Sapphire Lagoon[サファイア・ラグーン1作目]
【第十一章】[心奥の灯]
[想] -1-*
深い睡眠でいつになく良い血色を取り戻した僕達は、サファイア・ラグーンでの六日目の朝を迎えていた。
ルーラの本当の気持ちは分からない。けれど自分の出逢った善良な人間に関しては、信用を失くしていないことは明らかにされた。もちろん僕もその内の一人だった訳で、それでも翌朝此処から発とうとする僕を、必死に止めてくれたのはルーラ本人だった。
残された一日を僕はルーラを見つめることに専念した……訳でもなかった。それが僕にとって良いことではないと、アーラ様は判断されたのだろう。砂浜や珊瑚礁の見回りを任され巡ってみたが、意外に傷んだ部分や汚れた場所があり、修復に努めている内にいつの間にか時が過ぎ去っていた。
ルーラは蟠りから解放されたお陰か、残りの時間で驚くべき才能の開花を見せた。人間の血が起因するのか、彼女の本来の能力なのか──修行四日目にしてアーラ様の教えられる全ては彼女の物となった。
そういった成すべきことの終えた夜は、アーラ様も交え楽しむことに費やされた。それでもアーラ様は気を利かせてくれたのか、早目に休むと自室へ戻られたが、ルーラからどんなに催促されても、あの扉越しに語った僕の夢の続きは、彼女の耳に囁かれることはなかった。
何より照れ臭かったというのが一番だが、あれだけ意を決しても言葉にならなかった言葉だ。もはや口にしてしまったら叶わないのではないかという不安もあった。口に出してしまったら──全てが幻と化し、泡と消える──『あれ』はそんな呪文なのかもしれない。
「アーラばば様……本当に本当にもうダメなの?」
「何度言ったら分かるのじゃ。此処にいられるのは丸七日。それ以上いれば……」
「分かってます! だったら明後日の朝まで大丈夫でしょ? 何故今じゃなくちゃ……」
「じゃからと言ってもう一日いてどうする? 結界へ戻るのにまた数日を要すのじゃから──」
「アーラばば様~っ」
明後日に旅立てばいいのだと思い込んでいたルーラは、今朝になって突然戻れと言われたことを酷く悲しみ、延々アーラ様に食い下がること十五分。二人のやり取りは永遠に続きそうな勢いであった。
アーラ様はルーラの強情さに呆れながらも、珍しく感情を隠さずにこの言い合いを楽しんでいる。僕達が戻ってしまえばまた魂達との音のない世界だ。大ばば様がそうであったように、アーラ様もルーラが可愛くて仕方ないのだろう。
「ルーラ」
僕はいつまでも引き下がらないルーラを見かねて後ろから肩を叩いた。瞬く間に言葉と動きは止まりしゅんとしてしまう。しかしそれも刹那のことで、
「アーラばば様、あたし必ずもう一度来るわ。もちろん死ぬ前によ。だからあたしのこと、忘れずにいてね」
そう言ったルーラの鼻先は、泣くのを我慢するように少し赤らんでいた。
「こんな騒がしいシレーネなど忘れたくても忘れられんよ……ルーラ、そなたは今までの慣習に囚われず、自分が正しいと思った道を進みなさい……アメルも、な」
「はい」
二人の返事が重なった。
それからアーラ様は僕達二つの扉の前まで移動し、両方を同時に一撫でした。途端あっと言う間に扉は消え、あたかも其処には何も存在していなかったかのようであった。
持ち出すことを許されたのは、父さんの時計と母さんの手提げ鞄、それにルーラの部屋を埋め尽くしていた大きな海藻の断片だけだ。これは結界で植えつければ勝手に自生するそうで、海を浄化し更に食べても美味しいらしい。
「ばば様、これ、ばば様にあげる」
微かにはにかんだルーラの手には、既に別の紐を通したウィズの石があった。彼女はアーラ様の手を取って、手首に通してにっこり微笑んだ。
「ルーラ……」
アーラ様はいつになく驚いた表情をした。心が読めなかった、というより予想もしなかった行動だったのだろう。
「もうこれがなくても魔法は使えるもの。大ばば様も、お二人の母様もきっとここにいたいって思ってるわ」
