推しキャラへの愛を語る私に、幼馴染の王子様は甘すぎる件~オタク女子、現実の溺愛に戸惑い中~
第三話∶突然の誘い
第三話
〇 雨宮家・雫の自室(放課後) 柱
放課後の雫の部屋は、相変わらず、壁一面に貼られたお気に入りのアニメやゲームのポスター、棚に所狭しと並べられたグッズたちに彩られている。しかし、今日の雫は、いつものようにヘッドホンで音楽を聴いたり、イラストを描いたりする代わりに、ベッドの上で毛布を抱きしめ、もぞもぞと身を捩っていた。頭の中は、昼休みの彗との、ほんの短いけれど妙に引っかかるやり取りが、リフレインのように繰り返されていた。
雫の心の声: (まさか彗が、私が昨日徹夜で見てた深夜アニメを知ってるなんて…。しかも、あのマニアックな内容まで…。一体どういうことなの? ただの偶然…にしては、あの時の彗の反応、ちょっと深すぎた気がする…)
壁に貼られた、主人公の少女が巨大な剣を構え、強い眼差しでこちらを見据えるアニメのポスターに、雫はぼんやりと視線を彷徨わせる。その主人公の揺るぎない瞳が、今の落ち着かない雫には、どこか痛いほど眩しく感じられた。
雫の心の声: (彗が私の趣味に興味を持つなんて…今まで一度もなかったのに。一体何かの間違い? それとも、私が変な夢でも見ているのかな…? いや、確かにあの時、彗は私のすぐ隣にいた…。でも、なんで…? あの彗が…?)
頭の中の疑問符を振り払うように、雫はベッドから跳ね起き、スマホを手に取った。無意識にSNSアプリを開くと、案の定、今日もタイムラインは、彗に関する女子たちの投稿で埋め尽くされていた。「今日の彗様も息をのむほど美しかった」「生徒会での完璧な仕事ぶりに尊敬しかない」「あんな優しい微笑みを向けられたら、誰だって落ちちゃうでしょ!」
そんなキラキラとした投稿の群れの中に、ふと、雫の目を釘付けにする一文があった。「そういえば、今日彗様の隣にいた雨宮さんって誰? 全然見かけない顔だったけど…」
最後の投稿を目にした瞬間、雫の心臓は、まるで冷たい水を浴びせられたように、ぎゅっと縮み上がった。嫌な予感が、背筋を這い上がる。
雫の心の声: (やっぱり、みんな気づいてるんだ…。私が彗の隣にいたこと…。彗のことを遠くから眺めているだけだった私なのに…。知らない人からしたら、突然現れた謎の存在…って思われても仕方ないよね…)
今まで感じたことのないような不安が、津波のように押し寄せてきた。地味で、人付き合いも得意ではなく、自分の世界に閉じこもってばかりいる自分のような人間が、学校中の憧れの的である、あんなにも眩い彗の隣にいるなんて、どうしても釣り合わない気がしてしまう。まるで、華やかな舞台に紛れ込んでしまった、場違いなエキストラみたいだ。
その時、スマホが小さく振動した。画面に表示されたのは、予想もしていなかった人物からのメッセージ――「彗」だった。
彗:「今日、時間ある? よかったら、駅前のカフェで話さない?」
雫の心の声: (えええええ!? 彗からお誘い!? まさか、私に!? なんで!? 一体、何を話すっていうの!? やっぱり、昼休みのこと…? あのアニメの話…?)
心臓が、まるで運動会で鳴り響く太鼓のように、ドクドクと激しく脈打つ。頭の中は一瞬にして真っ白になり、どう返信すればいいのか、指先が震えてうまく動かせない。スマホを握りしめたまま、まるで石像のように固まってしまった。
雫の心の声: (カフェなんて…私、普段ほとんど行かないし…。あんなおしゃれな空間、絶対苦手なのに…。コーヒーの味だって、正直よく分からないし…。でも、彗がわざわざ私を誘ってくれたんだ…断るなんて、そんなことできるわけない…よね…?)
頭の中で様々な言い訳が浮かんでは消える中、葛藤の末、雫は意を決して、震える指でメッセージを作成し始めた。
雫:「…うん、大丈夫。何時に行く?」
送信ボタンを押した後も、心臓のドキドキは全く収まらない。まるで、自分の体の中に別の生き物が住み着いて、暴れているようだ。すぐに、彗から簡潔な返信が届いた。
彗:「ありがとう。5時にいつものカフェで待ってるね。」
雫の心の声: (いつものカフェって…まさか、あそこじゃないよね!? 駅前の、すごくおしゃれで、芸能人もたまに来るって噂の…! 前に友達に無理やり連れて行かれた時、場違いすぎて、ずっと隅っこで小さくなっていた記憶が…どうしよう…一体何を着て行けばいいの!?)
