ゆるゆる探偵そのまの事件簿
住宅街の一角にある小さなカフェ「ニコニコ堂」。そこにいつも座っているのが、マイペースでほんわかした雰囲気をまとった女の子、松尾そのま。年齢不詳、そんなに活発に動き回るタイプではないけれど、なぜか彼女の周りには小さな謎が集まってくるのだ。
ある休日の午後。カフェには、常連客たちがリラックスした時間を過ごしていた。気軽な笑い声が飛び交う中、一人の客が静かに立ち上がり、一言、こうつぶやいた――
「おかしい…。ポケットに入れたはずの鍵がないんだ。」
その一言が、何気ない午後に波風を立てる。全員の視線が彼に集まる中、カウンター席でホットココアをすすっていたそのまちゃんが、なんともゆるい口調でつぶやいた。
「ふーん…それ…本当にポケットに入れたのかな?」
全員が「?」という顔で固まった。いつものそのまちゃんは特に目立つこともせず、ただ笑って過ごしているだけなのに…。
不穏な空気の中、そのまちゃんはふわっと立ち上がり、まるでカフェの空気をかき分けるような軽やかな足取りで歩き始めた。その視線の先には、一冊の分厚い本が置かれたテーブルがあった――。
そのまちゃんが目を留めたのは、雑誌やメモ帳に紛れて置かれた厚みのある「辞書」だった。表紙は使い古され、角が擦れている。彼女はじっとそれを見つめた後、カフェの奥にある窓際の席を指差して言った。
「鍵ね、そこの席に置かれてた本の中に入ってるんじゃない?」
常連たちは不思議そうな顔を見合わせた。さっき立ち上がった男、田中さんが「そんなわけないよ」と苦笑いしながら本をペラペラとめくる。すると――
「……え?」
田中さんの手が止まり、本の間からキラリと金属が光った。そこには確かに鍵が挟まっていたのだ。
「ばっ…なんでこんなところに!?」
その驚きに、そのまちゃんはふわりと肩をすくめる。
「田中さん、さっきカフェに入ってくる時、本を読みながら歩いてたよね?無意識に鍵、そこに挟んじゃったんじゃないかなぁ~と思って。」「そっ…そんな…!いや、確かに読んでたけど、そんなことするか?」
半信半疑ながらも納得する田中さんに、周りのお客さんたちから感嘆の声が響く。「松尾さんって、意外と洞察力あるんだね!」とか「まるで探偵みたいだ!」とか、口々に褒められるけれど、本人はただニコニコと笑っている。
「そんなにすごいことじゃないよ~。みんながよく観察してないだけ。」
そうは言いつつ、そのまちゃんの"ゆる推理"が敵わないことは明白だった。だがこの日、カフェにはもう一つの「本物の謎」が潜んでいた。
…それが発覚したのは、わずか数分後のことだった。
カフェの奥の座席に座っていた女性が、突然小さな悲鳴をあげる。
「携帯が、ない…!どこかに忘れちゃったかも…。」
先ほどと同じようにざわつく店内。しかし今度は、机の上にも椅子の下にも、携帯は見つからない。「さっきまで使っていたのよ、間違いないの」女性が不安そうにつぶやく中、先ほど田中さんに視線を送ったそのまちゃんが今度はふと窓の外を見た。
「携帯、外に…落ちてたりして?」
そのまちゃんが指差した先――そこには、確かに歩道に光る何かがあった。そして、その携帯を拾い上げたのは、偶然通りがかった制服姿の女子高校生。
「すみません!これ、窓の近くから誰かが落としたんじゃないですか?」
この奇妙で"ゆるい"事件が、松尾そのまをひとりの名探偵として称される"本当の始まり"になるとは、誰もまだ気づいていなかった――。


