カラオケだけが楽しみだった私が、仕事にも恋にも本気になるまで
グランプリ大会前日
大会本番を翌日に控えた夜。
ふたりは、最後の通し練習を終えて、カラオケルームを出た。
これまでの練習の中で、いちばん静かな、けれど確かな手応えがあった。
言葉を重ねなくても、気持ちが重なる――そんな感覚。
「……これで、明日を迎えられそうですね」
美織が、譜面を抱えてつぶやいた。
「はい。あとは、楽しむだけですね」
駅に向かう足が、どこかゆっくりになっている。
この時間が終わってしまうのが、少し惜しかった。
そのとき、響生がふと口を開いた。
「高村さん、もしよければ、このあと少しだけ寄っていきませんか。知ってるお店があって」
「え?」
「本番前に、ちょっと“音のある”落ち着いた場所で一息つけたらいいなと思って。
ピアノの生演奏があるレストランなんです。雰囲気もいいし、静かで」
――音のある場所。
その言葉に、美織の心がほんの少しだけ弾んだ。
「……じゃあ、お言葉に甘えて。少しだけ」
連れて行かれたのは、繁華街から少し離れた裏通りのビルの二階。
重厚な木のドアをくぐると、柔らかな照明と、低く流れるピアノの音が迎えてくれた。
奥の席に通されると、グラスに注がれた水の音すら、ひとつの旋律のように響いた。
「ここ、すごく素敵ですね……」
「疲れてるときに来ると、音がじわっと染みてきます」
メニューを開きながら、美織はそっと深呼吸をする。
カラオケルームとは違う、けれど確かに“音楽に包まれている空間”。
「青海さんって、やっぱり音に癒されるタイプなんですね」
「……そうかもしれません。音って、不思議と“気持ち”を引き出してくれますから」
ピアノの音が、ゆるやかに流れてくる。
奏者の姿は見えないけれど、そこにある“誰かの想い”は、確かに伝わってくる。
「明日、うまく歌えるかな」
美織が、ぽつりと漏らした。
「うまく、じゃなくて――“伝えられるか”じゃないですか?」
「……伝えられるかな」
「伝えられます。だって、ここまで、美織さんと一緒にやってきましたから」
一瞬、時が止まった気がした。
今、名前で呼ばれた。初めて。
それだけのことで、胸の奥に静かな熱が灯る。
「じゃあ……明日は、“伝えたい気持ち”をこめて、歌います」
「うん。一緒に、ちゃんと歌いましょう」
グラスが、カチンと音を立てた。
それは、約束のような、決意のような響きだった。
ふたりは、最後の通し練習を終えて、カラオケルームを出た。
これまでの練習の中で、いちばん静かな、けれど確かな手応えがあった。
言葉を重ねなくても、気持ちが重なる――そんな感覚。
「……これで、明日を迎えられそうですね」
美織が、譜面を抱えてつぶやいた。
「はい。あとは、楽しむだけですね」
駅に向かう足が、どこかゆっくりになっている。
この時間が終わってしまうのが、少し惜しかった。
そのとき、響生がふと口を開いた。
「高村さん、もしよければ、このあと少しだけ寄っていきませんか。知ってるお店があって」
「え?」
「本番前に、ちょっと“音のある”落ち着いた場所で一息つけたらいいなと思って。
ピアノの生演奏があるレストランなんです。雰囲気もいいし、静かで」
――音のある場所。
その言葉に、美織の心がほんの少しだけ弾んだ。
「……じゃあ、お言葉に甘えて。少しだけ」
連れて行かれたのは、繁華街から少し離れた裏通りのビルの二階。
重厚な木のドアをくぐると、柔らかな照明と、低く流れるピアノの音が迎えてくれた。
奥の席に通されると、グラスに注がれた水の音すら、ひとつの旋律のように響いた。
「ここ、すごく素敵ですね……」
「疲れてるときに来ると、音がじわっと染みてきます」
メニューを開きながら、美織はそっと深呼吸をする。
カラオケルームとは違う、けれど確かに“音楽に包まれている空間”。
「青海さんって、やっぱり音に癒されるタイプなんですね」
「……そうかもしれません。音って、不思議と“気持ち”を引き出してくれますから」
ピアノの音が、ゆるやかに流れてくる。
奏者の姿は見えないけれど、そこにある“誰かの想い”は、確かに伝わってくる。
「明日、うまく歌えるかな」
美織が、ぽつりと漏らした。
「うまく、じゃなくて――“伝えられるか”じゃないですか?」
「……伝えられるかな」
「伝えられます。だって、ここまで、美織さんと一緒にやってきましたから」
一瞬、時が止まった気がした。
今、名前で呼ばれた。初めて。
それだけのことで、胸の奥に静かな熱が灯る。
「じゃあ……明日は、“伝えたい気持ち”をこめて、歌います」
「うん。一緒に、ちゃんと歌いましょう」
グラスが、カチンと音を立てた。
それは、約束のような、決意のような響きだった。