乙女解剖学
波間に溶けゆく泡たちよ
3日間という期間付きではあったけれど、空蝉さんはあたしの家にいてくれた。
それは、今までの彼との会話や行為とは比べ物にならないくらいの甘さで、幸福という概念はこの瞬間と近いものだということを知った。
空蝉さんは、片付けが苦手なあたしのために掃除を手伝ってくれた。食器を洗って、ゴミをまとめてくれた。その手際が妙に慣れていて、意外に家庭的なんだな、と思った。
あたしが大学やバイトに行っている間も、彼はずっと家にいた。何もすることがない彼に、定額制動画配信サービスにログインした状態のタブレット端末を渡したら、彼は意外にも全年齢向けのアクション映画を観ていて、やっぱり男の子なんだなと思った。
家に帰ると、出迎えてくれた。夜ご飯を一緒に食べた。お風呂に一緒に入った。一緒に、肩を並べて眠った。だけど、あたしを抱くことはしなかった。
あたしを殺そうとした彼の姿は薄れていって、理想の王子様がそこにいて、なんだか拍子抜けをした。この世界で一番幸せなのは間違いなく、あたしだった。
そして、3日目の夜。
白い入浴剤を入れてみたお風呂にふたりで入りながら、この生活も今日で終わりだと思っていた。
ゆっくり浸かりたくて、いつもよりも温度をぬるめにしてしまった湯船で、空蝉さんがあたしを後ろから抱きしめている。甘くて、意味がわからないだろうが、これがこの空間の真実だった。
「空蝉さんは、明日帰るんですか」
「そうだよ」
もっとここにいて欲しい、だなんて、突拍子もないことを考えてしまう。だけど、そんなこと言えなかった。話題を切り替える。
「どうして、こんなに甘いんですか」
「おれが、甘いように見える?」
「はい、とっても」
空蝉さんに背を向けているから、彼がどんな顔をしているのかなんてわからない。わからないけど、きっと、穏やかな顔をしているのだろうと、そんな確信ができてしまうくらいには、あたしはこの生活に溺れていた。