オオカミ男子の恩返し。

執事さん


「わぁぁぁ、すごーい♡♡♡」
 目をキラッと光らせる杏奈。
 そのとなりの私は、あまりの光景に圧倒されて後ずさり
 っていうか、あまりの高さに、べつに高所恐怖症とかじゃない私でも、足がすくむ。
 これは……、思った以上に住む世界が違う!!

 成瀬がウチにやってきた次の日。
 私と杏奈は、成瀬の執事さんに招待されて、成瀬の住むマンションに遊びに来たんだ。
 なんか、成瀬が友達の家に遊びに行くってことが珍しいらしくて、うれしかったからお礼がしたいっていわれて。
 で、放課後、成瀬家の車が迎えにきてくれて、今。
 私と杏奈がいるのがリビング、だと思う。
「だと思う」っていうのは、その部屋が、私の知っているリビングとは違いすぎるから。
 めちゃくちゃ広くて、ウチがまるごと入っちゃいそう。
「あ、見て! ウチの中学見える! あ、あそこ! なずなの家も見える!」
「ほんとだー……」
「ねぇ、もしかしてここ、なずなの部屋から見えるあのマンションじゃない?」
「あー、たしかに。方向的にはそうかも」
 私がまだ低学年のころに工事が始まって、だんだん高くなっていくのを毎日楽しみに見てたんだ。
どんな人が住むんだろう、って思って見てたんだけど、そうか、こういうヤツか。
私はちらりとふりかえり、ガラスの壁の向こうに目をやる。
 広々としたリビングの一角に、ガラスのパーテーションで区切られた部屋があって、そこが成瀬の仕事部屋らしい。
 大きなパソコンの画面が2つ、それを食い入るような目で交互に見つめる成瀬の横顔。
座っているのは、プロゲーマーの人が座るような高い背もたれがある赤い椅子。
あれだけ見てたら、ゲームが好きな中高生の男の子って感じだけど。
お仕事して、お金をいっぱい稼いでるんだよなぁ
 ほんと、すごい。
 私にもそんな才能があればなぁ。
 昨日のお父さんとおばあちゃんの会話お思い出して、ずーんと暗くなりそうになったところで、ふわりとお花のようないい香りがした。
「なずなさん、杏奈さん。お茶にいたしましょう」
 執事さんに声をかけられてふりむくと、いつの間にかダイニングテーブルの上にアフタヌーンティーの用意ができていた。
 三段のお皿の上には、サンドイッチ、スコーン、ケーキ、マカロン、クッキー。
 それから、縁が金色のティーカップに、おそろいの柄の大きなティーポット。
 ピンクゴールドのナプキンに、銀色のフォークとナイフ、スプーン。
 その横に立つ執事さんは白髪に眼鏡の「これぞ執事!」っていうスタイルで、なんだかもう異世界感がすごい。
「すごい! お姫様のお茶会じゃん」
 となりの杏奈も、うっとりした顔でテーブルの上を見つめている。
「坊ちゃんの仕事がまだ終わらないようで、先に召しあがってください。さ、どうぞ」
 執事さんが椅子をひいてくれて、私はおそるおそる座る。
 ううっ、なんかゴージャスすぎて緊張するっ。
 マナーとか、なーんにもわかんないし、こんな高そうな食器、間違って割っちゃったらどうしよう!! ただでさえ家計がピンチなのに、弁償なんてできないよ。
 ドキドキそわそわしている私に、執事さんが紅茶を注いでくれる。
 ふわっといい香り。
 さっきのお花の香りだ。
「ぜったい落とさないぞ!」としっかりカップを両手でもっておそるおそる口に運ぶと。
「お、おいしい……」
 私と杏奈は顔を見合わせる。
 こんなにおいしい紅茶、初めて飲んだ。
「喜んでいただけてよかった。実は、ワタクシ甘い物に目がなくて」
 執事さんがいたずらっぽく笑う。
「こんなにかわいらしいお嬢さんたちに、何をお出ししようかと、昨日から寝ずに考えまして……少しだけ、ご一緒してもよろしいですか?」
「はい!」
 杏奈とほぼ同時に返事すると、執事さんは微笑みながら私と杏奈の向かいに座った。
 すぐに、お手伝いの女の人が執事さん用のお茶を運んでくる。
「お二人とも、坊ちゃんと仲良くして頂いて本当にありがとうございます」
「いえ、私たちは別になにも……」
 私がそういうと、執事さんはにこりとほほ笑んで、ガラスの向こうの成瀬に視線を向ける。成瀬は、なにか難しいことを考えているようで、こめかみを親指で押しながら険しい顔で画面を見つめている。
「せっかく来ていただいたのに、お待たせして申し訳ありません。急な仕事が入ったようで」
「成瀬って、いつもあんな風に仕事してるんですか?」
「ええ」
「そうなんだー、やっぱたいへんそう」
「お仕事ばかりで、困ったものです」
 そういって、椎名さんはため息をつく。
「ワタクシは、坊ちゃんのことを生まれた時から見ていますが、幼いころからそれはそれはもう優秀で。ピアノ、語学、水泳、バレエ、絵画、なにをやらせても天才的で……また大変かわいらしくて、キラキラ輝く瞳で私のことを「じいや、じいや」なんておっしゃって、まぁなんと申しますかね、まさに天使のようで……」
 しゃべりながら昔を思い出したのか、うっとりとした表情を浮かべる椎名さん。
 そんな椎名さんを見て、杏奈が私の耳元でこそっとささやく。
「ね、椎名さんって、めちゃくちゃお上品でダンディなのに、成瀬の話となると、しゃべりすぎだし自慢ばっかだし、なんか残念っていうかキャラ崩壊っていうか……」
