ。
 胸に鋭く痛みが走る。

(そうよね……。ずっと、私のために気を張ってくれていたのよね……)

 繰り返す三年間、彼に気の休まる時が果たしてあったのだろうか?

 アレンの長い戦いを思うと、すっかり弱くなった涙腺からまたも涙がにじみそうになる。……でも、私には泣いている暇なんてない。

 乱暴に目尻をぬぐい、懐からド派手な扇を取り出した。

「そう、知らせてくれて感謝するわ! きっとお邪魔でしょうけど、気の済むまで寝かせてあげてくれるかしら。全くお寝坊な従者で困りますこと、ホーッホホホホホ!!」

 高笑いする私に、医師もつられたように苦笑する。
 くれぐれもよろしくと頼めば、お任せくださいと胸を叩いて請け合ってくれた。

 ひとまず安心して、私は次の目的地へと向かうことにする。

 王城の奥深く、王族を拘束するための特別な牢。見張りの兵士に頷きかけ、扉の鍵を開けさせる。

 鉄格子に囲まれているものの、牢とは思えない豪奢な作り。部屋の中央の椅子に、ライナーがうなだれて座り込んでいた。

「……ライナー叔父様」

 聞こえているだろうに、彼は顔を上げようとしない。
 私は見張りの兵士に二人きりにするよう命じ、鉄格子の中のライナーに向き直る。

「アレンは無事よ。今はぐっすり眠っているわ」

「…………」

「あなたの執務室から薬物は全て押収したわ。何か申し開きがあるなら聞くけど、どう?」

 ようやく、ライナーがゆるゆるとこちらを見る。

 その姿にはっと胸を衝かれた。
 美しい顔は別人のようにやつれ果て、目は深く落ちくぼんでいる。苦しげに顔を歪めると、彼は激しく首を横に振った。

「……使うつもりなど、なかったんだよ」

 絞り出すように声を上げる。

「様々な毒をうっとり眺め、馬鹿みたいな夢想に浸っていただけさ。……これさえあれば、全てを変えられる。僕は臣民に歓迎され、歴代で最高の王となれるのだ、と」

「…………」

「けれど、そんな未来が訪れることはない。僕はもう、以前の完璧で清廉な僕じゃない。この手で剣を振りかざし、人を殺そうとしたのだから……!」

 爪を立ててこぶしを握り締め、狂ったように己の体を打ち据える。

「あの、肉を突き刺す嫌な感触! 心底ゾッとしたよ。寝ても覚めてもあの感触が離れなくて、僕は必死で考え続けたんだ。アレン・クロノスの記憶の中の僕は、どうしてこんな冷酷な行いができたんだ?と」

 ぼろぼろと涙を流しながら、ライナーの懺悔が続く。

「きっとその時の僕は、自分で手を下した自覚が足りなかったんだ。だってそうだろう?『一度目』の君の処刑だって、死に目に立ち会うことすらしなかった。『二度目』の兄上と君を殺した時は、眠るように死ねる薬を使った。二人とも病気だったのだから仕方ないさ、と自分を誤魔化していたに違いない……!」

 椅子から崩れ落ちて、ライナーが慟哭した。
 私は彼に一歩近付き、ひんやりした鉄格子に手を掛ける。

 やつれた顔を上げ、ライナーは悲しげに微笑んだ。

「アレンは僕のことを、性根の腐った卑劣な人間と評していたね。……僕はね、リディア。アレンを刺したことで、図らずも彼の正しさを証明してしまったことになるんだよ」

 ――だからこの上は、牢の中で生涯を終えようと思う。

 きっぱりと告げられた決意に、私は驚き息を呑む。
 ライナーの表情は凪いでいて、今のが本心からの言葉だと窺えた。

(……でも……)

 ぎゅっと鉄格子を握り締める。

「ライナー叔父様。つまりあなたは、戦わずして降参するとおっしゃるわけですね? それはそれは、随分と腰抜けですこと」

 唇を歪めてせせら笑えば、ライナーが不可解そうにこちらを見た。
 私はお腹に力を込めて、彼をきつく睨み据える。

「あなたと私は似ているわ。巻き戻る前の未来では、道を間違え悪行に手を染める――」

 でもね、と声を大きくする。

「だからこそ私は変わると決めたの! 今度こそ間違えないで、皆が幸せになれる道を歩いていくのだと。普通だったら起こった出来事は変えられない。間違ったことを、なかったことになんかできるはずがない。――でも、私はアレンにチャンスをもらったから!」

 ライナーの瞳が見開かれる。

 そう、私の敵はライナーなんかじゃない。
 私の敵はいつだって、他ならぬ私自身だったのだ。

「私はこれからも自分と戦い続けるわ。弱い心なんかねじ伏せて、高笑いしながらひたすら前に突き進んでやる! ライナー叔父様、あなたはどうするの?『時戻しの魔法』は平等に全ての人の時を戻すわ。せっかくやり直せるチャンスがそこに転がっているのに、あなたは戦いもせず運命を受け入れるつもりなの?」

「……っ」

「だったら知らない。好きになさい。――私の話はこれで終わりよ」

 素っ気なく踵を返す。

 そのまま振り返りもせずに牢を後にした。
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