ベンチャーCEOの想い溢れる初恋婚 溺れるほどの一途なキスを君に
 収納棚に飾られたアンナの写真に目をやりながら幸之助は続けた。

「あれも、私より先に逝くとは思わなかったが、もうすぐ会えると思えば寂しくもない。あの世へ行ったら、スイスの話でも聞かせてやれたらと思ってな。だから、二人で行ってきてほしいんじゃよ」

「そうだったんですね。わかりました」

「そうか、行ってくれるかね」と、幸之助が頬を緩めて微笑む。「ありがとう」

「いえ、こちらこそ、こんな素敵なプレゼントをありがとうございます」

「蒼也」と、幸之助は孫を呼んだ。「翠さんと仲良くな」

 なんだか遺言のような言い方で思わず涙がこみ上げてくる。

「当たり前だろ」と、蒼也が祖父の手を両手でしっかりと握りしめる。

 ――当たり前、か。

 夫婦らしいことは、同居以外、何もしてないんですけどね。

「翠さん」と、かすれた声で幸之助が呼ぶ。

「はい」

「もっと早く孫のお嫁さんに迎えたかったんじゃが、蒼也がのう、『もっと翠さんにふさわしい男になってから』と言っていたものでな。だいぶ待たせてしまってすまぬことでしたな」

「そうだったんですか」

「じいさん、それは言わない約束だっただろ」と、蒼也は耳を赤くしながら鼻の頭をかいている。

 ――ちゃんと、考えていてくれたんだ。

 だけど、それだって先延ばしするためのただの言い訳かもしれないよね。

 どっちが本当の気持ちなんだろう。

 ちゃんと話をして、聞いてみればいい。

 それは分かっているけど、聞くのが怖い。

 確かめようとすれば、捨てられてしまうかもしれない。

『偽装結婚に本気になってんのか』

 そんな冷たい台詞を蒼也に言わせたくはない。

 だって……私の方は……蒼也さんを……。

 翠は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 言ってはいけないんだ。

 私はただ役割を演じ続けることを求められているだけ。

 キラキラしてふわふわと実態のないシャボン玉みたいにすぐに弾けるかりそめの夫婦なんだから。

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