桂花の香りは千里先まで
7 篠突く雨
「………━━━━楓?」
「っ……千里先輩……。」
「……楓も、同じ高校だったんだ。」
千里先輩は、少し気まずそうに笑う。
「……そうみたいだね。すごい偶然。……あ、じゃあ、教室の方の装飾、手伝わなきゃだから。」
「え?楓?」
私は楓の名前を呼んだけど、楓はそのまま身を翻し、教室に戻って行った。
教室ではいつものように明るく楽しそうにしていたけれど、笑顔がいつもよりほんのちょっとだけ曇っているようだった。
先輩は、そのまま後ろに向き直って歩き出した。
戸惑いつつも、先輩を追いかけた。
彼は多分大会議室に向かってる。
2人で無言で歩いていた。
先輩と歩く時は、いつも彼が先に話し始めるから無言にはならないけれど、今日は別みたいだ。
気まずさに耐えられず、思い切って口を開いた。
「先輩と、楓は知り合いなんですか?」
「……うん、中学の時、同じ部活だった。」
先輩は地面を強く見つめて、冷たく言い放った。
いつもは笑ってヘラヘラ受け流すくせに、ぴしゃりとシャッターを下ろすみたいに言うなんて、らしくない。
驚いて何も言えないでいると、彼は、我に返ったかのように笑顔を浮かべた。
「…あごめん、なんでもないから。」
でも、いつも通りの笑顔じゃなく、覇気がなく、上の空だった。
急いで取り繕ったような大人っぽい笑みだった。
今日、2回目の拒絶だ。
もうこりごりだ。
「なんでもないことなくないですか。」
もう嫌われてもいい。
私は、彼のことを、知りたい。
たとえ、私がぐちゃぐちゃに傷ついても。
「さっきもはぐらかすし。そろそろ傷ついちゃいますよ。」
「あ、ごめんそんなつもりじゃ……」
「じゃあどんなつもりですか?私傷ついてますよ。……あはは、なんてね。」
彼らしくない弱った力ない返事に気が狂った。
「話して欲しいな。話したところで何にもできないかもしれないけど。先輩のこと、ちゃんと、知りたい。しかも、楓は私の親友です。なにか、言えることがあるかもしれないですよ。」
じっと彼を見つめた。
さっきとは違って、はっきりと、じいっと。
その視線に気づいた彼は、少し渋って、口を開いた。
千里先輩と楓は、中学が同じだったらしい。
そこで、千里先輩がいるサッカー部のマネージャーだったのが楓だった。
彼女のその底なしの明るさで、部内は太陽に照らされているように平和だったそう。
「……一度、俺のミスで、県大会出場を逃したことがあるんだ。でも誰も責めなかった。『お前のせいもなにもあるか!よく頑張ったよ、俺ら。』って、みんな声掛けた。……でも、『お前のせいじゃない』って、悔しいはずなのにみんなに気を使わせて、無理に笑わせたのが、辛かった。」
彼は過去を見つめるように、じっと窓の外の空を眺めた。
その瞳は、いつものような晴れやかさはなく、雨が降った日のように曇っていた。
「その数日後、俺に『お前のせいじゃない』って言葉かけたヤツらが、部室で俺の悪口言ってんのを聞いた。」
「え……。」
『勝ってれば、まだ先輩たちは引退しなかった』『アイツがシュート外さなければ』『そもそも、あいつは調子乗ってた。あいつに出来るわけなかったんだ』
先輩のことを、責めて責めて責め立てるような言葉をたまたま聞いたそうだ。
そんな場面になったのを想像したら、それだけで背筋が凍るようだった。
彼はちらっと私を見ると、「ビビりすぎだよ。」と笑った。
「そんなこと思うのは当たり前だよ。皆で頑張っていたんだから、決めて欲しいところで決められなかった俺に怒るのは、仕方ない。『そんな事言うなよ。』なんて言える立場にもなくて、言える勇気もなかった。」
窓の外を見て、悲しそうに笑った。
やり場の無い思いを、友達が自分を的にした発散している現場を見かけた。
それは、想像よりも辛くて、しんどいだろう。
━━━━━それを収めたのは、楓だったそうだ。
辛くて、悲しくて、苦しいとき、救ってくれたのは、楓だ。
千里先輩と同じように盗み聞いていた、楓が部室の扉勢いよく開けて『誰のせいとかないから!チームスポーツでしょ!』と、声をあげたらしい。
