社長の推しは、地味メガネのわたしでした。

グリーンノートの香り

「追いかけて来るわけないか……」

 一人お店を飛び出し、雑踏の中に紛れ歩く事数分。背後を振り返り、誰も自分を追って来ている様子がない事を見て、街路樹の縁石に腰掛ける。

「本当、何やっているんだろ、私……」

 ぽつりとつぶやいた言葉をかき消すように、冷たい風が色づき始めた葉を揺らす。

 赤ワインをやけ酒したというのに、酔いは醒めかけている。

 いいや、酔いは醒めていないのだろう。むしろ、走ったせいで、酔いは益々悪化しているようにも感じられる。あの場を逃げ出したというのに、心の中に溜まった澱みは晴れることはない。こんなにも心が暗く沈んでいるのは、酔いのせい。そう考えなければ、自分の心は壊れてしまう。

 妹と社長の会話に嫉妬して、当たり散らしてしまった。

 目を見開き、唖然とした表情で私を見つめていた社長の顔を思い出し、胸が締め付けられる。

 きっと、呆れられた。

 お門違いの八つ当たりをして、あの場をぶち壊した私は、大人の女性とは言えない。癇癪を起こした子供と同じ。こんな幼稚な私を誰が愛してくれるというのだろうか。

 だから誰も追いかけてきてくれない。

 本当、わがままな子供と一緒。誰も悪くない。全て悪いのは、私……

 びゅっと吹いた冷たい風に、パーカーの前をかき合わせる。

 あの家には帰りたくないな。妹のいる家には。

 今日は、ビジネスホテルでも取ればいい。明日からの事は、また考えればいい。きっと、どうにかなる。

 そんな気持ちを胸に雑踏の中を歩き出した私は、背後から近づく人物の存在に気づいていなかった。急に腕を掴まれ反射的に振り向いた先に居た人物を見つめ、唖然と立ちすくむ。
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