男装令嬢なのに、竜の血を継ぐ冷酷皇帝陛下の子を身ごもったので死んだことにしようと思います
 そもそもの事の発端は、モンターク伯爵家がものすごく貧乏なことだった。

 モンターク家が治めるのは辺境の痩せた土地で、領民は逃げ出し、暮らしているのはエルフリーデと両親と兄二人と長年勤めてくれている執事とメイド頭と犬猫一匹ずつとニワトリ数羽だけだった。

 貴族とは名ばかりの慎ましい暮らし。
 それでも四年前、長兄が帝都の騎士団に入団し、仕送りをしてくれるようになってからモンターク家の生活はちょっと楽になった。

 更に二年前、次兄も長兄と同じ騎士団に入団し、モンターク家の生活はもうちょっと楽になった。

 けれどエルフリーデが十八歳になった今年、台風によってモンターク家の屋敷が半壊した。
 特に屋根部分の被害が大きく、屋敷の中にいながら空模様の移り変わりがよく見えるという事態になった。

 元々、古くてあちこちにガタがきているのを修理しながら住んでいた屋敷ではあったが、屋根があるのとないのでは大違いだ。
 見通しと風通しが良すぎるほど良くなった天井を見上げ、エルフリーデは決意する。

『決めた。男装して私も騎士団に入団して、ちょっと屋敷の修繕費を稼いでくるわ』

 不幸中の幸いというかなんと言うか、エルフリーデは小さい頃から兄のお下がりばかり着ていたので、男物のシャツにもズボンにも慣れている。
 長い金の髪だって、切って売ればお金になるだろう。髪が短くなれば男装にちょうどいいし、一石二鳥だ。

『ごめんなぁ、ごめんなぁ、エルフリーデ。私たちが不甲斐ないばっかりに、お前に男装なんてさせるはめになって』
『そんな、髪の毛はまたいくらでも生えてくるんだから、そんなに泣かないでお父様。それに私、この格好けっこう気に入ってるのよ』

 帝都に出発する数日前。
 胸を潰すベストをシャツの中に着用し、本格的に男装をした娘の姿を見て、父は号泣した。
 髪を切るのはこれからだというのに、涙をぬぐう木綿のハンカチはもうビチャビチャだ。

『でもだからって、男装してまで騎士団に入るなんて。長い髪は女性としての美点の一つじゃない』
『だってお母様。私が働ける範囲の中で、騎士団のお給金が一番いいんだもの。それに髪が長くても、夜会や社交パーティーに参加したことなんてなかったじゃない』
『けれど、もし騎士団で危険な目にあったら……』

 父ほど泣いてはいないものの、母も瞳を潤ませる。

『大丈夫よ心配しないで。騎士団には兄様たちだっているし、モンターク家は社交界にも出ていなかったから、エルフリーデという存在は知られていないわ。きっと誰も私が女だと疑わないはず』
『じゃあせめて、あなたが帝都で良縁に恵まれたときのために、髪を切るのは肩までにしてちょうだい……! それくらいなら殿方でもいる長さでしょう!』

 母の涙の説得に負け、ショートカットを諦めたエルフリーデは、腰辺りまであった金髪を肩口で切りそろえた。

(売るぶんが長ければ長いだけお金になるのに、勿体ない)

 エルフリーデだって、女性の幸せ=結婚という価値観に異論を唱えるつもりはない。経済的には苦しくとも、互いに愛する人と結婚できた両親は幸せそうだ。

 けどどうせ辺境の地の貧乏伯爵家に好条件の縁談などこないし、そもそも出会い自体がない。
 なら数年くらい短い髪で過ごして、稼ぎ終わってから髪を伸ばし婚活したって同じことだろう。なんなら生涯独身でもいい。

『バリバリ稼ぐわよー!』

 こうして騎士団に提出する書類の名前と性別部分をちょっとだけ偽造したエルフリーデは、エルリックという名前で騎士の補佐係兼、雑用要員として入団した。
 主な仕事は騎士の宿舎の清掃や帳簿付けや備品の補充などの事務作業だ。

 兄たちもエルフリーデのことを弟として周囲に紹介し、入浴や着替えの際には便宜をはかってくれた。
 優秀な長兄が団で上のほうの立場になっていたこともあって、エルフリーデの性別に疑問を持たれるようなことはなかった。

 こうして、エルフリーデが騎士団で働き始めて半年が経ったとき。

 エルフリーデが皇帝陛下の子を身ごもるという大事件が起きた。

♛ ♞ ♛ ♞ ♛ ♞ ♛

 シャンディエン帝国は、竜の血を引くという皇帝が代々治める国だ。
 五百年ほど前に、竜神と聖女が恋に落ちたのがこの国の始まりらしい。

 当代の皇帝、ジークヴァルト・シャンディエンは二十五歳という若さだが、有能で冷酷なほど冷静な皇帝と国民に評判だ。
 情に流されず、国の利益を優先し判断をくだすことのできる人物だと兄が言っていた。

