社長の推しは、地味メガネのわたしでした。
「社長! 何ですか、その格好!?」

 人目につかない裏路地へと駆け込み、開口一番怒鳴りつける。

「格好? 何か可笑しなところがあるか? 最低限のマナーを守り蝶ネクタイを締めて来たのだが」

「そもそも、その認識が誤っています。ライブに一張羅で来るファンなどいません!」

「そうかぁ? 愛する推しのために、出来る範囲のお洒落をして来るのは、普通の事だろう」

 確かに、推しに会いに行くのだから、自分の出来る最高のファッションで参加するのが、マナーと言われれば、そうかもしれない。ただ、社長の格好は度を超えている。

 蝶ネクタイなんて、結婚式の新郎くらいしか着けない代物だろうに。

 しかも、ダダ漏れるイケメンオーラ。いいや、オーラだけの似非イケメンではない。実際に超絶イケメンでもあるのだ。黒塗りの高級車から降り立った時の、観衆のどよめきは、芸能人並みだ。今も、ミーハーな女子がスマホ片手に、社長を探している事だろう。完全に、どこぞの大物芸能人と間違えている。

「確かに推しに会うためにオシャレをするファンもいます。ただ、TPOは弁えています。飛んで、跳ねて、叫ぶライブにドレスやスーツで来るファンなんていませんよ。動きにくい」

「そうだな……。この格好だと、本気で応援は出来なさそうだ」

 自分の格好を見下ろし、社長が気まずそうに笑み崩れる。それを見て、少しずつ怒りが収まり、冷静になっていく。

 ちょっと、言いすぎたかもしれない。彼は、ライブ初心者なのだ。ライブの格好なんて知る訳ないか。

「すいません、社長。言い過ぎました」

「いいや、俺ももう少しリサーチしてこればよかったよ。すまない」

 ショボンと肩を落とす社長を見て、罪悪感が込み上げる。

「あの、その……。社長……」

「そう言えば、清瀬さん。その社長というのも、そろそろやめないか?」

「えっ?」

「いやね。仕事でも社長と言われ、プライベートでも社長と言われるのは、何だか公私混同しているようで落ち着かないんだよ」

 確かに、ライブ中ずっと社長と呼び続けるのも、何だか違うような気がする。

「では、なんとお呼びすればいいですか?」

「そうだなぁ……。一色さん、いちさん、いっちゃん、そうさん……。よし! そうちゃんで」

「そうちゃん!! いやいや、無理ですって。社長をそんな友達みたいに言えません」

「もう友達みたいなものではないか。同じ花音のファンとしてね」

 そう言って笑う社長の顔が、あまりにも無邪気で、胸の鼓動がわずかに跳ね上がる。それと同時に、体温まで上がってくるようで落ち着かない。

 社長があんな事、言うからいけないのだ。

「とにかく、社長をそ、そ、そうちゃんだなんて呼べませんから!」

「そう言うものかな? じゃあ、颯真さんで手を打とう」

「えっ!? それも無理ですって……」

「無理じゃない! っと……。もうこんな時間か。ライブが始まってしまう。行くよ!」

 不毛な押し問答を遮るように、私の手を掴んだ社長が走り出す。

 掴まれた手が、いつもより熱く感じていたなんて、きっと気のせいだと思いたい。
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