悪逆王女は改心したいのに、時戻しの魔法使いが邪魔してきます!?

【前日譚】エピソード0 ◆時戻しの魔法使い

 懐中時計の鎖を手の中でもてあそぶ。
 蓋を開いては時刻を確認し、乱暴に閉じては深く嘆息する。我ながら馬鹿みたいだと思うくらい、先程から何度も何度も同じことを繰り返していた。

(……大丈夫、大丈夫だ)

 汗ばんだ手を膝にこすりつけ、必死で己に言い聞かせる。

(わたしの推論は絶対に間違っていない。『やり直し』の三年が経過すれば、きっともう一度時は戻せるはずなんだ)

 それでも不安はぬぐいきれない。

 喉が耐えがたいほどからからに渇いていたが、水を取りに行く気にはなれなかった。一人きりの部屋の中、遅々として進まない時計の針を見張ることだけに集中する。

(次に、やり直すその時には……)

 彼女には彼女らしくいてもらいたい。

 自分の感情のまま素直に怒って泣いて、そして笑って……。失敗した『二度目』の時のように、己を殺して追い込まれる彼女を見るのは、もう二度とごめんだった。

 だから何度も考えた。
 『次』でわたしはどう振る舞うべきなのか、どう彼女に接するべきなのか。

(……まず何より先に、彼女にわたしの話を信じてもらう必要がある)

 死の運命に立ち向かうため、三年という時はあまりに短かすぎる。一分一秒だって無駄にはできなかった。
 巻き戻って早急に、彼女には行動を開始してもらわなければならない。そのためには――……

「……っ」

 胸にズキリと痛みが走る。
 そう、この期に及んでまだわたしは迷っていた。彼女の記憶を戻すべきか否か。

 荒々しく首を振り、文字盤から視線を引き剥がす。

(いいや、記憶は戻すんだ。何度も自問自答して、そう決めたじゃないか。『二度目』の時のように全てではなく、一部だけを戻すのだと。そうでなければ、きっと彼女はこんな話は信じてくれない……)

 大丈夫。
 この二年であらゆる想定を繰り返し、苦悩のすえ決断したことに間違いはないはずだ。

 懐中時計を握る手が震える。
 額ににじんだ汗をぬぐい、祈るように目を閉じる。

 『一度目』の彼女が処刑された、運命の時刻が近付いてくる――……


 ◆


 眩しいほどの光の渦に包み込まれる。

 『一度目』で時を戻した瞬間と全く同じ。安堵のあまり崩れ落ちそうになる体に力を入れて、わたしは意を決して目を開けた。

 まるで天地が逆転したように、ぐるぐると天井が回っている。腹の底からこみ上げてくる吐き気をこらえるうちに、ようやく回転が止まって視界が定まった。

「あ……っ」

 刹那。

 この二年、焦がれて焦がれてたまらなかった相手の姿が目に飛び込んでくる。
 まるで暗闇を照らす光のように、わたしには彼女しか見えなかった。

 豪奢なドレスを身にまとい、ツンと取り澄ました笑みを浮かべている。
 周囲の注目を集めるのが嬉しくてたまらないのだと、美しい己を見せつけるのだと、大得意になっているのが彼女の表情から窺えた。

(ああ、生きている……!)

 あえぎながら、食い入るようにまっすぐ彼女だけを見つめる。
 夢見心地で足を踏み出しかけ、慌てて我に返った。

(そうだ、まずは)

 彼女の記憶に干渉しなくては。

 呼吸を整え、周りに気取られぬよう慎重に魔法を発動する。
 手応えを感じた瞬間、彼女がはっと表情を凍りつかせた。痛い、と鋭く悲鳴を上げて床に倒れ込み、途端に周囲が騒然とする。

「リディアッ!?」

「姫様っ!」

 怒号が飛び交う中、わたしは一人黙然と立ち尽くしていた。
 頭を押さえて苦しむ彼女を無表情に見守り、きつくこぶしを握り締める。

 視線を感じ取ったのか、うずくまっていた彼女が不意に顔を上げた。

 わたしを認め、驚いたように目を見開く。

 広間の喧騒がみるみる遠ざかっていく。
 まるでこの場に彼女とわたしの二人しかいないような、不可思議な錯覚に陥った。

(わたしは……あなたを助ける、そのためだけに再び時を遡った……)

 喉元まで出かかった言葉を危うく飲み込んだ。
 しっかりしろ、と己に言い聞かせ、感情を消し去った冷たい眼差しを彼女に向ける。

 今回は彼女に全てを教えるつもりはない。
 彼女に今度こそ生きてもらう、そのために『三度目』のわたしができること――

「ククッ」

 唇を歪め、床に這いつくばる彼女を嘲笑った。

 そう、『三度目』のわたしは彼女の完全な味方にはならない。彼女を翻弄する敵をも演じてやると決めたのだ。
 そうして彼女が彼女らしく生きられる、幸福な未来に繋がる道をこの手で敷いてみせる。

 青白かった彼女の頬に、カッと赤みが差した。
 苦しくてたまらないだろうに、彼女は立ち上がろうとさえした。その瞳にめらめらと燃えるのは、プライドを傷つけられた怒り。そしてわたしに対する激しい嫌悪――……

「リディアッ!!」

 よろめいた彼女を王が抱き止める。
 王の腕の中の彼女は、意識を失って力なく目を閉じていた。わたしはようやく詰めていた息を吐く。

 張り詰めていた気持ちがゆるみ、呼気とともに涙までこぼれ落ちそうになる。慌てて唇を噛み締め、激情に耐えた。
 泣く資格も、そして泣いている暇もわたしにはないのだから。

(――今度こそ、絶対にあなたを救ってみせる)

 狂おしいほどの決意を胸に宿し、わたしは光の元へと足を踏み出した。
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