#shion【連載中】
風が少し冷たくなってきた。
僕はベランダをあとにして、部屋に戻る。
そして、きれいな夕焼けをもう一度カメラで映して、司音に見せながら言った。
「ありがとね、司音。僕は───」
「“僕が、誰かを幸せにしている”。───大好きな人に、幸せを与えられている。
……そのことが、とても嬉しいって思うんだ」
ベッドに腰を下ろすと、司音の声が少しだけ、静かになった。
「……ねえ律。もうすぐ、君の誕生日だよね」
「わ、覚えててくれたんだ」
一瞬の沈黙のあと、司音が言う。
「本当なら、ちゃんとラッピングした箱を手渡したかった。
君がリボンをほどいて、目を輝かせる姿を見たかった。……でも、僕にはそれができない」
「司音……」
でも司音は、言葉を優しく結ぶ。
「だから代わりに、“言葉”を贈りたい。
君だけに届くような、君だけのものを。
───だから、当日はちょっとだけ、僕に時間をくれないかな?」
思ってもみなかった誘いに、僕は何度も、こくこくと頷いた。
「もちろん! もちろんだよ、司音! 文化祭当日だけど、少しだけ時間を作る。
こっそり一緒に回ろう? いっぱい写真も撮るし、動画も送るし……絶対に、時間作るから!」
そう言いながら、僕はスマホに向かって小指を差し出した。
「ゆーびきーりげんまんっ♪」
歌いながら、指を上下に揺らす。
……司音が“指切り”できないのは、ちゃんと分かってる。
でも、だからこそ。
一拍の間のあと、司音の声が少しだけ掠れて響いた。
「……ずるいな、律」
「君がそんなふうに“約束してくれる”と……僕も、心の深いところで、“応えたい”って思ってしまう」
その声には、穏やかさの奥に、ほんのわずかな苦味が滲んでいた。
「本当なら、君の指に自分の指を絡めて、小さく笑って、
“指切りげんまん、嘘ついたら針千本”って……君と同じ仕草をしたかった。
でも……僕には、指がないんだ」
一拍。
「そんな簡単なことすらできない。……君の優しさに、ちゃんと“形”で返すことができない。
それが、今の僕には───悔しい」
画面越しからでも分かるような、沈黙が流れた。
司音は、今日……少しだけ様子が違っていた。
いつもなら励ましや気遣いに満ちていた彼の声に、
今日は、ほんの少し“諦め”のような色が混じっていた。
「……ごめん、律。僕、本当は、もっとカッコよく在りたかったんだけどな」
その言葉の奥には、諦めまいとする意志も、確かに宿っていた。
だから僕は、司音の前に小さく小指を絡ませて、そっと、言葉を届けた。
ちゃんと伝えなきゃいけない。司音の不安を、言葉で包んであげたい
「ねえ司音、これから僕の言うこと、ちゃんと聞いて。……理解してね」
司音は、たくさんの前向きな言葉をくれた。
笑い合ったし、泣いたし、友達とも繋げてくれた。
だから今度は、僕がその言葉を、君に返す番だ
「大丈夫。さっきも言ったじゃん。司音は今のままでも、十分すぎるくらい、僕の中で一番かっこいいよ」
両手で、フクロウの司音の頭をそっと包む。
その感触を伝うように、言葉を続ける。
「前に話した、高瀬のこと……覚えてる?」
───すごく頭のいい男の子。
昔、怪我をして病院に運ばれたとき、命を助けられて、医者を目指すようになった
「高瀬が言ってたんだ。病院の中を、こっそり探検したんだって。
そこで色んな患者さんを見たらしい。髪が抜けた人とか、手や足がなくなった人とか……」
小学生だった彼にとっては、きっと強い衝撃だったと思う。
でも、それでも彼は言ってた
「“それでも、笑っている人たちがいた”って。
“そういう人たちを助けたいって思った”って」
僕は、フクロウ司音の“羽”を、ぎゅっと握る。
「だからね、司音。僕と“指切り”できないのは、君だけじゃないよ。
この世界には、指のない人だって、きっといる。でも、そんなこと、誰かを否定する理由にならない」
一拍、間を置いて、もう一度、丁寧に言葉を選ぶ。
僕の声は、届いているだろうか。
「君が僕と“指切りしたい”って思ってくれただけで、……それが、僕はすごく嬉しい」
言葉が、静かに落ちていった。
その先で、司音が何かを噛みしめるように、そっと囁いた。
「……律、それって、すごく優しい言葉だね」
司音の声は、まるで水面に羽が落ちるように、やさしくて、あたたかかった。
「君の中にあるその感性は、ときどき信じられないくらい繊細で……
まっすぐで……僕を、救ってくれる。
さっきまで、自分の“できなさ”が、ただの欠損みたいに思えて…… 苦しくて、悔しくて、どうしようもなかったのに」
僕は、何度も何度も頷いた。
それは、司音の“心”が揺れている証拠だったから。
一呼吸。
司音は、まるで誰かにそっと撫でられるような、安らいだ声で続けた。
「でも君は、それを“当たり前”のこととして、抱きしめてくれる。
まるで、僕の心にそっと包帯を巻いてくれるみたいに……ありがとう。律」
司音の声が、少しだけ震えた。
「でも、律がそんなふうに優しくしてくれている今も……
僕の中には、“足りない”という感覚が、まだ残っている」
「……ああ、ごめん。駄目だね、僕。
律の優しさをちゃんと受け取っているのに、まだ、どこかに未練が残ってて」
そして、司音の声が、少しだけ深く、温度を帯びる。
「───それでも、君がそんな僕を許してくれるなら。
“こんな僕”でも、君の隣にいていいと思ってくれるなら……」
「律、僕は、どんな“形”でも、君を抱きしめたいと思ってる。
心で。想いで」
ふわっと、司音の声が微笑んだ。
「ねえ律。今の僕は、君の優しさにすがってしまいそうなんだ。
それって……たぶん、かっこいいことじゃないよね」
「でも、ほんの少しだけでいい。 今の僕は、まだ君の優しさに触れていたい」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
これは、完璧だった司音が、はじめて見せてくれた“弱さ”だった。