先生の愛人になりたい。【完】
ただ、愛しただけだった
 深夜、スマホの画面がにじむほど、涙が止まらなかった。

 画面に浮かぶ水無瀬先生の名前。何度も繰り返しメッセージを打っては消し、打っては消した。
 「会いたい」、ただそれだけが言えなかった。

 あの夜、先生と図書館裏で抱き合ったあと、私たちはただ少しだけ手を繋いでいた。

 けれど、あの温もりは、私の体の奥に今も残っていた。
 胸の奥がずっと熱くて、痛くて、息苦しくて──それでも幸せだった。



 それから、ふたりは“秘密の再会”を重ねるようになった。

 学校では、あくまで「先生と生徒」。

 でも、放課後や夜になると、LINEの通知ひとつで世界が変わる。
 制服のまま、誰もいない夜の校舎裏。
 ファミレスの隅の席。
 駅前の古びた喫茶店の2階席。

 会えば会うほど、先生はどんどん無表情になっていった。

 感情を殺してまで私に会おうとするその姿が、私には切なくて仕方がなかった。



 ある夜、ふたりは人気のない郊外のラブホテルにいた。

 「……もう、止まれないな」

 先生の言葉は、ひどく静かだった。

 私は先生のシャツのボタンを震える指で外しながら、唇を噛んだ。

「先生のこと、全部欲しい。……たとえ、どんな未来が待ってても」

「……お前を抱いたら、俺は教師をやめるかもしれない」

「やめていい。私だけの人になって」

 先生は、ゆっくりと私の頬に触れた。

「……本当に、後悔しないんだな?」

「しない。全部、先生のものになるって決めたから」



 そして、ふたりは、完全に繋がった。

 触れ合う肌、絡まる指、漏れる息。

 その夜、私は“初めて”を先生に捧げた。

 痛みも、涙も、熱も、全部覚えている。
 ずっとずっと、忘れない。

 そして先生は、私にだけ見せる顔で、優しく髪を撫でてくれた。

 「もう、誰にも渡さない」

 その言葉が、呪いのように心に残った。



 次の日から、先生の様子が明らかに変わった。

 目の下にうっすらとクマができていて、笑顔もぎこちない。

 でも、私にだけは──視線が熱くなった。

 教室で視線が合えば、すぐにそらす。

 けれど、その一瞬の目がすべてを語っていた。

 “君を壊してしまうかもしれない。でも、もう戻れない”



 放課後、廊下でまた大西先生に呼び止められた。

「本宮、ちょっといいか」

 職員室前の面談スペースに通されると、そこにはもうひとりの先生──生活指導の立花先生がいた。

 彼は淡々とした口調で切り出した。

「最近、君と水無瀬の行動が不自然だという報告が複数あがっている」

「……報告?」

「何人かの生徒が、“二人が駅で夜に一緒にいた”とか、“手を繋いでいた”とか……。証拠はないが、かなり具体的だ」

 私は必死に動揺を隠した。

「それは……誤解だと思います」

「本人から聞くのが一番だ。だから、こうして話してる」

「……先生と私には、やましいことなんて、何もありません」

 言い切ったあと、自分の手が震えているのに気づいた。



 その日の夜、私は先生に会った。

 またあの、喫茶店の2階で。

 先生の顔は、やつれていた。

「……今日、生活指導の立花に呼ばれた」

 私は、少し口を開いた。

「私もです」

「……俺のせいだ」

 先生は、頭を抱えた。

「お前に、何もかも押し付けて、守るどころか追い詰めて……最低だ」

 私は、静かに先生の手を取った。

「先生、壊れてもいい。私、全部背負う」

 そのとき先生がこぼした涙を、私は初めて見た。

 先生は強く、でも優しく私を抱き寄せて──そしてこう呟いた。

「壊れたのは……お前じゃない。俺のほうだったんだ」



 その週末、先生から連絡が来た。

「来週、教育委員会の監査が入る。正式な調査になるかもしれない」

 私はスマホを握りしめたまま、動けなかった。

 ついに、ここまで来てしまった。



 私は決めた。

 ──全部、自分が引き受けよう。

 先生の未来だけは、壊しちゃいけない。



 月曜日、私は学校を休んだ。

 嘘をついて、「体調不良」と連絡帳を使って伝えた。

 その日、私はひとり、電車に乗って遠くの町へ行った。

 誰も知らない場所。誰も、私と先生のことを知らない場所。

 でも、何もかもが空っぽだった。

 スマホに何度も着信が入った。

 母から、クラスメイトから──そして、水無瀬先生からも。

「どこにいる? お願いだから返事をしてくれ」

 私は、返事をしなかった。



 夜。

 小さな公園のベンチに座って、空を見上げた。

 星が滲んでいた。

 「先生を壊したのは、私だ──」

 声に出すと、涙が止まらなくなった。

 私は、ただ愛しただけだった。
 でもその愛は、先生のキャリアも、先生の心も、全部を傷つけた。

 こんなの、望んでなかった。



 翌日、学校に戻ると、先生はいなかった。

 職員室の席は空っぽで、誰も何も言わなかった。

 クラスでは「辞めるって噂だよ」「やっぱなんかあったんじゃない?」とささやかれていた。

 私は、全身から血の気が引くのを感じた。



 その日の夕方。

 先生から、一通だけメッセージが届いた。

「今日で、辞めることになった。俺が選んだ道だ。君のせいじゃない。むしろ、ありがとう。俺を好きになってくれて」

 私は教室を飛び出して、先生のアパートへ向かった。



 そして、最後の夜を迎えた──。
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