「……」
腕輪と化したウィズの石とルーラの顔を交互に見つめて、アーラ様は小さく口を動かしたが、とうとう声にはならなかった。
「アーラばば様、ありがとう」
「アーラ様、ありがとうございました」
僕達は砂浜へ移動し、それぞれ挨拶をした。
「此処から出すのも手荒くなるが勘弁しなされ。外界の海中ではまた魔法の力が必要じゃ。二人、手を離すでないぞ」
「はい」
そう諭されて以前のようにギュッとお互いの手を握り締め、アーラ様はそれにウィズの石輝く自身の手を添えた。と、途端に嵐の中へ突き飛ばされたような感覚に晒されて、僕は思わず目をつむっていた。
「礼を申すぞ……」
暗闇の中に浮かぶ二つの白いローブがにんまりと笑い、小さく呟いて消えていった。
再び気を失うまでのまどろみの時、その声は繰り返し反響し、僕達の心を温かく満たしていた──。
◇ ◇ ◇

僕達は随分長い時を、波に身を任せて漂っていたのかもしれない。
先に目を覚ましたのはルーラの方だった。晴れた海の水面は太陽の光を十分に吸い込んで煌き、凪いで金色のしじまと化している。
「あ……ごめんよ。起こしても起きなかった?」
しばらくは生まれたての赤子のように、開いた瞼の先はぼやけて、視線は霧の中を彷徨うみたいに泳いでいた。が、次第に輪郭が整う。真正面から覗いているルーラの鼻先が、驚くほど近くに感じられたので、少し戸惑いながら問いかけた。
「えっと……あ、ううん。あたしも今気付いたところ……」
僕の感情はまるで伝播したように、答えたルーラも慌てていて、その頬はほんのり上気して見えた。
「あの……ごめんなさい。こうなる前に呪文を唱えておけば良かったのだけど……」
更に申し訳なさそうなその言い方に、僕は自分の髪が濡れていることに気付いた。見れば僕の身体はルーラに支えられて、顔だけを海面に出し、全身は海水に浸っている。
「ご、ごめんっ。大丈夫だよ、自分で泳げるから」
久し振りに触れた潮の温度と匂いは決して不快ではなかった。これだけ海中の旅を続けながら、海を感じたのは結界を出る時と船を見つけた時だけなのだ。
少々落ち込んだルーラを元気づけようと、僕は彼女からそっと離れ、得意そうに泳いで逃げてみせた。
「あっ、アメル!」
一瞬何が起きたのか分からなくなった彼女を残して、僕は太陽の方向へ泳ぎ去った。やがて人魚のプライドを賭けてとばかりに、いつにないスピードであっと言う間に追いついたルーラを受け止め、二人で笑った。
「アメルが泳いでいるの、初めて見たかもしれないわ」
「そうだね。そんなに上手じゃないけど」
そんなことない、と即座に否定したルーラの両手は僕の腕をしっかり握り締めていて放す気配はなかった。
「……どうかしたの? ルーラ」
「う……ううん……今、魔法を掛けるわね」
彼女の心の中には何かの想いがあるように思われた。その切ない表情で瞳を逸らす仕草は、今までのルーラとは違う。
けれど敢えて問い質すことはやめにした。結界に戻ってからの彼女には多くの試練が待っている。せめて帰路の間くらいは楽しい旅でも良い筈だ。
ルーラの唇から微かな歌声が紡がれ、ややあって以前のような空気の膜が僕の全身を取り巻いた。
「あ……」
しかしウィズの石の魔法で作られた時とは何かが違っていた──香り? この匂いは……僕を満たすこの空間にはルーラの甘い香りが漂っていた。
「ん?」
驚く僕の様子に疑問を投げかけたルーラに対し、
「いや……ありがとう、ルーラ」
彼女自身の香りだとは言いはばかったので、つい言葉を濁していた。それでも大して気にされず、感謝の言葉にいつも通りの笑顔が返ってくる。
それからルーラは僕の右手を自分の肩に触れさせ、ルラの石を両手で包み込み、父親に念を送るように目を閉じた。すると指の隙間から石の光が零れ出し、小さな球体をかたどったと同時に、あっと言う間に海面すれすれを飛び去ってしまった。
「この方向にルーラの父さんがいるんだね」