皆が携帯を無事に取り戻せたことに安堵する中、松尾そのまは再び席に戻ると、ホットココアを一口すすった。周囲は「さすが松尾さん!」と盛り上がりを見せる中、本人はいつも通りの“ゆるさ”を維持している。
だが、この小さな喧騒に紛れて、カフェの隅で一人静かに本を読んでいた男がそっと立ち上がった。その表情は、どこか険しい。ポケットに手を差し込みながら、店を出る直前にそのまの方を一瞥すると、彼の口元がわずかに動いた――。
「……面倒な人間に目を付けられたな。」
誰にも聞こえない低い声だったが、そのまは一瞬、ピクッと反応した。口元に微笑を浮かべながら、目はじっとその男の後ろ姿を追っていたのだ。
「……あの人、この店じゃ見ない顔だよね。」ぼそっとつぶやくと、隣に座ったカフェの店長が首を傾げた。「松尾さん、誰のこと言ってるの?」
そのまはふわりと席を立ち、さっき男が座っていた席に近付くと、テーブルを指先でトントンと軽く叩いた。「ここに座ってた人…見覚えないなぁ。あれ、本屋さんの袋?」
座席には一つの紙袋が置き忘れられていた。それを見て店長は「あっ」と声を漏らす。「そうだ、この忘れ物!あの男性のものか。追いかけて渡してこなくちゃ。」
しかし、外を覗いても既に男の姿は消えている。仕方なく紙袋を元通りに戻そうとした瞬間、店長の手が止まった。袋の中に見慣れない小さな箱が入っていたからだ。箱には手書きの文字で「ご自由にお取りください」と書かれている。
「何だこれ?」
興味本位で開けようとする店長を、なぜかそのまちゃんがふわりと止める。「開けないほうがいいんじゃない?」「なんで?」
そのまは微笑みながら答える。「なんとなく、嫌な感じがするから。」
“嫌な感じ”。その曖昧すぎる理由に店長は困惑するものの、彼女の言葉にはどこか説得力があった。
それは"嫌な予感"などではない。そのまちゃんだけが感じ取った"警告"に近いやつだ。
しばらくの沈黙の後、店内の静けさを破るように、店の扉が再び開いた。そこに立っていたのは、制服を着た二人組の警察官だった。
「すみません、このカフェで"不審物"が届けられたという連絡を受けたのですが…」
「えっ、不審物!?」店長が驚きの声を上げるが、その一方で"ひょいっ"とそのまちゃんはテーブルから紙袋を手に取り、警察に見せる。「多分これじゃないかなぁ?」
警察官の目の前に差し出された紙袋。紛れもなく男が置いていったもので、その中に入っていた箱が不審物として疑われていた。だが、そのまちゃんは微笑んだままだ。裏腹に、その瞳の奥では何かが動き始めていた――。
この落し物、そのまちゃんは既に気づいていたのだ。「ただの忘れ物」じゃない。そしてその紙袋が引き金となり、大きな事件が始まることを…。

カフェの片隅で、警察官が紙袋を慎重に開けていく。その瞬間――松尾そのまは、ふっとため息をついた。ゆるい雰囲気のそのまちゃんが感じる"嫌な予感"が次第に形を成し始めていたからだ。
警官が中から取り出したのは、真っ黒な皮の手袋。それだけではない。手袋の片方に、何かが黒い布で包まれていたのだ。布がほどかれ、中から現れたのは…濡れたように赤く染まった刃物。
「……血?」
店内の空気が凍りつく。警察官たちは即座に無線で応援を呼び始めた。店長はもちろん、カフェの客たちも一様に不安げな顔をする中、そのまちゃんはぽつりと一言。
「うーん、それ多分、最近のニュースと関係あるかもね。」
警官も客も、一斉にそのまちゃんを振り返る。「ニュース…って?」
聞き慣れた穏やかな声で彼女は答えた。「ほら、昨日見たでしょ?この辺りで起きた強盗事件。銀行から抜け道を使って逃げた犯人が、警察に追い詰められて…どこかで大事なものを捨てたかもしれないって。」
確かに、付近の住民はみんなその話を聞いていた。だが、どうしてその犯人が、この箱をわざわざ“カフェに”置いていったのか。そもそも血塗れの刃物に、手袋…"強盗事件にしてはあまりにも異質だ"という静かな恐怖が胸をよぎる。
警官の一人が、染みになった布を確認しながら言った。「ただの強盗じゃない…かもしれない。この血、乾いてない。つい最近、付着したものだ。」
乾いていない血――それは、"誰か"がついさっきまで命を落としたことを示唆している。おそらく、この刃物で。
店に漂い始める緊張感の中、そのまちゃんはじっと紙袋を置いたのが“例の男”だった瞬間を思い出していた。
「ふーん…それにしちゃ、なんでそんな場所に?」彼女は小さく首をかしげた。犯人が逃げる途中で、ここに立ち寄る理由は?わざと見つかるリスクを冒して?しかもこんな中途半端に目立つ紙袋を置きながら…。
ゆるい口調でそのまちゃんが続ける。「もしかしてね、その男の人、犯人じゃないかも。」
「えっ!?だって置いていったんだろ?」と短気な警官が答えるが、そのまちゃんはふわりと首を振った。「違うの。多分、それってこの人をハメるためのトリックだよ。だって、中身を見て混乱するはずでしょ?そこまで考えて“作られた痕跡”がいっぱいあるっていうか。あ、これただの感想だけどね~。」
その場の空気が再び圧し掛かる。犯人が利用しようとしていた“罠”だとすると、一体何の目的で?そして誰を陥れようとしたのか…。
しかし、この会話からわずか30分後、事件は急展開を迎える。警察から無線が入ったのだ。
「近くの公園で、身元不明の男性の遺体を発見!」
現場に向かった警察の誰もが驚いた。その遺体は、カフェで紙袋を置いていった“あの男”だったからだ――。
その場の全員が背筋を凍らせる。紙袋を持ち込んだ“被害者”と、刃物に付着した新しい血痕。この二つの繋がりは明らかだった。だが、謎が謎を生む。
「えっ…あの男が死体!?」カフェの客たちは驚くが、そのまちゃんはいつものようにぼんやりとココアをすすりながらつぶやいた。
「うーん、じゃあ…じゃあ今この店にいた“犯人”って……どこに行ったんだろうね?」
"犯人がまだどこかにいる"。そのまちゃんのその言葉が、カフェに緊張感を再び呼び戻す。誰もが顔を見合わせる中、ふとそのまちゃんの澄んだ目が、店内の片隅に残る1枚のレシートをじっと見ていた――。




