社長の推しは、地味メガネのわたしでした。
「えっと、ごめんなさい。言っている意味がよく分からないのですが。どなたか別の方と間違えては?」

『それはないです。念のため聞きますが、清瀬さんは、今朝ロビーホールで転んだ女性で間違いないですよね』

 最後の希望を込め聞いた言葉は、朝霞さんの言葉で一刀両断にされてしまう。つまりは――

 脳裏に浮かんだ解答が正解な気がする。もう、諦めるしかないだろう。

「えぇ、そうです。ロビーで転んだ女で間違いないです」

『そうですか、間違えてなくてよかった。それで、この後お時間は?』

 もう逃げられない。お礼も言わず逃げた報いか。

「大丈夫です。特に予定はありませんので」

『では――――』

 社長秘書の朝霞さんと、二言三言交わし電話を切る。

「それで、穂花。どうしたの?」

 心菜の顔を見て泣きそうになっていた。

「心菜あぁぁ、どうしよぉぉぉ。社長室に呼び出されたぁぁ……」

「やっぱりね」

「やっぱりって、どう言うことよぉ」

「そりゃ、そうでしょう。我が社の王子様、一色颯真(いっしきそうま)の目の前でスッ転べばねぇ。しかも、お礼も言わずに逃げ出したら、そりゃ誰だって何だコイツって思われても仕方ないんじゃない」

「えぇぇ、やっぱり王子様って社長の事だったのね……」

「知らない穂花の方が、我が社では珍獣扱いです。毎朝の女性陣のお出迎えだって、日常茶飯事の光景よ。王子様は歯牙にも掛けてないけど」

「ししし、知らなかった」

「毎日、始業一時間前には出社している穂花が知らないのも無理はないけど……。まぁ、あきらめて謝って来なさいな」

 私、社長の前ですっ転んで、謝らなかっただけで呼び出しくらうの。そんなの理不尽だ。

「どうしよぉ……。助けてもらってお礼も言えない社員なんて、我が社にはいらないって、クビにされたら」

「それは大丈夫だと思うけど……。ただ不思議よね。今まで女に全く興味なさそうだったのに。眼鏡を外した素顔を見て、惚れちゃったとか?」

 そんな心菜のつぶやきは、この後の展開を猛烈に思案していた私には届かない。

 この会社をクビになる訳にはいかないのだ。絶対に――
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