ベンチャーCEOの想い溢れる初恋婚 溺れるほどの一途なキスを君に
「その理由って、どういうこと?」
「理由なんてないってことに気づいた時、本当に好きだって気づくんだ」
また油の音がどよめく。
「人を好きになるのに理由なんてないんだ。好きだから好きなんだよ。好きな気持ちを抱かせてくれる相手のことが大切で、かけがえのない存在で、だからこそ、二人でいる時間を失いたくないって思うんだ」
そう言うと父は残り半分にまたソースをつけて口に放り込んだ。
「だけど、そのためには、相手の気持ちを確かめる必要があるだろ。片思いでもいいけど、それだといつか相手は誰かにさらわれて自分の前から去ってしまう時が来る。相手の気持ちを知るためにも、はっきりと自分の気持ちを伝えなくちゃいけないんだ」
父の話に聞き入っていて、つい焦がしてしまいそうになる。
翠は火を止めてコロッケをすべて網に上げた。
「こわかったよ」と、父はつぶやいた。「母さんだって、一緒に話をしている時は楽しそうにしていてくれて、自分にそんな笑顔を見せてくれる女の人なんて、今までいなかったから父さんもすごくうれしくて、舞い上がっていたんだけど、それがただの勘違いだって可能性もあるわけだろ。それを確かめようとしてしまえば、プツンとスイッチが切れるみたいに世界が終わってしまうかもしれないんだ。だから、こわかったよ」
父が大学院にいたころ、母が学部の学生で、二人は知り合ったらしい。
実験などで補助的な指導を行う立場で接していた父は母に一目惚れしたようだが、相手が自分に好意的態度を見せてくれるのはあくまでもその上下関係の範囲での礼儀だと受け止めていたんだそうだ。
それから一歩踏み込んだ関係になるために、父は思いきって告白したんだろう。
だけど、もしも母の好意が思っていたとおりの表面的な礼節にすぎなかったら、指導員を外され、さらには大学院も辞めざるを得なくなって、それはつまりキャリアすら断ち切られることを意味していた。
『こわかった』というのは、ただ単に非モテ男子の臆病さのせいではなかったのだ。
だけど、母は、あっさりと『やっと言ってくれましたね』と、にっこり微笑んで泣いていたそうだ。
女を泣かせたのは後にも先にもあの時だけだというのが父の持ちネタらしい。
「ただ待っているだけでは何も解決しないよ。話してみればいいじゃないか」
食卓についてコロッケに箸を入れる。
サクッと割れて現れたほくほくのジャガイモから湯気が上がる。
「あんなに早く別れが来るとは思っていなかったけど、父さんは母さんと出会ったことが間違いだったなんて思ったことは一度もないよ。今でも愛してるからね。これからもずっと」
――お父さん。
女を泣かせたのは一度しかないと思ってるかもしれないけど、たまにイケメンになるのやめてよね。
夕食の後、翠は自室で考え事をしていた。
スマホが光る。
ずっと放置していた蒼也からのメッセージだ。
《翠、話したい。じいさんの薬は間に合わなかったけど、開発は続けるよ。夢をかなえるために俺を支えてほしい。一度でいいんだ。話をさせてくれないか》
創薬ベンチャーのCEOらしい決意に、頑なだった翠の心が揺れた。
――私の役割は終わったのに、なんでこんな言葉に胸が痛むんだろう。
それでもやはり、何と返事をしたら良いのか思いつかず、結局そのままにしてしまった。
二十年ももつれた赤い糸は、そう簡単にはほぐれそうにはなかった。
「理由なんてないってことに気づいた時、本当に好きだって気づくんだ」
また油の音がどよめく。
「人を好きになるのに理由なんてないんだ。好きだから好きなんだよ。好きな気持ちを抱かせてくれる相手のことが大切で、かけがえのない存在で、だからこそ、二人でいる時間を失いたくないって思うんだ」
そう言うと父は残り半分にまたソースをつけて口に放り込んだ。
「だけど、そのためには、相手の気持ちを確かめる必要があるだろ。片思いでもいいけど、それだといつか相手は誰かにさらわれて自分の前から去ってしまう時が来る。相手の気持ちを知るためにも、はっきりと自分の気持ちを伝えなくちゃいけないんだ」
父の話に聞き入っていて、つい焦がしてしまいそうになる。
翠は火を止めてコロッケをすべて網に上げた。
「こわかったよ」と、父はつぶやいた。「母さんだって、一緒に話をしている時は楽しそうにしていてくれて、自分にそんな笑顔を見せてくれる女の人なんて、今までいなかったから父さんもすごくうれしくて、舞い上がっていたんだけど、それがただの勘違いだって可能性もあるわけだろ。それを確かめようとしてしまえば、プツンとスイッチが切れるみたいに世界が終わってしまうかもしれないんだ。だから、こわかったよ」
父が大学院にいたころ、母が学部の学生で、二人は知り合ったらしい。
実験などで補助的な指導を行う立場で接していた父は母に一目惚れしたようだが、相手が自分に好意的態度を見せてくれるのはあくまでもその上下関係の範囲での礼儀だと受け止めていたんだそうだ。
それから一歩踏み込んだ関係になるために、父は思いきって告白したんだろう。
だけど、もしも母の好意が思っていたとおりの表面的な礼節にすぎなかったら、指導員を外され、さらには大学院も辞めざるを得なくなって、それはつまりキャリアすら断ち切られることを意味していた。
『こわかった』というのは、ただ単に非モテ男子の臆病さのせいではなかったのだ。
だけど、母は、あっさりと『やっと言ってくれましたね』と、にっこり微笑んで泣いていたそうだ。
女を泣かせたのは後にも先にもあの時だけだというのが父の持ちネタらしい。
「ただ待っているだけでは何も解決しないよ。話してみればいいじゃないか」
食卓についてコロッケに箸を入れる。
サクッと割れて現れたほくほくのジャガイモから湯気が上がる。
「あんなに早く別れが来るとは思っていなかったけど、父さんは母さんと出会ったことが間違いだったなんて思ったことは一度もないよ。今でも愛してるからね。これからもずっと」
――お父さん。
女を泣かせたのは一度しかないと思ってるかもしれないけど、たまにイケメンになるのやめてよね。
夕食の後、翠は自室で考え事をしていた。
スマホが光る。
ずっと放置していた蒼也からのメッセージだ。
《翠、話したい。じいさんの薬は間に合わなかったけど、開発は続けるよ。夢をかなえるために俺を支えてほしい。一度でいいんだ。話をさせてくれないか》
創薬ベンチャーのCEOらしい決意に、頑なだった翠の心が揺れた。
――私の役割は終わったのに、なんでこんな言葉に胸が痛むんだろう。
それでもやはり、何と返事をしたら良いのか思いつかず、結局そのままにしてしまった。
二十年ももつれた赤い糸は、そう簡単にはほぐれそうにはなかった。