サファイア・ラグーンで手に入れた父さんの懐中時計は、母さんの鞄に収めておいたが、何故だろう濡れることはなく、しっかりと時を刻んでいた。この時刻・この太陽の位置・この方角──おそらくジョルジョはイタリアに辿り着いたのだろう。すぐに出発したとしても落ち合うのは三日後程度か……それまでの食糧は何とか確保しなくてはいけない。
けれど僕は鞄の中に、あの尽きることを知らない食糧袋と、水の入った革袋を見つけた。何から何までアーラ様の配慮は完璧だった。これでもう何の心配も要らない。
「ね、アメル。一週間前もこうしていたのよね」
僕達は以前のように海底へ潜り、光の消えた方向へ歩みを始めた。
この辺りの水深は深く、上を見上げてみてもまるで漆黒の夜のようだ。ルラの石の微かな光だけが僕達の道標となっている。
淡い水色の光に照らされたルーラの髪は、この世の物とは思えぬような繊細な色を創り出し、動きに合わせて波打つ度、更に複雑なグラデーションを魅せた。その視線に気付いたのか、時々恥ずかしそうに振り向く青白い肌と大きな瞳に、僕は益々惹きつけられて、思わず吸い込まれそうな錯覚を起こした。
彼女はまるで闇夜に咲く青い花の妖精だった。
けれどそれは気高く儚く、僕を寄せつけては引き離す。追いかけても追いかけても手に入らない幻。この握り締めた細い指も、あの砂のようにいつか僕の指の隙間をすり抜けて消えてしまう。
それでも。
それでも僕は誓おう。君を守り続けることを。いつか結界から抜け出して様々な困難にぶつかっても、君の代わりに跳ね除けられるそんな人間になってみせる。
心の中で再度宣言すると、不思議と気持ちが落ち着いた。
まずはジョルジョと再会するまで何事もなく、イタリアを目指して歩き続けることだ。
僕はルーラの手を改めて握り返した。
「アメル……?」
「帰ろう、ルーラ。結界へ──」
ルーラの瞳が一瞬憂いを帯びて潤み、「うん」と頷いて笑みを湛えるように弓なりに細くなった。僕は同じ表情をして真正面を向き、彼女を導くように一歩先を歩き出した。
彼女との別れが近付いていた──。

ルーラの本当の気持ちは分からない。けれど自分の出逢った善良な人間に関しては、信用を失くしていないことは明らかにされた。もちろん僕もその内の一人だった訳で、それでも翌朝此処から発とうとする僕を、必死に止めてくれたのはルーラ本人だった。
残された一日を僕はルーラを見つめることに専念した……訳でもなかった。それが僕にとって良いことではないと、アーラ様は判断されたのだろう。砂浜や珊瑚礁の見回りを任され巡ってみたが、意外に傷んだ部分や汚れた場所があり、修復に努めている内にいつの間にか時が過ぎ去っていた。
ルーラは蟠りから解放されたお陰か、残りの時間で驚くべき才能の開花を見せた。人間の血が起因するのか、彼女の本来の能力なのか──修行四日目にしてアーラ様の教えられる全ては彼女の物となった。
そういった成すべきことの終えた夜は、アーラ様も交え楽しむことに費やされた。それでもアーラ様は気を利かせてくれたのか、早目に休むと自室へ戻られたが、ルーラからどんなに催促されても、あの扉越しに語った僕の夢の続きは、彼女の耳に囁かれることはなかった。
何より照れ臭かったというのが一番だが、あれだけ意を決しても言葉にならなかった言葉だ。もはや口にしてしまったら叶わないのではないかという不安もあった。口に出してしまったら──全てが幻と化し、泡と消える──『あれ』はそんな呪文なのかもしれない。
「アーラばば様……本当に本当にもうダメなの?」
「何度言ったら分かるのじゃ。此処にいられるのは丸七日。それ以上いれば……」
「分かってます! だったら明後日の朝まで大丈夫でしょ? 何故今じゃなくちゃ……」
「じゃからと言ってもう一日いてどうする? 結界へ戻るのにまた数日を要すのじゃから──」
「アーラばば様~っ」