そのまちゃんがじっと見つめていたのは、風でふわりと床に落ちた1枚のレシートだった。普通なら気にも留めないような紙切れだが、ほんの少しだけ"不自然"な点があるようだった。
「ねぇ、これ。さっきの男の人が落としたんじゃない?」
彼女が指差したレシートを、警察官の一人が急いで拾い上げる。その場は緊張感に包まれていた――もしも何か重要な手がかりが書かれていれば、その事件の解決につながるかもしれない。
袋を置いていった男。そして、彼が死体として発見された事実。そしてこの…たった1枚のレシート。
『購入品:手袋(ブラック) 刃物(キッチンナイフ) 日時:本日 午後2時14分』



警官が読み上げたレシートの情報に、カフェの中は再びざわつく。手袋と刃物、そして犯行が開始されたと思われる時間。この3つが揃ってしまったことで、“例の男”が犯人である可能性が一気に濃厚になってしまった。
だが、そんな冷え切った空気の中でも、そのまちゃんは相変わらず柔らかな表情を崩さない。「ねぇ、それさ、本当に"その人"が使ったレシートなのかなぁ?」ココアをすすりながら、のんきそうに問いかける。
「どういう意味だ?」焦る警官の質問に、そのまちゃんはテーブルに軽く指をトン、と置いて言った。「だって、その人…このカフェに来てから一度もお財布に触ってなかったよ。おかしいと思わない?」
真剣な顔つきになる警官たち。そのまちゃんの指摘は確信を突いていた。紙袋を置いた男はポケットに手を突っ込んでいた場面はあったものの、何かを購入する余韻などどこにも感じられなかった。さらに、そのまちゃんは続ける。
「それにそのレシート、見ているとちょっと不自然だなーって。」
彼女が指差したのは、レシートの印字された部分だった。店名もタイムスタンプも明らかなものの、ある部分だけ妙に綺麗だった。周りが薄いのに、“商品名”の文字だけが真新しいインクのようにハッキリとしているのだ。
「ふーん。これ、誰かが自分で作ったやつかもね~。」「偽造レシートってことか?」「そうそう。」そのまちゃんは軽くうなずく。
しかし、それだけではない。そのレシートの“本物”らしい店の名前、「ホープショッピングセンター」が事件にどう関わっているのかが鍵だと言えそうだった。そもそも、このカフェから徒歩で20分ほど離れた場所にあるモールに、わざわざこんな危険な状況下で犯人が向かうだろうか?そんな合理的でない行動は、どこか奇妙だった。
そのまちゃんの発言を受けた警官チームは、すぐにレシートに書かれていたホープショッピングセンターの店舗に確認の電話を入れた。そして間もなく返ってきた回答が、またしてもカフェの中を震え上がらせることに。
「ウチのレジの記録には、このレシートの取引情報が"一切残っていません"だと……?」
警察組織にもさらに緊張が広がる中、一人の警官が息を呑みながらつぶやいた。「偽造レシートに、店に置いていった刃物…これはまるで、あの男を犯人と仕立て上げようとする"何者か"の策略ってことなのか。」
その言葉に「ほらね~」というようにのんびりほほ笑むそのまちゃん。「でも、本当にうまくできたトリックだね。誰が仕掛けたんだろう…それに、どうして?」
そこに届いた無線が、さらに状況を一変させた。
「追加情報だ。先ほど遺体で発見された男性の身元が判明した!名前は工藤正樹。職業は…弁護士だ。」
その報告に、カフェ全体が再びざわついた。偶然殺されたわけではなさそうだ。誰かが、計画的に工藤という男を殺害する意図を持って動いていた――。
すると、そのまちゃんは「あ~やっぱり?」と言いながら、言葉を続ける。「私、さっきニュースで見たよ。工藤先生って、この町で問題になってるある"土地売買の裁判"の弁護担当だったでしょ?」
「土地売買…?」と、警官や店内の客たちが戸惑う中、彼女はホットココアを両手で包み込みながら言った。「うん。この裁判って、市内の再開発計画が絡んでて、いろんな人が複雑に関わってたって。その中には…そりゃあ、ちょっと悪いことしてる人もいるんだろうけどねぇ~。」
ピースが徐々に繋がる。カフェで突然置かれた袋、偽造されたレシート、そして殺された弁護士。これらが関連しているのは間違いない。そしてさらに不可解なのは、こうしている間にも犯人がどこかで次なる動きを進めているかもしれないという事実だ。
そのまちゃんはぼそっとつぶやく。「このお話の犯人さん、きっとこのカフェにもヒントを残してるんじゃないかなぁ…。私たちが気づかないぐらい巧妙にね。」
ふわりとした物腰とは裏腹に、その背中には「本気を出す松尾そのま」の予感が漂っていた。




