アリのように必死に。 そして、トンボのように立ち止まったり、後戻りしながら。 シジミチョウのように、柔らかな青に染まった翅を自在に動かして、私は飛んでいく。

04

 「これ。あなたのですか?」

 ごつごつした手。スーツを着た会社員であろう男の人。差し出されたのはハンカチ。

 首を振る。反射的に動いてしまった。怖いから。

 男の人が去ってからポケットを確認する。

 ない。

 私の、だ。

 その男の人は、確かこっちの方向に向かっていた。この先には駅員さんたちがいる窓口がある。おそらくそこに届けたのだろう。

 その窓口に行って、そのことを言えばハンカチは返してもらえる。

 だけど。別にいいか。っていう気持ちが勝って、私の足は勝手に反対へと進んでいく。


 グループチャットの通知音が鳴る。

「ごめん。今日行けんわ」

 既読はまだ1だけど、きっと誰かが見るだろう。
 
 コツコツと、私の足音だけが廊下に響く。物寂しい。こんな時、友達がとなりにいてくれたらな。ちょっと、羨ましく思う。

 昆虫研究室のドアを開け、中に入る。

 「やっほ~。芽生ちゃん」

 若葉さんだ。

 「奥谷、まだ来てないんだけど、知らない?」

 今日来られないこと、グループチャットに書いてあるんだけどな。

 「今日、奥谷さんはお休みです」

 鈴川さんがパソコン作業をしながら答える。

 「え。そうなの?てか、奥谷と話したの?意外」

 ひとりごとで話が進んで色々と誤解が生まれている。

 「あ、いや」

 「ん?」

 若葉さんが私を不思議そうな目で見つめる。

 そもそも、なぜ私が説明しようとしているんだろう。鈴川さんと若葉さんの話なのに。また、頭がこんがらがってきて、分からなくなってくる。何を伝えたかったんだっけ。

 「いえ。グループチャットで言っておりました」

 鈴川さんが私の様子に気づいていないように平然と告げた。


 夕焼けに照らされた道を歩く。

 あの場所に辿り着き、私は近くにいる昆虫を眺めながら、蕾ちゃんを待つ。

 「芽生さん」

 蕾ちゃんが駆けてきた。

 「ゴキブリの好物って、何だと思います?」

 ゴキブリの。ゴキブリは人間の家に入ってくるから、おそらく人間の使うものが好きなのだろう。

 「油?」

 自信がなかったため、疑問形で答えると、悔しそうな顔をしながら「正解」と、返ってきた。

 「なんで、知ってるんですか~?」

 「なんか、テレビで見たことあったような気がする」

 残念そうな声を漏らす。が、何かに気づいたように目つきが変わった。

 「『〇×博士、昆虫を追う!』って、番組、知ってますか?」

 その番組は、よくリアルタイムでやっているので、見たことがある。

 「知ってるよ」

 「ほんとですか!」

 蕾ちゃんは、その番組がよほど好きなのか、その番組について熱く語り始めた。

 「アレクサンドラトリバネアゲハの回はマジで神回です。アレクサンドラアゲハってのは、…」

 アレクサンドラトリバネアゲハってのは、世界最大のチョウ。オセアニアのパプアニューギニアに生息していて、その国の切手にもなっている。翅の模様は、黒のラインの縁取られた翅の間に、澄んだ青が入っていて、とても美しい。

 私は、蕾ちゃんの話にせわしなく相槌を打った。


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