明後日に旅立てばいいのだと思い込んでいたルーラは、今朝になって突然戻れと言われたことを酷く悲しみ、延々アーラ様に食い下がること十五分。二人のやり取りは永遠に続きそうな勢いであった。
アーラ様はルーラの強情さに呆れながらも、珍しく感情を隠さずにこの言い合いを楽しんでいる。僕達が戻ってしまえばまた魂達との音のない世界だ。大ばば様がそうであったように、アーラ様もルーラが可愛くて仕方ないのだろう。
「ルーラ」
僕はいつまでも引き下がらないルーラを見かねて後ろから肩を叩いた。瞬く間に言葉と動きは止まりしゅんとしてしまう。しかしそれも刹那のことで、
「アーラばば様、あたし必ずもう一度来るわ。もちろん死ぬ前によ。だからあたしのこと、忘れずにいてね」
そう言ったルーラの鼻先は、泣くのを我慢するように少し赤らんでいた。
「こんな騒がしいシレーネなど忘れたくても忘れられんよ……ルーラ、そなたは今までの慣習に囚われず、自分が正しいと思った道を進みなさい……アメルも、な」
「はい」
二人の返事が重なった。
それからアーラ様は僕達二つの扉の前まで移動し、両方を同時に一撫でした。途端あっと言う間に扉は消え、あたかも其処には何も存在していなかったかのようであった。
持ち出すことを許されたのは、父さんの時計と母さんの手提げ鞄、それにルーラの部屋を埋め尽くしていた大きな海藻の断片だけだ。これは結界で植えつければ勝手に自生するそうで、海を浄化し更に食べても美味しいらしい。
「ばば様、これ、ばば様にあげる」
微かにはにかんだルーラの手には、既に別の紐を通したウィズの石があった。彼女はアーラ様の手を取って、手首に通してにっこり微笑んだ。
「ルーラ……」
アーラ様はいつになく驚いた表情をした。心が読めなかった、というより予想もしなかった行動だったのだろう。
「もうこれがなくても魔法は使えるもの。大ばば様も、お二人の母様もきっとここにいたいって思ってるわ」
「……」
腕輪と化したウィズの石とルーラの顔を交互に見つめて、アーラ様は小さく口を動かしたが、とうとう声にはならなかった。
「アーラばば様、ありがとう」
「アーラ様、ありがとうございました」
僕達は砂浜へ移動し、それぞれ挨拶をした。
「此処から出すのも手荒くなるが勘弁しなされ。外界の海中ではまた魔法の力が必要じゃ。二人、手を離すでないぞ」
「はい」
そう諭されて以前のようにギュッとお互いの手を握り締め、アーラ様はそれにウィズの石輝く自身の手を添えた。と、途端に嵐の中へ突き飛ばされたような感覚に晒されて、僕は思わず目をつむっていた。
「礼を申すぞ……」
暗闇の中に浮かぶ二つの白いローブがにんまりと笑い、小さく呟いて消えていった。
再び気を失うまでのまどろみの時、その声は繰り返し反響し、僕達の心を温かく満たしていた──。
◇ ◇ ◇

僕達は随分長い時を、波に身を任せて漂っていたのかもしれない。
先に目を覚ましたのはルーラの方だった。晴れた海の水面は太陽の光を十分に吸い込んで煌き、凪いで金色のしじまと化している。
「あ……ごめんよ。起こしても起きなかった?」
しばらくは生まれたての赤子のように、開いた瞼の先はぼやけて、視線は霧の中を彷徨うみたいに泳いでいた。が、次第に輪郭が整う。真正面から覗いているルーラの鼻先が、驚くほど近くに感じられたので、少し戸惑いながら問いかけた。
「えっと……あ、ううん。あたしも今気付いたところ……」
僕の感情はまるで伝播したように、答えたルーラも慌てていて、その頬はほんのり上気して見えた。
「あの……ごめんなさい。こうなる前に呪文を唱えておけば良かったのだけど……」
更に申し訳なさそうなその言い方に、僕は自分の髪が濡れていることに気付いた。見れば僕の身体はルーラに支えられて、顔だけを海面に出し、全身は海水に浸っている。
「ご、ごめんっ。大丈夫だよ、自分で泳げるから」
久し振りに触れた潮の温度と匂いは決して不快ではなかった。これだけ海中の旅を続けながら、海を感じたのは結界を出る時と船を見つけた時だけなのだ。