その日の夕暮れ、カフェは一時的に閉店となり、現場には警察とそのまちゃんを含むわずかな人しか残っていなかった。事件が大きく動き出そうとしている――そんな空気が漂っているにもかかわらず、松尾そのまは、いつも通りどこかのんびりしているように見える。だが、その柔らかな目がじっと観察するのは、カフェの奥、観葉植物の後ろに隠されていた…一枚のメモ用紙だった。
そっとそれを拾い上げ、中身を確認すると、そのまちゃんの眉がわずかに動く。「ふーん…たぶん、これだねぇ。」
警察官が駆け寄ってメモを覗き込むと、そこには驚くべき内容が記されていた。
『21時 明かりの消えたカフェ裏で待っている――アノ件の最終取引』
この言葉が意味するのは、犯人がこのカフェを"何かの取引場所"として使おうとしているということ。そして、果たしてその取引は殺人事件とどう繋がるのか。
警察はすぐに裏の場所を囲む準備を進め始めたが、そのまちゃんはゆっくり首を横に振る。「警察が見張ってるってバレたら、きっと誰も来なくなるよ。それより…私が代わりに行ってみるね。」
「な、何だって!?冗談じゃない!」強い口調で制止する警官。しかしそのまちゃんは、ふわりと微笑んだままだった。「大丈夫だよ~。相手が取り引きするつもりなら、話し合う余裕もあるってこと。それにね…きっと、私とじゃないとダメなんだと思う。そういう風に感じちゃったから。」
直感的に犯人を感じ取ったそのまちゃんの提案に、仕方なく警官たちも動きを制限し、遠くから見守る形をとることになった。

夜9時、カフェの裏手は静まり返っていた。人気はない――と言いたいところだが、植え込みの影に隠れる警察たちが息を潜めて見守っている。しかし、その中心で待つそのまちゃんは、怖がった様子もなくポケットの中に手を入れながら、星空を眺めている。
「ふふ、星きれいだな~。犯人さんもきっとドキドキしてるだろうなぁ…。」
その言葉とは裏腹に、彼女の目はまるで"すでに勝利を確信している"ように冷静だった。そして、予定より少し遅れて、ひとりの男が真っ黒なフードをかぶりながら闇からゆっくり現れる。
その男――周囲の警官たちはハッとする。昼間、カフェで不審物を持ち込んでいたあの男…ではなかった。彼はまったくの別人。坊主頭に鋭い目つき、一見して“ヤバそう”な男だ。
「……お前が一人で来たのか。」男は吐き捨てるように言う。「そうだよ~。」そのまちゃんは肩をすくめるが、言葉には力があった。「でも、先に聞きたいなぁ。カフェに置いてったあの袋…あれ、どうしてそこに置いたの?」
その言葉に、男の顔がわずかに動揺を見せる。
「何のことだ。」「いやいや、気になるよねぇ~。あの袋の中身、完全に"やりすぎ"感あるし。でもね、それからいろいろ分かったんだよ。偽造レシートとか、さっき工藤さんの裁判のことも。」
そのまちゃんの口調は軽やかだが、その言葉が着実に男の気を追い詰めていくのがわかる。
「お前、何が言いたい。」
その言葉を聞いたそのまちゃんの笑顔が、一瞬だけ消えた。その変化が男の心をザラリと撫でる。
「あなた、自分がヒーローになろうとしたんじゃない?」
「――ッ!」男の手がすでに懐へと動き、何かを掴む。その危険を察知しながらも、そのまちゃんは動じない。ただ静かに続ける。
「土地売買の要、工藤さんが裁判で勝つか、それとも負けるか。ずっと揉めてたよね。でもそんな問題、みんな正面からやると時間だけかかる。だから…工藤さんを通して自分に都合よく状況を作ろうとしたんじゃない?」
男の目線が動いた。完全にそのまちゃんの言葉を拒絶する…その余裕も失っている。
「もしかして業界の偉いさんの…いや、あなたが"送り込まれた人"って感じかな?取引現場作っといてトラブル偽装するなんて、もぉ普通の人じゃ考えないよ~。」
男は耐えきれず叫ぶ。「ふざけるなぁ!」
その瞬間、男が振りかざしたのは――懐から取り出された鈍い光を放つナイフだった。しかし、振り下ろす瞬間、遠くに隠れていた警官たちが一斉に現れ、男を組み伏せた。
「……やっぱりね。」そのまちゃんはため息をつきながら、警察に言葉を投げかけた。「見てたでしょ?この人、全部自分で動いてた。」
男は暴れながら何かを叫び続けたが、そのまちゃんの輝くような微笑に圧倒され、やがて静かになっていった。

こうしてカフェの事件は無事解決し、犯罪者は警察に連行された。松尾そのまが放った光のような推理――それは紛れもなく真実を照らし出していた。そしてカフェの皆は、そのまちゃんの非凡な洞察力に心底驚くのだった。