「俺はマネージャーとあまり関わりを持ってなかったから、楓とは話したことがなくて。『あんたも、悔しくないの!?』って、その時初めて話しかけられたんだよな。大声で強気のくせに、手は震えてて。この子は本当は怖いのに、人のために立ち向かうことが出来るんだって、尊敬した。」
あぁ、この横顔、よく知ってる。
千里先輩を見つめる私の顔と同じだ。
愛おしい思い出に、そっと触れるように優しい笑み。
「……楓は、昔から、変わらないんですね。」
「あいつは昔から、かっこいいやつだよ。……それに比べて俺は、くっそダサいやつだ。」
自嘲気味に笑って、俯いた。
彼のあの柔らかな髪が、彼の目元を隠した。
「俺の前ではあんなに励ましてくれたのに、俺が居ないところでは、こんなことが起きていたのが、怖くて怖くてたまらなかった。人の行動には、またほかの誰かの感情と行動がついてくる。俺の行動が、誰かを傷つけるかも知れない。それから、『本当』を出すのが怖くなった。何も知らない振りして笑ってた。それが楽だったんだ。……自分を否定された苦しさは、もう痛いくらい分かってたから。」
彼の横顔は、痛々しく、それで綺麗だった。
傷ついた人の顔というのは、意地悪にも、魅力的に輝くものだ。
「嘘だらけの俺の笑った顔をみて、楓はわざわざ話しかけてきたんだ。『つまんなそうだね。私が笑わせてあげる。』って。それからつまんない話ダラダラと聞かされて、散々だったんだけどな。」
先輩は少し俯いて、ころころと笑った。
絶対に嘘なんかじゃない、無邪気な子供のような笑顔だった。
「でも、そのふざけた話が、俺を救ってくれた。……だから、ずっと、いつかお礼を言いたいなって。」
彼は、甘い目を優しく細めた。
千里先輩は、楓のことが好きなんだ。
話しぶりと、表情と、なにより暖かい目から、察した。
直感で気づいてしまったことに、喉につっかえた小骨のように、ちくりと心を指した。
分かってしまう。
何ヶ月も、ずっと、ずっと見てきたから。
彼のあの笑い方は、本物だ。
ああ、楓のことが、大好きなんだ。
どん底にいた彼を救い出したのは楓で、私のできなかったこともやってのけたのが楓だ。
そんなの、かなうはずがない。
わたしは、彼の横に立てるような、器じゃないんだ。
「……楓は、すごいですよね。先輩のこと救っちゃって。ほんと、かっこいい。」
私には出来なかったな。
きっと、楓なんだろうな。千里先輩を、幸せにできるのは。
「千里先輩と楓は、唯一無二ですね。」
「はは、なんだそれ。どゆこと。」
辛い時に寄り添ってあげられて、その傷を癒えさせるくらい、人の気持ちが分かる女の子。
笑うだけで花が咲くようで、自分を偽ってしまうくらい、他人に目を向ける優しい先輩。
私が割って入る隙間なんて、最初から無かったんだ。
それなのに、頑張っちゃって馬鹿みたい。
少しは先輩に近付けたって勘違いして、恥ずかしい。
大好きな楓を好きな、大好きな千里先輩。
親友の、幸せを願いたい。
先輩の、幸せを願いたい。
なのに、しぶとく自分の思いを叶えたいと思ってしまう。
楓は自分のことより人のために行動できるのに、私はなんて自己中心的なんだろう。
醜くて、彼の隣に並びたくない。
並んでるのが、恥ずかしい。
足取りが一気に重くなり、千里先輩の一歩後ろを歩いた。
その些細な差が、私を冷静にさせた。
千里先輩は、私なんかより、楓と居た方が幸せになれる。
こんなにも器が小さくて、利己的な私なんかより。
だから。
━━━━だから、この恋は、終わりにしよう。
「……じゃあ、後夜祭のフィナーレ、一緒に見るといいですよ。その時、お礼、言っちゃいましょう。」
「はははっ、向こうは俺の事なんか大して覚えてないんだから、誘えるわけないだろ。」
「……大丈夫ですよ、先輩なら!」
「どうだか。」
にこにこと笑うのが辛かった。
取り繕って、ぎこちない笑顔を彼には、見破られたはずだ。
先輩の1歩後ろにいて、良かった。