 ジークヴァルトが即位したのは五年前。
 前皇妃が亡くなり、伴侶を喪った前皇帝が息子であるジークヴァルトに皇位を譲り引退したからだ。

 竜の血を引く皇帝にとって、皇妃は(つがい)と呼ばれる唯一の存在だったらしい。
 その番をあまりにも早く喪ったため、失意の前皇帝は引退を表明し、放浪の旅に出てしまったのだという。

(でも、そのとき皇帝に仕えていた人たちやジークヴァルト様は大変だったかもしれないけど、唯一の存在っていうのはロマンチックかも)

 エルフリーデはなんなら生涯独身でもいいとは思っていたものの、前皇帝の激しい愛の話はやはり年頃の乙女としてはキュンとくるものがあった。

 それに、ジークヴァルトの統治するシャンディエン帝国は前皇帝のときよりも豊かになっている。彼が即位して結果オーライだろう。

 エルフリーデが入団してから三日め。
 その日は騎士宿舎の大掃除だったため、エルフリーデは忙しく走り回っていた。

 今は倉庫から掘り起こされた貴重品の処遇を尋ねるため、城へ向かっている。

 声をかけられたのは、騎士団の宿舎と城を行き来する渡り廊下をパタパタと走っていたときだった。

「――そこのお前」
「はい! なんでしょうっ?」

 呼び止められ振り向いたエルフリーデは、自分を呼び止めた相手が誰かを認識し、飛び上がりそうになるほど驚いた。

(ジークヴァルト様?!)

 漆黒の髪に、ピジョンブラッドルビーのように深い真紅の瞳。
 彫刻が動き出したのかと思うほど整った美貌は、無表情でとても迫力がある。
 黒衣をまとった彼は、163cmの身長に5cmの上げ底ブーツを履いているエルフリーデよりも、頭一つぶん以上背が高かった。

「そんな格好をして走りまわって、何をしているんだ?」
「あっすみません! 騎士団の宿舎の大掃除中なので、汚れた格好でお城に来てしまって!」
「いや、それは構わないが……。騎士団の新入りなのか?」
「はい! 先日、騎士団の補佐係として配属されました!」

 ハキハキと答えたエルフリーデを、ジークヴァルトは紅の瞳でじっと見下ろす。

「……その深い青に金の光が散った青金石(ラピスラズリ)のような瞳は、ドルヒとランツェの血縁か」
「えっ! そうです、ドルヒとランツェは兄です……!」
「その瞳の色は帝都でも珍しいからすぐわかったぞ」
「そうなのですか?」
「ああ。城や騎士団で働いている人間の顔と名前は把握しているが、その瞳の色をしているのはお前たちだけだ」

 現皇帝がそう言うなんて、自分と兄たちはそんなに珍しい瞳の色をしていたのか。

「……なら売ることができたら、きっと高値がつきましたよね。さすがに目玉は抉り出して売るわけにはいかないので、残念です」

 思わず真面目な顔で呟いたエルフリーデに、ジークヴァルトは吹き出した。

「えっ?!」
「はっ、珍しい瞳と言われた感想が、売れなくて残念とは! くっ……!」

 ジークヴァルトは長身を屈ませ、腹を押さえて笑い続けている。

(意外に笑い上戸なのかしら?)

 それに城と騎士団に所属する者は大勢いる。その全員の顔と名前を把握しているなんて、彼は評判通り有能な皇帝なのだろう。

(でも、冷酷には見えないわね……?)

 涙を拭いながら笑っている姿は親しみやすい印象で、エルフリーデは思わずじっとジークヴァルトの顔を見つめてしまう。

「お前、面白い奴だな?」
「ありがとうございます」
「俺が恐ろしくないのか?」
「元野犬のうちの犬を手懐けたときのほうが怖かったです。陛下の瞳には優しい光がありますから」
「俺は犬以下か?」
「あ、いえ! これは言葉のあやで!」
「くっ、本当に面白い。気に入った」

 そう言って、ジークヴァルトはまた朗らかに笑う。
 冷酷とは真逆の優しい笑顔に、エルフリーデの胸は高鳴った。

「お前、名前は?」
「えっと、エル……リック、エルリックです」
「……兄たちにはなんと呼ばれている?」
「エルと呼ばれています」

 思わず本当のことを言ってしまったが、エルは男女どちらでも使われる愛称だから大丈夫だろう。

「そうか。では、俺もエルと呼ぶとしよう。お前も俺を名前で呼ぶといい」
「えっ?!」
「なんだ、皇帝の言うことに文句があるのか? 逆らうのなら、首をはねてやろうか」
「そんな滅相もございません」
「冗談だ」