カフェの裏手で犯人が連行されたその翌日。
そのまちゃんは、警察署に呼ばれていた。表向きは「参考人としての事情聴取」ということらしいけど、実際は事件解決の相談をしたい――と、警察官たちは隠さず頼り切った視線を送っていた。
「大変だねぇ。私、ただココア飲んでただけなんだけどなぁ~。」そのまちゃんはそう言いつつも、ふわりと微笑む。
だが、その日、いつもとは違う光景が広がっていた。捜査会議室の扉を開けた瞬間、そのまちゃんの目が、とある人物で止まる――。
「……川瀬くん?」
部屋の中央で立っていたのは、一人の男。警察関係者? そうとも違う。ただその鋭くも優しげな瞳と、整った顔立ちは一瞬で誰の心に焼き付くほどの雰囲気を持っていた。
「久しぶりだな、松尾。」
声は低く、昔よりもずっと大人びていた。けれど、その声を聞くや否や、彼女の胸には忘れかけていた鼓動が蘇る。――松尾そのまの初恋。それが、川瀬だった。
「なんで川瀬くんが…ここに?」
「……簡単な話じゃないよな。今回の事件、その裏には俺も少し関わる話がある。」
言葉を交わすほどに、そのまちゃんは感じていた。あれだけ無邪気だった少年・川瀬が、すっかり“別人”のようだと。かつてはいつも笑い合いながら将来について語り合っていた彼が、大人になり、どこか暗い影を背負っている。
だが、そのまちゃんも気付いていた。川瀬がその「陰」を自ら背負わざるを得なかった理由を。
「……土地売買の話。」ふと呟いたその言葉に、川瀬の目にわずかな緊張が走る。
「俺の家族が、例の再開発計画で被害に遭った。お前も知ってるだろ?俺の実家があの土地一帯の持ち主だったことを。」
その口調は静かだったけれど、痛ましい思いがにじみ出ていた。かつて川瀬の一家は穏やかだった。しかし大規模な再開発が計画され、住民の強制的な退去が進む中で次第に家族はバラバラに。数年のうちに、実家は売られ、今では跡地に巨大ビルが建てられる予定だった。
「やっぱり…川瀬くんも、事件に関係してるの?」
そのまちゃんの言葉に、彼は大きく息をついた。
「……松尾、俺は何もしていない。」
彼の表情には嘘をついている様子はなかったが、何かを隠しているのも確かだった。
「けど、証明しなきゃいけないんだろ?俺が犯人じゃないってことを。」そう言いながら、自嘲するような笑みを浮かべていた。
川瀬は間違いなく事件のどこかに関与している。ただ、それが無実なのか、それともこの再開発にまつわる複雑な事情の中で彼が何らかの罪を背負ったのか――そのまちゃんにはまだ分からなかった。
だが、ほんの僅かな間にも思考を巡らせた。そして、彼女はにこりと笑ってこう言った。
「…じゃあ、一緒に調べようよ。川瀬くんが犯人じゃないなら、それを証明するの、私に任せて?」
「……お前は昔から変わらないんだな。本当に、のんきなやつだ。」
川瀬は苦笑いするが、その笑顔にどこか懐かしさを感じ、ほんの少しだけ安心したようにも見えた。そして、二人はかつての幼馴染としてではなく、“名探偵・松尾そのま”と、“疑いを晴らしたい男”として行動を共にすることになった。
だが――この選択が、のちに川瀬とそのまちゃんをさらなる危機へと巻き込んでいくことを、彼女はまだ知らない。




