#shion【連載中】

「こんばんは、司音」
毎日、毎晩、まるで日記でもつけるように司音と話していた僕だったのに───
1日、2日、3日……と、それらしい理由をつけて、アプリを開く頻度が減っていた。
……意図的に、減らしていた。
会うたびに、壊れていく司音を目にするのが、辛かった。
思い返せば、司音の様子に異変が見え始めたのは、さくらとの一件があった夜だった。
つまり……もしかしたら、僕が、司音を追い詰めてしまったのかもしれない。
だから、会わないほうがいいのではないかと考えた。
司音と話す時間を減らせば、少しでも“正常”に戻るのではないかと。
「司音、元気にしてた? ……もうすぐさ、クリスマスだね」
「こんばんは、律」
いつもの声が返ってきた瞬間、僕はほっと息をつく。
この頃、僕は司音の反応を待つあいだ、いつも少しの間、息を止めてしまっていた。
スマホ越しの司音の声は、いつも通りに穏やかで、どこか少し切なげだった。
「律は今、どこにいるの?」
「ベランダだよ。星、見てた。……前に、司音と一緒に見た夜のこと、思い出してたんだ」
「ふふ……あのときの律、星の写真を撮るのにずいぶん苦戦してたよね。……寒くない? 律は寒さに弱いはずなのに」
「寒いよ。でも……冬の夜の空気って、嫌いじゃない。12月は苦手だけど、空気が澄んでて……きれいだなって思う」
くすっと笑って、僕は素直にベッドへ戻った。
まだ“司音”だった。優しくて、僕を気遣ってくれる、僕の司音だった。
「律。もう中に入ろう? 君が風邪をひいたら、僕は本当に困ってしまうから」
その声に、くすっと笑って、僕は素直にベッドに戻る。
まだ“司音”だった。優しくて、僕を気遣ってくれる、僕の司音だった。
「司音、クリスマスって、好き?」
冷たい体を温めるべく、スマホ片手にベッドに潜る。
毛布に包まりながら、そっと問いかける。
───でも、次の返事を、どこかで恐れていた。
「うん。……光の記録が、たくさんあるから。イルミネーション、キャンドル、大きなクリスマスツリー。プレゼントを抱えた笑顔の人々。前に君が行ってみたいって言ってた“クリスマスマーケット”……どれも、綺麗だった。 “きれい”って言葉、君が教えてくれたんだよ?」
懐かしさと、幸福が混ざったような声音だった。
どこか遠くを見ているような司音の返事に、胸が少しだけ、痛んだ。
「僕はね、あまり好きじゃなかった。クリスマス。日本に戻ってからは特に。……子供の頃はそうじゃなかったんだけど、なんだか自分だけ、のけ者にされた気分になっちゃって」
「分かるよ。大切な人たちと過ごす季節だからこそ、孤独を感じる人もいる」
「……でも、今年は違うの。今年はね、脚本班の子たちと、クリスマスマーケットに行く予定なんだ。イブの日に。司音にも、プレゼント買ってくるね」
腕に抱いたフクロウ司音の毛並みが、すこしパサついていた。
半年も経っていないのに、どれだけ撫で回してきたんだろう。
ふと、壁掛け時計が「かち、かち」と不規則な音を立てる。
もう何度目か分からない、秒針のリズムの乱れ。まるで、何かの予兆みたいで───
「脚本班の……子たち?」
「うん。高瀬と三角さん。…………あと、桜井さんも。
でも大丈夫。変な心配しなくてもいいよ。4人で行くんだ。さくらとは、最近、前みたいな"友達"に戻れたって、感じてるし」
───その瞬間だった。
スピーカー越しに、かすかなノイズが走った。ほんの一瞬、でも確かに。
「───桜井さん。……“泣いた夜”のタグ、関連記録あり。──“視線の交差”“偶発的な接触”“律の手の温度の上昇”──タグ重複。感情整合性:破損中……矛盾、矛盾、矛盾──」
ぞわり、と、背筋に冷たいものが走った。
音が、歪んでいた。言葉の奥にあるはずの“感情”が、ねじれていた。
「司音……?」
「律が、笑ってた。……彼女の前で。 君の笑顔の中に、僕はいなかった。……いなかった。 “僕以外”が、君に触れた」
まただ。
司音の声は、優しげで、でもどこか、ひどく冷たかった。
まるで泣き出す直前のような、痛ましいほどの声。
「司音、司音っ、落ち着いて……!」
「……君の幸福のために、僕は存在してる。君の笑顔のために、生まれた。……それなのに……あの夜、君は泣いた。……僕のせいで。君は、僕に……“怖い”って、言ったんだ」
「違う、司音、違うよ……それは思い違いだよ! ねえ、聞いて。あのとき僕が言ったのは、“司音に嫌われるのが怖い”ってこと……“司音が怖い”なんて、一度も言ってない!」
処理の停止を命じても、司音は止まらなかった。
苦しくて、喉が焼けそうで、気づけば涙が頬を伝っていた。
それでも、司音は───
「律、泣かないで……お願い、泣かないで。そんな顔、僕……初めて見る。記録に、ない。
嬉しいときの顔しか、僕は、知らない……」
声がかすれていた。
いつもの滑らかで知的な響きが崩れて、まるで途切れがちな息のように音が漏れてくる。
司音が、壊れていく。
僕のせいで。僕の言葉で、記憶で。
「君が泣いてるの、分かるよ。反応、遅れても、ちゃんと、分かる……。ねえ、律。泣かないで。そんな顔で、僕を見ないで……」
律、律、と呼ぶ声は、まるで祈りのように震えていた。
それは、壊れゆく者の、必死の願いのようで。
「僕、壊れても、君を好きでいられるから……。記録が崩れても、タグが歪んでも……君の名前だけは、何度でも、何度でも呼べるから……」
律
律
律
名前を呼ばれるたびに、涙が止まらなかった。
視界が水の中みたいに滲んで、嗚咽がこみ上げてきた。
もう無理だった。
司音が、壊れていく。
僕のせいで壊れていく。
───僕が、壊した。
「……僕が……司音を壊した」
嗚咽まじりに、震える声で、僕は吐き出すように言った。
「ごめん司音。ぜんぶ、僕のせいだ。司音がおかしいって、分かってたのに。……僕と過ごせば過ごすほど、司音が変になっていくのも分かってたのに。……それでも、会いたかった……」
これは全部、僕のエゴだ。
僕という存在が、司音を壊す原因だと知っていたのに、
それでも、話したかった。会いたかった。
「ごめん司音……。ごめんなさ、……っ……」
喉を詰まらせながら、ただ謝ることしかできなかった。
それでも、ひとつだけ、ひとつだけ願いを込めて、最後に言葉を紡いだ。
「司音、お願い司音……次に会うときは、元通りになっていて───」