この笑顔に、この気持ちに、気づかれないで済んだ。
「っ……千里先輩……。」
「……楓も、同じ高校だったんだ。」
千里先輩は、少し気まずそうに笑う。
「……そうみたいだね。すごい偶然。……あ、じゃあ、教室の方の装飾、手伝わなきゃだから。」
「え?楓?」
私は楓の名前を呼んだけど、楓はそのまま身を翻し、教室に戻って行った。
教室ではいつものように明るく楽しそうにしていたけれど、笑顔がいつもよりほんのちょっとだけ曇っているようだった。
先輩は、そのまま後ろに向き直って歩き出した。
戸惑いつつも、先輩を追いかけた。
彼は多分大会議室に向かってる。
2人で無言で歩いていた。
先輩と歩く時は、いつも彼が先に話し始めるから無言にはならないけれど、今日は別みたいだ。
気まずさに耐えられず、思い切って口を開いた。
「先輩と、楓は知り合いなんですか?」
「……うん、中学の時、同じ部活だった。」
先輩は地面を強く見つめて、冷たく言い放った。
いつもは笑ってヘラヘラ受け流すくせに、ぴしゃりとシャッターを下ろすみたいに言うなんて、らしくない。
驚いて何も言えないでいると、彼は、我に返ったかのように笑顔を浮かべた。
「…あごめん、なんでもないから。」
でも、いつも通りの笑顔じゃなく、覇気がなく、上の空だった。
急いで取り繕ったような大人っぽい笑みだった。
今日、2回目の拒絶だ。
もうこりごりだ。
「なんでもないことなくないですか。」
もう嫌われてもいい。
私は、彼のことを、知りたい。
たとえ、私がぐちゃぐちゃに傷ついても。
「さっきもはぐらかすし。そろそろ傷ついちゃいますよ。」
「あ、ごめんそんなつもりじゃ……」
「じゃあどんなつもりですか?私傷ついてますよ。……あはは、なんてね。」
彼らしくない弱った力ない返事に気が狂った。
「話して欲しいな。話したところで何にもできないかもしれないけど。先輩のこと、ちゃんと、知りたい。しかも、楓は私の親友です。なにか、言えることがあるかもしれないですよ。」
じっと彼を見つめた。
さっきとは違って、はっきりと、じいっと。
その視線に気づいた彼は、少し渋って、口を開いた。
千里先輩と楓は、中学が同じだったらしい。
そこで、千里先輩がいるサッカー部のマネージャーだったのが楓だった。
彼女のその底なしの明るさで、部内は太陽に照らされているように平和だったそう。
「……一度、俺のミスで、県大会出場を逃したことがあるんだ。でも誰も責めなかった。『お前のせいもなにもあるか!よく頑張ったよ、俺ら。』って、みんな声掛けた。……でも、『お前のせいじゃない』って、悔しいはずなのにみんなに気を使わせて、無理に笑わせたのが、辛かった。」
彼は過去を見つめるように、じっと窓の外の空を眺めた。
その瞳は、いつものような晴れやかさはなく、雨が降った日のように曇っていた。
「その数日後、俺に『お前のせいじゃない』って言葉かけたヤツらが、部室で俺の悪口言ってんのを聞いた。」
「え……。」
『勝ってれば、まだ先輩たちは引退しなかった』『アイツがシュート外さなければ』『そもそも、あいつは調子乗ってた。あいつに出来るわけなかったんだ』
先輩のことを、責めて責めて責め立てるような言葉をたまたま聞いたそうだ。
そんな場面になったのを想像したら、それだけで背筋が凍るようだった。
彼はちらっと私を見ると、「ビビりすぎだよ。」と笑った。
「そんなこと思うのは当たり前だよ。皆で頑張っていたんだから、決めて欲しいところで決められなかった俺に怒るのは、仕方ない。『そんな事言うなよ。』なんて言える立場にもなくて、言える勇気もなかった。」
窓の外を見て、悲しそうに笑った。
やり場の無い思いを、友達が自分を的にした発散している現場を見かけた。
それは、想像よりも辛くて、しんどいだろう。
━━━━━それを収めたのは、楓だったそうだ。
辛くて、悲しくて、苦しいとき、救ってくれたのは、楓だ。
千里先輩と同じように盗み聞いていた、楓が部室の扉勢いよく開けて『誰のせいとかないから!チームスポーツでしょ!』と、声をあげたらしい。