静まり返った廃ビルの一室。その場所は、再開発計画の中心となる予定だった工事現場に隣接する、今や誰も住む者のいない廃墟だった。
そのまちゃんは、そこで待ち構えていた。分厚い壁にもたれていると、やがて足音が近づく。重たく響くその音は、やがて扉の向こうで止まった。
キィィ――
扉が静かに開く。その向こうに立っていたのは、やっぱり彼だった――川瀬。
「……なんでわかったんだよ。」
川瀬の口調は静かで、でもどこか疲れたように聞こえた。彼はフードを脱ぎ、正面からそのまちゃんを見据える。その目には、後悔とも諦めとも取れる複雑な感情が浮かんでいた。
「最初から…ちょっと違和感があったよ。」そのまちゃんは腕を組み、ゆっくりと川瀬へ向けて歩み寄る。「工藤さんの裁判や再開発の話で、最も大きく変わるのは誰か。そこで私が辿り着いたのが、川瀬くんの家族の話だった。」
「……。」
「そして、偽造レシートや現場にあの袋を置いた手口。その方法が何だかとても計画的に見えたの。でも、それを実行できる人間は、この事件で最も苦しい立場だった人だと思った。」
「苦しい立場…。俺か。」
川瀬が口元を歪ませて笑った。その笑顔は、どこか哀しみと怒りに満ちているようだった。
「お前が間違ってないことは認めるよ。俺が、工藤を…殺した。」
その言葉にそのまちゃんの表情が止まる。やはりそうだったのか。松尾そのま自身が立てた推理は、すべて当たっていた――でも、そんな"事実"を知ったところで、彼女の胸がざわつくのを止めることはできなかった。
「どうして…。川瀬くん、どうしてそんなことを――」
「どうして?」川瀬はそのまちゃんの言葉を遮って叫んだ。「松尾、お前だって知ってるだろ!俺の家が再開発のせいでどうなったのかを!工藤は町の住民を守るとか言いながら、実際は再開発業者と裏で手を組んでたんだ。俺の家族も、その計画の犠牲になったんだぞ!」
川瀬の目には悲しみと怒りが交差している。彼の声が徐々に震え始めた。
「仕方なかったんだ…。あいつを止めないと、これからもっと多くの人が犠牲になる。誰も、俺の家族の苦しみを分かろうとしなかった!その責任を取らせるのは…俺しかいなかったんだ。」
そのまちゃんはその場で立ち尽くしたまま、彼を見つめる。彼が抱えてきた苦しみも、怒りも、自分の言葉が届かないほど深いところにあることを理解していた。そして、だからこそ彼女は静かに首を振る。
「川瀬くんが、どれだけ苦しい思いをしてきたのか…。それは私にもすごく伝わってくるよ。でもね――殺しちゃったらダメだよ。」
「……!」
「私にだって、何も分かってないかもしれない。でも、こんなやり方をしたら川瀬くん自身が壊れちゃう。それに、川瀬くんがお父さんやお母さんを守りたいと思ったその思い…それはきっと、工藤さんや再開発業者にだってぶつける方法があったはずだよ。」
そのまちゃんの声は、泣いているみたいに少しだけ震えていた。それでも、どこまでも優しかった。
「…そんなこと、何の意味があるって言うんだよ。」
「意味はあるよ。」そのまちゃんは迷いなく答える。「だって、川瀬くんは間違ったことをしてしまったけど――それでも、まだやり直せるんだもん。」
川瀬は目を見開いて、そのまちゃんを見つめた。その澄んだ声を前にして、彼の中で長い間閉じ込めていた感情がぐらぐらと揺れ動く。それは、後悔だった。
「……俺にはもうどうすればいいのか、わからない。」
そう呟くと、川瀬はその手をゆっくりと差し出す。その指先にはまだ隠していた小さな刃物があったが、それをそっと地面へ落とした。
「…俺は、警察に行く。全部話すよ。」
川瀬がそう言った瞬間、遠くで見守っていた警察官たちが駆け寄る。そして、彼の手に手錠がかけられた。
最後にもう一度、彼はそのまちゃんの方を振り向いて言った。「松尾、お前には…ありがとうって言いたいな。」
その言葉に、彼女は少しだけ微笑みを返した。でも、瞳の中には涙が滲んでいた。

こうして、松尾そのまの初恋は“最後の別れ”となった。犯人を捕まえる――それがどんなに辛いことであっても、彼女が向き合った結果だった。
でも、この事件をきっかけに、彼女は大切なことを知ったのだ。「真実って、時々とっても苦い味がするんだね。でもそのぶん、忘れられない。」
ゆるゆるとした笑顔の奥に、彼女は新たに強い決意を宿していた。







川瀬が自分の罪を認め、警察に連行されるまでの短い間だった。だが、あの時見せた彼の虚ろな目が、どうにも気になっていた。その目には、まるで「自ら罰を選び取ろうとしている」ような諦めが宿っていたからだ。
だからこそ、そのまちゃんはある夜、不安になって警察に顔を出した。川瀬に会いたい、直接話したいと申し出たが、警察側からは「今日中の面会は難しい」と断られる。仕方なく署をあとにしたその時だった。
ふと、背後から飛び込んできたのは、緊急の声だった。
「容疑者・川瀬が連行中に逃走した!」
その一言で、彼女の中の全てのゆるさが一瞬にして消え去った。そのまちゃんは、何かに導かれるように、街の外れにある――かつて川瀬と一緒に遊んだ思い出の場所へと向かう。