雫は慌ててクローゼットを開け放った。普段は動きやすさや機能性を重視した、モノトーンやアースカラーの、地味な色の服ばかりが並んでいる。デートや特別な日に着るような、華やかな服など一枚もない。
雫の心の声: (こんなことになるなら、もう少しおしゃれにも気を遣っておけばよかった…! 今更後悔しても遅いけど…)
結局、数少ないお気に入りの、深いネイビーの落ち着いた色合いの膝丈ワンピースに、薄手のグレーのカーディガンを羽織ることにした。鏡の前に立つと、普段ジャージやパーカー姿ばかりの自分とはあまりにも違う姿に、ひどく違和感を覚える。まるで、誰かの服を無理やり着せられた借り物のようだ。
雫の心の声: (本当に私で大丈夫なのかな…彗は、あんなに素敵な場所に慣れているのに…。私が一緒に行って、浮いてしまったり、彗に恥をかかせたりしないかな…)
様々な不安が頭の中を駆け巡るが、彗がわざわざ自分を誘ってくれたという、ただその事実だけが、雫の背中をそっと押した。意を決して、約束のカフェへと向かう。
〇 駅前・カフェ(夕方) 柱
西の空は、燃えるようなオレンジ色と、それを縁取る紫色のグラデーションに染まり始め、街全体を柔らかな光で包み込んでいる。駅前のロータリーは、家路を急ぐ人々や、これから街の喧騒へと繰り出す若者たちで賑わっていた。そんな喧騒の中に、ひときわ洗練された佇まいのカフェが、静かに佇んでいる。大きなガラス窓からは、温かいオレンジ色の光が溢れ出し、店内で交わされる楽しそうな会話の声が、かすかに聞こえてくる。
心臓をドキドキさせながら、雫はカフェの重いドアに手をかけた。扉が開くと同時に、チリン、と控えめなベルの音が、店内に小さく響き渡る。目に飛び込んできたのは、シンプルながらもセンスの良いインテリア、柔らかな間接照明、そして、思い思いの時間を過ごす、おしゃれな若い女性客たちの姿だった。
雫の心の声: (やっぱり、こういう場所苦手だ…。どこを見ても、雑誌から飛び出してきたような、キラキラした人たちばかりだ…私だけ、完全にこの空間から浮いている…)
店内を見回すと、奥の大きな窓際の席に、すでに彗が座っているのが見えた。夕焼けの柔らかな光を全身に浴びながら、銀色のスプーンで優雅にコーヒーを口に運んでいる。その姿は、まるで一枚の絵画のように、完璧で、そしてどこか遠い存在のように感じられた。
雫の心の声: (あんなにも眩い光を放つ場所に、私みたいな、隅っこでひっそりと生きているような人間が行ってもいいんだろうか…。本当に、私がここにいていいのかな…)
足が鉛のように重くなり、今すぐにでも引き返してしまいたい衝動に駆られたが、ここまで来て、彗が待っているのに、逃げ出すわけにはいかない。雫は、深呼吸を一つして、意を決して彗の席へと近づいた。彗は、雫の気配に気づくと、パッと顔を上げ、いつもの穏やかで優しい笑顔を向け、立ち上がった。
彗:「雫、来てくれてありがとう。」
その声は、カフェの喧騒の中でも、雫の耳にはっきりと、そして優しく響いた。
雫:「う、うん…こちらこそ…」
緊張のあまり、声が蚊の鳴くように小さく震えてしまった。上手く言葉が出てこない雫を気遣うように、彗は穏やかな口調で話しかけた。
彗:「何か飲む? 僕が注文してくるよ。」
雫:「あ、ありがとう…じゃあ、アイスコーヒーで…」
彗がカウンターへ飲み物を注文しに行っている間、雫は所在なさげに、自分の指先を見つめていた。やはり、自分だけがこの洗練された空間に馴染めていないような気がして、全身がむず痒い。早く、彗が戻ってきて、この気まずい沈黙を破ってほしいと、心の中で強く願った。
やがて、彗はトレーに乗せたアイスコーヒーと、自分の頼んだらしい湯気の立つカフェラテを持って、席に戻ってきた。
彗:「どうぞ。」
丁寧に、雫の前にアイスコーヒーのグラスを置く。グラスの中で、氷がカラカラと音を立てた。
雫:「ありがとう。」
一口、冷たいコーヒーを一口に含むと、張り詰めていた気持ちが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
彗は、向かいの席に静かに腰を下ろし、雫の目をまっすぐに見つめて、ゆっくりと口を開いた。その表情は、いつもの柔らかな微笑みの中に、ほんの少しだけ、真剣な光を帯びている。
彗:「今日は、雫に話したいことがあって…」
その言葉に、雫の心臓は再びドキッとした。一体、彗は何を話そうとしているのだろうか。期待と、それ以上に大きな不安が、雫の胸の中で渦巻いた。
ト書き: おしゃれなカフェの、夕焼けに染まる窓辺で、完璧な幼馴染である彗が、静かに雫に向かって語り始める言葉とは――。それは、これまで誰にも見せなかった雫の心の奥深くへと繋がる、予想もしていなかった、新しい扉を開けるような言葉となるのかもしれない。静かに、二人の物語は、これまでとは全く違う、新たな局面を迎えようとしていた。
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