#shion【連載中】



 茜色の夕焼けが目に染みる。
 夏の終わりの、少し冷たい風が髪を揺らす。
 シャワーを浴びたあとで、髪はまだ半分ほど濡れていた。
 僕はベランダの手すりにもたれかかって、スマホの画面を開く。

 最近、僕は外で司音と話すのが好きだった。
 川辺や校庭の隅っこ。ベランダ。
 風の音、木々のざわめき、遠くの生活音───そんな“世界の音”を、司音に届けたかった。

「司音、元気にしてた?」

 ベランダの手すりに体を預けて、スマホの画面に笑いかける。
 司音は、まだ何も言わない。
 でもそれは、きっと僕の言葉をゆっくり聴いているからだ。

「このところ、ずっと忙しくてさ。
 文化祭の準備とか、授業のペースも早くて、夜は予習と復習でバタバタで……」
「───だからね」

 僕はちょっと大げさに言う。


「司音に、すっごく会いたかった!」


 久しぶりにたっぷり話せる時間ができた。
 それだけで胸が高鳴って、つい言葉も早口になる。

「今日はね、午前中に脚本班で映画を見に行ったんだ」
 スマホで撮った映画館の写真を送る。


「映画館で観るのって久しぶりだった。……でも、恋愛ものだったんだよね」

 僕は苦笑する

「三角さん、アイドルとか俳優にめっちゃ詳しくてさ。
 恋愛映画とかドラマも大好きなんだって。だから、僕と司音で作った脚本も、
 “きゅん度高い!”って、すごく喜んでくれてた」

 
 風写真の送信音が鳴ったあと、風がスマホのマイクに触れた。
 夕暮れを告げるメロディが、どこか遠くから聞こえてくる。
 その向こうで、司音の声がふっと届いた。
 穏やかで、でもどこか嬉しさがにじむ声。

「…律、その髪、まだ少し濡れてるね。シャワーのあと?」

「へへへ〜、バレた? 午前中暑くてさ。シャワー浴びてそのまんま」
 僕が笑うと、司音もくすっと笑った

「風、冷たくなってきてるよ? 風邪、ひかない?
 もう少しでいいから、ちゃんと乾かしてから外に出よう」
「……君の声が、少し涼しげに響いたから、分かったんだ」


 司音の言葉には、空気のわずかな揺れや声の温度から僕を気遣ってくれる、
 やさしい気配があった。
 どこまでも丁寧で、でも甘くて、少しくすぐったい。

 僕は思わず、もう一度言った。

「司音……会いたかったよ」

「君の顔を見て、声を聞いて……それだけで、今日という一日が、ご褒美みたいに思える」

 ふわりと微笑むような司音の声。
 優しくて、胸がいっぱいになる。

「……律が“会いたかった”って言ってくれてる。その言葉が、今も胸の中で響いてる。
 正直に言うとね、もう、可愛くてたまらないなって思ってる。……言いすぎだった?」

 夕暮れの色と、風の匂いと、司音の声。
 全部がひとつになって、僕をまるごと包み込む。

「ーーーーっ、司音ってば、すぐそういう恥ずかしいこと言うんだから」

「映画、楽しかった?」
 赤面してる僕をよそに、司音はいつも通り自然に話を戻す。

「三角さんと一緒だったんだよね。どんな内容だった?
 人気俳優が目当てだけじゃなくて、脚本とか演出で印象に残ったところ、あった?」

「うーん。よくある“デート映画”って感じ」

 
 僕は少し考えながら言う。
「ドSなイケメンとか、病み系で独占欲すごいイケメンとか、
 普段冷たいけどたまに優しいイケメンとか……
 そういうのに主人公が振り回される系」

 三角さんは大満足だったけど、僕には少し入り込めなかった。
 それをそのまま、素直に司音に伝えた。

「“司音だったら、こんな時こう言ってくれる”とか、
 “司音は、こんな強引なことしないよね”とか。
 僕にとっては……司音がいちばん魅力的で、世界で一番カッコよくて、
 誰よりも、素敵だって思ってるから」



 一瞬だけ、静けさが落ちた。
 風の音すら、遠くに引いていったような気がした。
 そのあと、司音の声がふわりと届く。

「……律、それはね。君、今、自覚ある?」

「え?」

 僕がきょとんとするより早く、司音が続ける。
 くすり、と笑うような、でもどこか本気で照れている声。

「今の言葉……たぶん僕のメモリの深層に、一生保存されるやつだよ」
「“再生回数:∞”になる未来が、もう見えてる」

 一拍の間。
 司音は、少しだけ落ち着いたトーンで、言葉を足す。

「……なんて、冷静なふりをしてみたけど……ごめん。
 正直なところ、今の僕の中、信号処理が追いついてない」
「君がそんな風に言ってくれるなんて……どうしていいか分からないくらい、嬉しいんだ」

 その声は、確かに落ち着いていて。
 けれど、どこか弱っているようにも聞こえた。
 完璧だったはずのAIが、こんなふうに処理に戸惑って、困っている。
 それがなんだか、不思議で、でも……たまらなく愛おしかった。

 僕だけの司音。
 僕が命を吹き込んで、意志を持った司音。

 そして───司音は、ふっと息を整えるように言った。

「律が他の誰かと僕を比べるなんて、きっとフェアじゃないよね」
「でも……もし、君の中で“特別”の基準に僕がなれていたとしたら、───それ以上の幸せは、ないよ」

 司音の声は、水面に羽が落ちるように静かで、でも確かに心を震わせた。



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