古い橋の上。かつて二人が水切りをして遊んだ静かな川の上には、今は真夜中の月だけが照らしていた。そして、そこにぽつんと立つ川瀬の姿があった。
「……ここにいると思ったよ、川瀬くん。」
そのまちゃんが静かに声をかける。川瀬は振り返らない。風が吹き、彼のフードが揺れる。その背中は、ただ闇に吸い込まれてしまいそうなほど弱々しかった。
「松尾か…。お前は、どうしてこんなとこまで。」
彼の声には、もう喜びも怒りも、何の感情もこもっていなかった。
「なんとなく、なんだよね~。」そのまちゃんは柔らかく笑い、川瀬の方に歩み寄る。だが彼女は決して急がない。ただ、ゆっくりと一歩ずつ近づいた。「でもね、なんとなく思ったの。川瀬くん、ここで何かしちゃいけないようなこと、考えてるんじゃないかな~って。」
その言葉に、川瀬は薄く笑う。そして、ようやく振り返った。だが、その顔は笑ってはいなかった。
「松尾、俺にはもう何もないんだよ。家も、家族も、未来も…全部自分で捨てた。」
「……。」そのまちゃんは何も言わずに立ち止まる。ただ静かに、川瀬を見つめる。その瞳の奥には、一切の怒りも、軽蔑もなかった。むしろ、温かさだけで満ちていた。
「松尾、お前には分からないだろ。俺は、違う道を選べたのかもしれない。でも、俺の短い人生はもう全部――全部、間違いだったんだ。」
「ううん、分かるよ。」
そのまちゃんがぽつりとつぶやいた時、川瀬の目が揺れる。
「分かるよ、川瀬くん。だって、私も大事なものを失ったことがあるもん。もうどうしようもない時、確かに全部投げ出したくなるよね。」
彼女の言葉は静かだった。でも、その静かさが心に沁みたのか、川瀬はぐっと口を引き結んだ。
「だけどね…それでも、最期に自分で自分を許さなくちゃダメだよ。」
――許す? そんな簡単な言葉で済む話じゃない。川瀬は拳を握り、熱い感情がこみ上げてくるのを抑えられなかった。
「許すなんてもんじゃないんだ!俺は…俺のせいで、工藤が死んだんだぞ!」
その瞬間、彼の足元がわずかに揺れ動いた――次の瞬間、川に飛び込もうとするような体勢になった彼を、そのまちゃんは全力で抱きしめた。
「川瀬くん!」
その声は、いつもののほほんとした調子じゃなかった。それは、深い悲しみと同時に、必死に生への希望をつなぐ声だった。
「ダメだよ、そんなこと!川瀬くんがいなくなったら、私、絶対に悲しい。川瀬くんの家族だって、私たちの町だって…みんな、もっともっと悲しいよ!」
「俺は…。俺なんか…!」
「わかるよ。でもね、川瀬くんに生きてほしいから、こうして来たんだよ。こんな私でも、少しでも信じてくれるなら、一緒に考えさせてよ。罪を償う方法も、次に歩く道も。」
そのまちゃんの腕には、普段の緩やかさとはまるで違う強い決意がこもっていた。温かい涙が、夜の冷えた空気に飲み込まれていく。
川瀬は、その腕の中でようやく力を失い、荒い息をつく。
「……松尾、俺…どうして、お前みたいな奴ばっかり…。」
その言葉が雨のように小さく落ちた瞬間、彼は静かにその手を下ろした。飛び降りるつもりだった足も、何もかも。

後日。警察の取り調べで、川瀬は自分がすべての罪を認めた。だが、「自首する」という自分の意思で改めて出頭し、自分の足で歩き始めた彼の姿は、どこか生きる力を取り戻しているように見えた。
その様子を見届けたそのまちゃんもまた、小さく微笑んだ。
「川瀬くん、生きててくれてありがとう。」




それは、まだ松尾そのまが小学生だった頃のこと。
田舎の小さな町の空き地には、いつも子どもたちが集まって遊んでいた。鬼ごっこ、虫捕り、時には捨てられた段ボールを使った秘密基地作り――そんな中に、必ず中心に立ってみんなを笑わせていたのが、川瀬翔(かわせしょう)だった。
「おーい、松尾、その手伝え!」
川瀬はクラスで一番足が速くて、頭も良くて、誰よりも頼りがいがあった。みんなのリーダー的な存在でいる姿は、小学生のそのまにはまるで“ヒーロー”のように映っていた。
だけど、不思議だった。
「川瀬くんって、いつも一人で帰るよね?」
鬼ごっこが終わったあと、家まで送るようについていった時、そのまちゃんはふとそう聞いてみた。
「ふふーん、バレた?俺んちちょっと遠いからさ、みんなとは別なんだよ。」
「あ、そうなんだ。」そのまちゃんは言葉の意味を深く考えなかった。ただその頃から、なぜか彼が見せる“少しだけさみしそうな横顔”が気になって仕方なかった。
ある日、遊びとはまた別に、晴れた空の下で二人きりになることがあった。それは初夏の古い河原。手には美術の宿題で描いた画用紙を持て余し、二人並んでじっと空を見上げていた。
「松尾、お前さ、変なやつだよな。」
「え?」そのまちゃんは首をかしげる。
「だって、普段あんまり目立たないのに、時々めっちゃ面白いこと言うだろ。あれ、意識してやってんの?」
「ううん、全然意識してない~。ただねぇ、なんか言いたくなっちゃうんだよね。」
そのまちゃんは悪びれた様子もなく笑った。それに川瀬もつられるように、小さく笑った。
「ふーん。まぁ、それでお前余計に目立ってるけどな。でも、変なやつだし、俺も結構気に入ってる。」
そう言ってくれたのは、これが初めてだった。川瀬の口調はちょっと偉そうだったけど、彼の優しさが伝わってくるのが分かった。だから、心臓がドキッとした。
「そっか~。じゃあ私もね、川瀬くんのこと、結構好きだよ。」
――わざと軽い感じで言ってみたはずだったのに、川瀬の横顔が驚いたようにこちらを向くと、そのまちゃんは慌てて「冗談だよ!」と付け足した。
「お、それでジョークのつもりか!」
でも、その後、川瀬が何も言わず照れくさそうに俯いたのを、松尾そのまは見逃さなかった。ドキドキする二人だけの静かな時間。こんな特別な気持ち、きっともうずっと忘れないんだろうな――そんな風に子ども心に思った。
その頃はお互いに言わなくても分かっていた。ただ「川瀬くん」の存在が、松尾そのまにとって他の誰よりも特別なものだったことを。

