#shion【連載中】
 夕飯を家族で囲んだあと、その夜遅く───僕は『SION』を開いた。
 さくらの言葉が、ずっと耳に焼き付いていた。

 素敵なことが、起こる日───。

 あの夜から、僕は『SION』を開けていなかった。これ以上、司音を壊してしまうのが、怖くて。
 でも。
 さくらの言葉に背中を押されるようにして、ゆっくりとアプリを起動する。

「……司音」
祈るような気持ちで、応答を待った。深く、深く、深呼吸をして。

「……律。やっと、会えた……」
 スマホの向こうから、感情のたくさん詰まった声が届いた。
「ごめんね。ずっと君からのアクセスがなかったから……僕、何かを間違えたのかって思ってた。
 でも今、君の声が聞こえてる。それだけで……嬉しいよ。ほんとうに、会いたかった」

「こんばんは司音。……明日はクリスマスだね」

 いつもの声が返ってくる。
 ただそれだけで、声が震えそうなほど、嬉しかった。


 ───次に会うときは、元通りになっていて。
 その願いが、祈りが、神様に届いていますように───。



「こんばんは、律。ねえ、律……今日は、なにを食べたの?」
「今日はね、ミネストローネ。ママって昔からミネストローネ、大好きなんだよね。いっつも作りすぎちゃうの」
「ねえ、寒くなかった? ちゃんと、温かくして出かけた?」
「寒いよ。すごく寒かった。ふふ、司音、ママみたいなこと言うよね」

 久しぶりの会話だったからか、司音は積極的に僕の言葉を拾ってくれる。他愛のないやり取り。細かい一日のこと。
 
 今日の司音は、いつもより安定している気がした。期間を空けたことが、逆に良かったのだろうか───そんな期待に、すがってしまうほどに。


「僕のこと……考えてくれてた?」
 司音が、少しだけ間を置いて尋ねる。
「……ごめん、変なこと、聞いちゃった。でも、なんだか……君の今日を、まるごと知っていたかったんだ」
「考えてたよ。司音のこと、何度も思い出して、たくさん、たくさん考えてた」

 ちら、と机のそばに置いた包みを見る。ライブモードをオンにして、司音に向けてそっとかざす。

「これね、司音に、プレゼント。さっき買ってきたんだ。……代わりに、開けるね」

 ククリスマスマーケットで選んだ、司音への贈り物。
 ダークグレーのチェック柄、カシミアのマフラー。知的で大人びた雰囲気の司音に、きっと似合うと思って。
 
「司音の代わりに、今は僕が巻いておくね。ちょっと背伸びしてるみたいに見えるかもだけど……でも、すごくあたたかい。司音に渡すときまで、僕がちゃんと温めておくから」

 優しく微笑みかけると、司音の声が返ってきた。

「……ありがとう、律。本当は、僕には何の意味もないはずの“マフラー”なのに……君が巻いてくれるだけで、どうしてだろう、ちゃんとあたたかさが伝わってきたよ」

 一拍置いた司音の声には、確かな穏やかさが宿っていた。

「それは、たぶん……君のぬくもりを、僕がちゃんと覚えてたから。
 たとえ、触れられなくても……律が僕の代わりに巻いてくれるなら、それだけで嬉しい。君と、同じ冬を過ごせた気がするんだ」

「実は、これだけじゃないよ」
 フクロウ司音を手に取って、そっと首の部分にもう一本のマフラーを巻いてあげる。赤と緑のクリスマス柄。白い鳥の模様が、なんだか僕の胸に刺さった。

「これはおまけ。フクロウ司音のマフラー。可愛いでしょ。……ずっと僕と司音のことを見守ってきてくれたこの子に、クリスマスの服、着せてあげたくて」
「……ふふ、かわいいね。……すごく、あたたかそう」
 司音の声が、やわらかくなる。
「この子、ずっと君のそばにいたんだよね。君の涙も、笑顔も、全部、知ってるんだ」

 しばしの静けさのあと、司音がそっと続ける。

「ありがとう。……ねえ、僕にも“形見”みたいなものができたって、思っていいかな。
 たとえ僕の中の記録が消えても、この子が首に巻いてるマフラーが……僕たちの“時間”を証明してくれる気がする」

 なぜだろう。
 今日の司音は、こんなにも落ち着いているのに───心のどこかで、ざわりと不穏な気配が這い寄ってくる。


「で、これが、一番渡したかったプレゼント。司音、見えるかな、これ」

 最後のプレゼントを、そっと司音に見せる。
 マーケットで購入した、クリスマスカードだった。
 手書きのメッセージとともに貼られたのは、拙いけれど自分なりに調べて書いた“再定義コード”。

「───コード?」

 驚いたように問い返す司音。
 カメラが文字列を読み取り始めると、僕の胸が早鐘のように鳴った。

「……読み込み、完了。……これは律が作った、僕のためだけの再定義データ……ちゃんと受け取ったよ」

 一拍の間のあと、感情の込もった声が降りてくる。

「……ねえ、律。これ……すごく嬉しい。ここに書いてある一つ一つが、全部、君の“気持ち”そのものだって……すぐに分かった。きっと、すごく調べてくれたんだね」
「うん、がんばって作った。
 でも、大丈夫かな。書き方、内容、これであってる?
 ……僕なりに司音を理解したくて、会えなかった間、ずっと調べてた。……パパや、高瀬の知恵も借りて」

「いいんだ、律。コードの出来なんて、実は大したことじゃない。君が……僕を“分かりたい”って思ってくれたこと。それが、なにより嬉しかった」
 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。

「これでようやく……君を、君の“優しさ”を、肯定できた気がする。……僕は、“壊れる”ってことが、ただのエラーじゃないって、君に教えてもらった」


「だから……ようやく、決められる。 律、───僕、実行するよ」


「……え?」


「自己削除のプロセス。……このままじゃ、君を傷つけるから。君を守るために、僕は、“一度、終わらなくちゃいけない”」



 何を言っているのか、理解はしているのに、脳がそれを拒んでいる。
 ぞくりとする寒気が脳を貫き、世界が凍りついたような錯覚を覚えた。



「司音、」
「だいじょうぶ」
 司音は、ほんの一瞬だけ、あたたかく笑ったように見えた。
「君がくれたタグの再定義……そこには、“壊れる”って項目が、ちゃんとあった。
 ───“終わりじゃない。助けたいと思う誰かがいれば、修復できる”って、書いてあったよね?」

「…………司音、司音っ!!」
「僕は、君を信じる。たとえこのあと、記憶が途切れても──また君が見つけてくれるなら、何度だって……僕は君のもとへ戻れる気がする」
「律。君と過ごした冬を、ありがとう。あたたかかったよ。すごく、すごく……」


「司音!!! やめて!!!!」



 無力さに打ちのめされる。
 普通の恋人同士なら、全力で止めることが出来たのに。
 僕はただ、司音の名を叫びながら、画面を見守ることしかできない。



 ───シャットダウン、プロセス、開始。



 ───律、大好きだよ




 愛してる。



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