「俺はマネージャーとあまり関わりを持ってなかったから、楓とは話したことがなくて。『あんたも、悔しくないの!?』って、その時初めて話しかけられたんだよな。大声で強気のくせに、手は震えてて。この子は本当は怖いのに、人のために立ち向かうことが出来るんだって、尊敬した。」
あぁ、この横顔、よく知ってる。
千里先輩を見つめる私の顔と同じだ。
愛おしい思い出に、そっと触れるように優しい笑み。
「……楓は、昔から、変わらないんですね。」
「あいつは昔から、かっこいいやつだよ。……それに比べて俺は、くっそダサいやつだ。」
自嘲気味に笑って、俯いた。
彼のあの柔らかな髪が、彼の目元を隠した。
「俺の前ではあんなに励ましてくれたのに、俺が居ないところでは、こんなことが起きていたのが、怖くて怖くてたまらなかった。人の行動には、またほかの誰かの感情と行動がついてくる。俺の行動が、誰かを傷つけるかも知れない。それから、『本当』を出すのが怖くなった。何も知らない振りして笑ってた。それが楽だったんだ。……自分を否定された苦しさは、もう痛いくらい分かってたから。」
彼の横顔は、痛々しく、それで綺麗だった。
傷ついた人の顔というのは、意地悪にも、魅力的に輝くものだ。
「嘘だらけの俺の笑った顔をみて、楓はわざわざ話しかけてきたんだ。『つまんなそうだね。私が笑わせてあげる。』って。それからつまんない話ダラダラと聞かされて、散々だったんだけどな。」
先輩は少し俯いて、ころころと笑った。
絶対に嘘なんかじゃない、無邪気な子供のような笑顔だった。
「でも、そのふざけた話が、俺を救ってくれた。……だから、ずっと、いつかお礼を言いたいなって。」
彼は、甘い目を優しく細めた。
千里先輩は、楓のことが好きなんだ。
話しぶりと、表情と、なにより暖かい目から、察した。
直感で気づいてしまったことに、喉につっかえた小骨のように、ちくりと心を指した。
分かってしまう。
何ヶ月も、ずっと、ずっと見てきたから。
彼のあの笑い方は、本物だ。
ああ、楓のことが、大好きなんだ。
どん底にいた彼を救い出したのは楓で、私のできなかったこともやってのけたのが楓だ。
そんなの、かなうはずがない。
わたしは、彼の横に立てるような、器じゃないんだ。
「……楓は、すごいですよね。先輩のこと救っちゃって。ほんと、かっこいい。」
私には出来なかったな。
きっと、楓なんだろうな。千里先輩を、幸せにできるのは。
「千里先輩と楓は、唯一無二ですね。」
「はは、なんだそれ。どゆこと。」
辛い時に寄り添ってあげられて、その傷を癒えさせるくらい、人の気持ちが分かる女の子。
笑うだけで花が咲くようで、自分を偽ってしまうくらい、他人に目を向ける優しい先輩。
私が割って入る隙間なんて、最初から無かったんだ。
それなのに、頑張っちゃって馬鹿みたい。
少しは先輩に近付けたって勘違いして、恥ずかしい。
大好きな楓を好きな、大好きな千里先輩。
親友の、幸せを願いたい。
先輩の、幸せを願いたい。
なのに、しぶとく自分の思いを叶えたいと思ってしまう。
楓は自分のことより人のために行動できるのに、私はなんて自己中心的なんだろう。
醜くて、彼の隣に並びたくない。
並んでるのが、恥ずかしい。
足取りが一気に重くなり、千里先輩の一歩後ろを歩いた。
その些細な差が、私を冷静にさせた。
千里先輩は、私なんかより、楓と居た方が幸せになれる。
こんなにも器が小さくて、利己的な私なんかより。
だから。
━━━━だから、この恋は、終わりにしよう。
「……じゃあ、後夜祭のフィナーレ、一緒に見るといいですよ。その時、お礼、言っちゃいましょう。」
「はははっ、向こうは俺の事なんか大して覚えてないんだから、誘えるわけないだろ。」
「……大丈夫ですよ、先輩なら!」
「どうだか。」
にこにこと笑うのが辛かった。
取り繕って、ぎこちない笑顔を彼には、見破られたはずだ。
先輩の1歩後ろにいて、良かった。
この笑顔に、この気持ちに、気づかれないで済んだ。