 エルフリーデを見下ろしながら、ジークヴァルトはにやりと笑った。
 細められた紅い瞳には、イタズラに成功した少年のような輝きがあった。

 エルフリーデを気に入ったというジークヴァルトの言葉に嘘はなかったらしく、彼は頻繁に騎士団を訪れるようになった。
 エルフリーデの仕事ぶりを観察し、からかい帰っていく。

(陛下って笑うんだ)
(俺、騎士団に長いこといるけど初めて見た)
(物怖じせずに陛下と話せるエルリック、すごすぎじゃね?)

 エルフリーデにとっては気さくな美青年という印象のジークヴァルトだが、彼の笑顔は騎士たちにかなりの衝撃を与えたらしい。

 しかし、エルフリーデが騎士団で働き始めて半年になろうとしたとき、事件が起きる。

 それは長兄が御前試合で優勝した祝宴の夜のことだった。

「ジークヴァルト様、大丈夫ですか」
「悪い、飲みすぎたようだ。今夜は何故か酒のまわりが早い」
「自分が支えていますから、ジークヴァルト様の部屋へ戻りましょう」

 エルフリーデの体格ではジークヴァルトを支えるには頼りなかったが、彼は他人に無闇に触れられることを嫌がった。
 唯一接触することを許されたのがエルフリーデだったので、ヨロヨロとジークヴァルトを支える。

「はぁ、もうすぐ、ベッドなので、頑張ってくださいね……!」

 ジークヴァルトの身体は、服越しでもわかるほど体温が高い。汗もかいているようだ。
 どうにか彼をベッドに寝かせるが、息も荒く苦しそうにしている。

 もしかして、ただ酔っているだけでなく、どこか具合いが悪いのだろうか。

「ジークヴァルト様、大丈夫ですか?」

 話しかけるが、朦朧とした彼はぶつぶつと不明瞭な言葉を呟いている。

「……母を喪った父の姿を見て、(つがい)を見つけることなど当分先でいいと思っていた俺に、まさか発情期がくるとは」
「えっ?」
「お前がそばにいるから……お前相手だから、だろうな」
「ジークヴァルト様? 本当に大丈夫ですか?」
「すまない」
「きゃあ?!」

 大きな手が力強くエルフリーデをベッドへ引っ張りこむ。
 覆いかぶさってきた身体は、熱く逞しかった。

 この夜、エルフリーデは乙女の花を甘く散らされた。

 真夜中。ジークヴァルトが深く眠りについたタイミングで、エルフリーデは部屋に逃げ帰った。
 幸い誰にも見咎められることはなかった。

(身体のあちこちがギシギシする気がする……!)

 翌日。初めての経験のせいで自分の肉体が自分のものでなくなった違和感を感じながら、エルフリーデは仕事をこなしていた。

 幸い痛みはなく、騎士たちもエルフリーデの変化に気づいていないようだ。

(ジークヴァルト様に会っても、昨日のことはなんとか誤魔化さなきゃ……!)

 もし彼が昨日のことを覚えていたら、エルフリーデが女だと確実にバレてしまうだろう。
 そうなったら、協力していた兄たちが処分されてしまうかもしれない。

(私は自己責任だからいくら責められてもいいけど、兄様たちが処分されるのは回避しなきゃ……っ)

 元から生涯独身でもいいと思っていたエルフリーデにとって、乙女でなくなったことよりも兄たちの処遇のほうが大切だった。

 けれど、ふとしたときにジークヴァルトの体温や吐息が蘇り、顔が赤くなってしまう。

 彼の残像を脳裏から振り切るため、無心で宿舎の窓を磨いていると、背後から声をかけられた。

「エル」

 この甘く耳に心地よい低音は、ジークヴァルトだ。
 心臓が胸から飛び出しそうになるほど大きく跳ねる。

「ジ、ジジジジッジークヴァルト様! おはようございます! 今日もいい天気ですね!」
「そうか? 曇ってないか?」
「過ごしやすい気温でいい天気だと思います!」
「そうか。ところで、昨晩のことなのだが――」
「はい! ジークヴァルト様がベッドに入ったのを見届けて、自分はすぐに部屋に戻りました! ジークヴァルト様のベッドには少しも近づいておりません!」

 早口でまくし立てるエルフリーデを、紅の瞳がじっと見下ろす。
 冷や汗がダラダラと背中を伝い、胸潰しのベストとシャツがびしょ濡れになりそうだ。

「……そうか。お前がそう言うなら、そうなのだろう」
「そうです! そうです! 昨晩に変わったことなど何もありませんでした!」

 ぶんぶんと頭を振り、食い気味にジークヴァルトの言葉を肯定する。

「お前に確認したいことがあったのだが、どうやら酒が見せた夢だったようだ」
「はい!」

(よかった、信じてくれた……!)