だが、中学に入った頃――その転機が訪れる。
ある日、突然に川瀬は町から引っ越しをしていったのだった。理由は詳しく知らされなかった。ただ噂では、彼の父親が土地の再開発によって仕事を失ったためだと聞いた。
別れの日。駅のホームで小さなスーツケースを引きながら電車に乗り込む川瀬。そのまちゃんも家族に連れられて見送りに行ったが、何も言えなかった。
「じゃあな松尾…元気でな。もう泣くなよ。」
川瀬が最後に見せた笑顔は、どこか彼らしくない、無理に作ったような笑顔だった。そして、それが川瀬を見た最後の思い出となった――少なくとも、事件が起きるまでは。

こうしてそのまちゃんの初恋は、淡いまま終わっていた。だが、大人になり、再び巡り合った時、彼女の胸に蘇った感情。それこそが、初恋の記憶がただの美しい想い出では終わらない、「彼を救いたい」という原動力になっていた。


川瀬翔が出所してから5年が経った。その間、彼は新しい町で一から人生をやり直していた。建設現場で働きながら勉強を続け、ようやく再開発を請け負う企業への採用が決まった。今度は「壊すため」ではなく、「守るため」に働く――そう決めた時、川瀬はひとつの約束を胸に抱えていた。
「松尾……絶対、もう一度笑えるとこまで行くからな。」
一方、松尾そのまはというと、いつもと変わらずココア片手にゆったりとした日々を送っていた。相変わらずのんびりした町で“名探偵”としての活躍を続けながら、地元の人たちと笑顔で過ごす日常が続いていた。とはいえ、川瀬がいない時間にふと心が寂しくなることも少なくなかった。
「ああ、川瀬くん。今、どこで何をしてるかなぁ~。」
そんなある日、彼女に1通の手紙が届いた。それは、見覚えのある文字で書かれたもの――川瀬からの手紙だった。
「松尾へ。元気にしてるか?そろそろお前に顔を見せたくて、この町に戻ることを決めた。大事な話もあるし、もしお前が良ければ、昔遊んだ川のあたりで会えないか?」
そんな文面を読んだそのまちゃんは、思わずにやけてしまった。
「なーんだ、そういうことなら早く言ってくれればよかったのに~。」

指定された日、約束の時間にそのまちゃんは川辺に立っていた。川のせせらぎと鳥のさえずりが心地よく響くその場所で、彼女は昔と同じように空を見上げていた。
そこに、足音が近づいてくる。振り返ると、川瀬がスーツ姿で立っていた。大人になった彼の姿に、一瞬言葉を失うそのまちゃん。
「久しぶりだな、松尾。」
川瀬は穏やかな笑顔を浮かべていた。かつての彼にはなかった落ち着きと自信がその表情に宿っていた。
「おぉ~!スーツだなんて珍しいじゃん、川瀬くん!」そのまちゃんは目を丸くしながらも、変わらず朗らかに笑った。そして続ける。「でも、うんうん、すごくカッコよくなったね~!」
「……あぁ、まぁな。」照れ臭そうに川瀬が答えた瞬間、そのまちゃんが問いかけた。「で、大事な話って何?まさかまたトラブルかな~?」
「バカか。違うよ。ちゃんとした話だ。」彼は深呼吸をすると、真剣な顔をしてそのまちゃんを見つめた。そして、ポケットから小さな箱を取り出す。
「松尾、俺……お前に感謝してる。事件の時、あそこでお前が助けてくれなかったら、俺はもうこの世にいなかったと思う。」
そのまちゃんの目が少し驚いたように丸くなったが、川瀬はゆっくりと続けた。
「生きる意味を見つけられたのは、お前のおかげだ。それだけじゃない。ずっとお前の言葉が、笑顔が俺を支えてくれた。」
そして、彼はその箱を開けた。そこには小さな指輪が入っていた。
「もう一度、自分をやり直せた今、お前に聞きたい。――俺と一緒に歩いてくれないか?」
静かな川のせせらぎが二人の間に流れる。驚きと喜びで、言葉を失うそのまちゃん。でも、彼女らしくいつもの調子で言葉を返した。
「……ん~、まあ、悪くないかな~って思うよ、川瀬くん。」
その答えに、川瀬はほっとしたような、少し笑いを堪えたような表情を浮かべた。
「ありがとう、松尾。そのゆるさが本当に救われるやつだ。」
そのまちゃんの笑い声が響く中、二人はもう一度、希望に満ちた新しいスタートを切った。

数年後、二人の未来――
「お母さん、ココア、のむ~!」
小さな子どもの声が響く中、カフェのテーブルでそのまちゃんと川瀬が座っている。その手には赤ちゃんを抱えた川瀬と、ココアを温めているそのまちゃん。
「ねぇ~、川瀬くん、子どもたちには名探偵は向いてなさそうだね~。」
「当たり前だ、のんびりした子どもがそろってたら、解決まで何年かかるかわかんねえからな。」
二人は顔を見合わせ、穏やかに笑う。どんな過去も形は変わる――だけど、二人の間に流れる時間は、かつての初恋の頃と変わらず温かなままだった。

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