少々落ち込んだルーラを元気づけようと、僕は彼女からそっと離れ、得意そうに泳いで逃げてみせた。
「あっ、アメル!」
一瞬何が起きたのか分からなくなった彼女を残して、僕は太陽の方向へ泳ぎ去った。やがて人魚のプライドを賭けてとばかりに、いつにないスピードであっと言う間に追いついたルーラを受け止め、二人で笑った。
「アメルが泳いでいるの、初めて見たかもしれないわ」
「そうだね。そんなに上手じゃないけど」
そんなことない、と即座に否定したルーラの両手は僕の腕をしっかり握り締めていて放す気配はなかった。
「……どうかしたの? ルーラ」
「う……ううん……今、魔法を掛けるわね」
彼女の心の中には何かの想いがあるように思われた。その切ない表情で瞳を逸らす仕草は、今までのルーラとは違う。
けれど敢えて問い質すことはやめにした。結界に戻ってからの彼女には多くの試練が待っている。せめて帰路の間くらいは楽しい旅でも良い筈だ。
ルーラの唇から微かな歌声が紡がれ、ややあって以前のような空気の膜が僕の全身を取り巻いた。
「あ……」
しかしウィズの石の魔法で作られた時とは何かが違っていた──香り? この匂いは……僕を満たすこの空間にはルーラの甘い香りが漂っていた。
「ん?」
驚く僕の様子に疑問を投げかけたルーラに対し、
「いや……ありがとう、ルーラ」
彼女自身の香りだとは言いはばかったので、つい言葉を濁していた。それでも大して気にされず、感謝の言葉にいつも通りの笑顔が返ってくる。
それからルーラは僕の右手を自分の肩に触れさせ、ルラの石を両手で包み込み、父親に念を送るように目を閉じた。すると指の隙間から石の光が零れ出し、小さな球体をかたどったと同時に、あっと言う間に海面すれすれを飛び去ってしまった。
「この方向にルーラの父さんがいるんだね」
サファイア・ラグーンで手に入れた父さんの懐中時計は、母さんの鞄に収めておいたが、何故だろう濡れることはなく、しっかりと時を刻んでいた。この時刻・この太陽の位置・この方角──おそらくジョルジョはイタリアに辿り着いたのだろう。すぐに出発したとしても落ち合うのは三日後程度か……それまでの食糧は何とか確保しなくてはいけない。
けれど僕は鞄の中に、あの尽きることを知らない食糧袋と、水の入った革袋を見つけた。何から何までアーラ様の配慮は完璧だった。これでもう何の心配も要らない。
「ね、アメル。一週間前もこうしていたのよね」
僕達は以前のように海底へ潜り、光の消えた方向へ歩みを始めた。
この辺りの水深は深く、上を見上げてみてもまるで漆黒の夜のようだ。ルラの石の微かな光だけが僕達の道標となっている。
淡い水色の光に照らされたルーラの髪は、この世の物とは思えぬような繊細な色を創り出し、動きに合わせて波打つ度、更に複雑なグラデーションを魅せた。その視線に気付いたのか、時々恥ずかしそうに振り向く青白い肌と大きな瞳に、僕は益々惹きつけられて、思わず吸い込まれそうな錯覚を起こした。
彼女はまるで闇夜に咲く青い花の妖精だった。
けれどそれは気高く儚く、僕を寄せつけては引き離す。追いかけても追いかけても手に入らない幻。この握り締めた細い指も、あの砂のようにいつか僕の指の隙間をすり抜けて消えてしまう。
それでも。
それでも僕は誓おう。君を守り続けることを。いつか結界から抜け出して様々な困難にぶつかっても、君の代わりに跳ね除けられるそんな人間になってみせる。
心の中で再度宣言すると、不思議と気持ちが落ち着いた。
まずはジョルジョと再会するまで何事もなく、イタリアを目指して歩き続けることだ。
僕はルーラの手を改めて握り返した。
「アメル……?」
「帰ろう、ルーラ。結界へ──」
ルーラの瞳が一瞬憂いを帯びて潤み、「うん」と頷いて笑みを湛えるように弓なりに細くなった。僕は同じ表情をして真正面を向き、彼女を導くように一歩先を歩き出した。
彼女との別れが近付いていた──。