「しっ。聞こえちゃうよ」
 私は杏奈をたしなめたけど、椎名さんの耳には杏奈の声が全く届いていないようで。
「まぁそれで、小学生のころに趣味で作ったゲームがいろいろあって商品化されまして、またまたいろいろありまして起業して社長になられたわけですが……、私は、本当にこれでよかったのだろうか、と思っていたのです」
 椎名さんは、また成瀬のほうを見つめる。
「ワタル様は、小学校に上がったころから次第に退屈そうにされることが増えました。ワタル様のお父さまとお母さまはお忙しい方で、ほとんどお家にいらっしゃらず、寂しかったのだと思います。そんなときにゲームに熱中されるようになり、ご自分で作るまでになり、それがおじい様の目に止まって、あれよあれよという間に起業ということになり……」
 執事さんの顔が少し苦しそうにゆがむ。
「仕事を始められてからは、お忙しく、お友達と遊ぶ時間もなく。お仕事がお好きで楽しんでおられるのはワタクシにもわかっておりますが、少しだけ心配していたのです。まだ十代前半の男の子なのだから、学校やお友達との時間を大切にしてほしい、と」
 執事さんは、お茶を一口飲んで、それから私を見てほほ笑む。
「でも、そんな忙しい日々の原動力は、いつもなずなさんでした」
 ドキッ。
 油断していたところに、急に自分の名前が出てきてビクッとする。
「『なずな様にふさわしい男になりたい』そういって努力するワタル様を頼もしく思うとともに、なにせ幼稚園のころから会っていないわけですから、なずなさんがどのように成長され、どのような女性になられてるのが、私は心配で心配でたまらなかったのです。」
「うわー、過保護……」
 となりの杏奈が小さな声でつぶやく。
「それが、なずなさんのようなステキなお嬢さんで、私はほんとうにうれしく思っております」
「いえ、私なんてぜんぜん! なんか、今このお家に来て、今の執事さんのお話を聞いて、ますます意味不明です……どうしてそんなすごい男の子が私なんて、って」
 私がそういうと椎名さんは静かに首を横にふり、優しいまなざしで私を見る。
「そうでしょうか。ワタクシには、坊ちゃんがなずなさんに惹かれた理由がよくわかります」
 それって……。私が口を開きかけたしゅんかん、
「あ、いけない、話が長くなってしまいました。さ、どんどん召しあがってください。お茶のおかわりを用意いたしますね」
と、執事さんが立ちあがる。
「あ、ありがとうございます」
 私はペコリと頭を下げて、それからそっと成瀬のほうを見る。
 ワタちゃん、引っ越してから、寂しい思いをしてたのかな。
 成瀬のお父さんとお母さん、どんな人だったけ。忘れちゃったな。
 あの小さくてかわいいワタちゃんが1人で部屋で寂しそうにしている姿を想像したら、胸がきゅーっと苦しくなる。
(でも、そこからがんばって、自分のやりたいこと見つけたんだな)
 ガラスの向こうの成瀬が、背中を丸めてなにか作業している。 
 あーあ。あんな姿勢でパソコンの画面を見つめてたら、そりゃ肩こりするはずだ。
 そう思って見ていると、成瀬がフッと顔をあげてこっちを見る。
(あ、目があっちゃった)
 その瞬間。
 ぱあっと、本当にうれしそうな顔で笑う成瀬。
 わっ。
「なに今の顔。私がきゅんとしたんだけどっっ」
 興奮気味の杏奈。
 たしかに、今の顔は……。
 心がときめきそうで、それが怖くて私は目の前のケーキをパクりと口に入れる。
「お、おいしいぃぃ」
 お行儀が悪いけど、思わずフォークで残りの部分を分解しちゃう。
 ちょっぴりビターなチョコレートケーキの間に柑橘系の果物の皮が見える。
 この香り、オレンジとかレモンじゃなく……・
 そのとき、ちょうど執事さんが紅茶のポットを持って戻ってきた。
「こ、これ……、柚子ですか?」
 私が聞くと、執事さんは嬉しそうにほほ笑む。
「さすが、なずな様。はい。チョコレートに柑橘類、つまりオレンジやレモンを合わせるのは定番ですが、このケーキにはあえて柚子を使っております」
 そうなんだ……。
「すごく……、すごくおいしいです」
 和と洋の融合、って感じ。ケーキって、すごい……。
 おいしくて、感動して。
 でも、和菓子屋の娘としては、ちょっぴりほろ苦い気持ちになる。
 ケーキのすごさを見せつけられた気がして。

 帰り道も、頭の中はケーキでいっぱいだった。
 ケーキってすごい。でも、和菓子でもできないかな?
 そんなことを考えながら家に帰ると。
「ただいまー」
「あ、なずな、おかえり! 早くごはん食べちゃいな!」
「うん!」
「あれ、おばあちゃんの分のお魚は?」
「えっ。あぁ、おばあちゃんはいいんだよ。ダイエット、ダイエット!」
 はっはっは! と笑うおばあちゃん。
 ……ぜったいウソだ。
 おばあちゃん、いつも自慢げにいってたもん。
 私はよく動くから、いくら食べても太らないんだーって。
「じゃあさ、私と半分こしよ。私もダイエットしたいし」
「ダメ。なずなはキチンと食べなさい。育ち盛りなんだから」

 だめだ。ウチ、ほんとにお金ないんだ。
 どうすればいいんんだろう……。


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