野いちご源氏物語 一六 関屋(せきや)
源氏(げんじ)(きみ)が都にお戻りになった翌年、空蝉(うつせみ)(きみ)の夫は地方長官の任期が終わった。
夫は常陸(ひたちの)(くに)赴任(ふにん)していたから、「(さきの)常陸(ひたち)(すけ)」と呼ばれているわ。
前常陸の介夫妻がなつかしい都の近くまで帰って来た日のこと。
源氏(げんじ)(きみ)はお寺へお参りに行くため、都の出口の方へ向かっておられたの。
前常陸の介はそれを知って、
<源氏の君のお行列(ぎょうれつ)ならば、さぞかしお(とも)が大勢いるだろう。道が混雑する前に、先に都に入ってしまいたい>
と、明け方から急いで移動することにした。

でも、前常陸の介一行(いっこう)には女性用の乗り物も多くて、ゆっくりとしか移動できない。
「もうすぐそこまで源氏の君のお行列が来ている」
と聞いた前常陸の介は、先に都に入ることは(あきら)めて、都への出入り口あたりでお行列をやり過ごすことにした。
乗り物を道の(はし)()めて、源氏の君一行が通りすぎるのを待つ。
源氏の君は女性用の乗り物がたくさん停まっていることにお気づきになった。
着物の(そで)を少し出していて、その色合いなどが田舎(いなか)(もの)とは思えない趣味の良さだったの。

「地方長官の一行のように見えるが、どこの国から戻ってきた者たちだ」
とお尋ねになると、お供が、
「前常陸の介の一行でございます」
とお答えする。
「それならば、前常陸の介の後妻(ごさい)の弟に、私が『小君(こぎみ)』と呼んでかわいがっていた者がいるはずだ。もう十年以上も昔のことだが、その者を探して呼んでまいれ」
とお命じになると、立派に大人になった小君がすぐにやって来たわ。

「おまえの姉上が常陸国から戻っていらっしゃると聞いてね、お迎えにあがったのだよ。そう姉上にお伝えしておくれ。少しは私のことを(なつ)かしく思ってくださるだろうか」
と言いながら、源氏の君は昔のことをいろいろと思い出しておられる。
ご自分を捨てて夫と地方へ行ってしまった空蝉の君に、言いたいことはたくさんおありなのよね。
ほんの少しの伝言しかおできにならないことをつまらなく思っていらっしゃった。

小君から伝言を聞いた空蝉の君は、昔を思い出して悲しくなってしまった。
<あれから十年、私はすっかり地方長官の後妻が(いた)についてしまった。たった一度関係をもったことがあるとはいえ、今さら何をあの方に申し上げられようか。源氏の君と私はすれ違うだけの運命なのだろう。もう少し早く出会っていたら、あの方の恋人になることだってできたかもしれないけれど>
とこっそり涙を流す。
でも、その涙は源氏の君には伝わらない。
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