「……出方を変えなければならないようだな」

 ほっと胸を撫で下ろすエルフリーデに、ジークヴァルトの呟きは届かなかった。

 そのやりとり以降、何故かジークヴァルトが騎士団に顔を出す頻度は更に増えたが、他には大きな変化はなく日々は過ぎていった。

 しかし祝宴の日から三週間後。
 あることに気がついたエルフリーデは血の気が下がるのを感じた。

(もしかして、月のものが遅れてる……?)

 エルフリーデの生理は規則的で、いつも計算通りに来ていた。
 それが、一週間ほど遅れている。

(ま、まさかね。たまたまだよね?!)

 心臓がドクドクと耳元で嫌な音を立てる。

 生理が遅れる理由。
 生活習慣の乱れ、ストレス、病気。
 そして――――。

(妊娠だなんて、あるわけない)

 もし妊娠が理由で遅れているなら、それは祝宴の夜の出来事以外にあり得ない。

(あ、まずい。貧血かも――――)

 視界が暗転し、エルフリーデはその場に倒れた。

*

「――具合はどうだ」
「わざわざ部屋までお見舞いにきてくださりありがとうございますジークヴァルト様。ご心配をかけてしまってすみません。たぶん過労かと」
「医者には見せたのか?」
「いえ、そこまででは……」
「お前に何かあったら俺のほうが辛い。もし騎士団の医者が嫌なら、俺の専属医をここに呼んで……」
「いえいえいえ! 皇帝専属のお医者様に診ていただくなんて! ほんと、ちょっと疲れただけですか! もうこんなに元気です! ほら!」

 ベッドの中でぶんぶんと腕を振り回しアピールするエルフリーデを見て、ジークヴァルトが優しく微笑む。
 彼の瞳は慈愛に満ちていて、甘い。

「なら、あとで滋養にいい食べ物を届けさせよう」
「ありがとうございます」
「ではな」
「はい」

 帰りがけに、ジークヴァルトは大きな手のひらでエルフリーデの頭を撫でて行った。

(ジークヴァルト様の手、温かかったな……)

 彼に撫でられた箇所を自分でも撫でたエルフリーデは、不意に視界に入った鏡を見て動きを止めた。

 そこに映る自分は、完全に女の顔をしていた。

 胸を満たしていた温かいものが、ゾワゾワとしたものに変わっていく。
 もしジークヴァルトに会うときにこんな顔をしていたら、確実に女だとバレてしまう。

 しかし悪い事態はこれだけにとどまらなかった。
 翌日に窓の外から聞こえてきた衛兵たちの噂話が、エルフリーデに追い打ちをかけたのだ。

「――なんでも、陛下が青薔薇の間を大急ぎで整えさせているらしい」
「青薔薇の間って前皇妃様の部屋だった場所だよな?」
「あぁ。どうやら近々あそこに住む女性がいるらしいぞ」
「ということは、陛下はその方とご結婚されるんじゃないか?」

 ジークヴァルトが結婚。
 すーっと血の気が下がり、体の芯が冷たくなっていくのがわかった。

(皇帝が結婚する女性……)

 それはどう考えても、男として働いているエルフリーデではない。
 彼に相応しいのは、優秀で美しく高貴な女性だ。

(どうしよう……!)

 無意識に、下腹部を両手で押さえる。

 ジークヴァルトが結婚するのなら、妊娠している可能性のあるエルフリーデは厄介な存在にしかならないだろう。

(でも、新しい命を諦めるなんてできない。どうしよう、どこかでひっそりと産んで育てる……?!)

 けれど、どうにか極秘に出産したとしても、彼に頭を撫でられただけであんな蕩けた表情になってしまう自分が恋心を隠しとおせるとも思わない。
 産むのなら、もう二度とジークヴァルトに会わない覚悟をしなければならない。

(それにもしジークヴァルト様の子供だとバレたら、継承権争いに巻き込まれてしまう可能性だってあるわ)

 それは子供にとっても、ジークヴァルトにとっても、彼の妃になる女性にとっても、不幸なことだろう。

 青く晴れた空が夕暮れに染まるほど時間が経った頃。
 悩み抜いたエルフリーデは決意する。

 ――騎士団を辞めて、実家に帰ろう。

♛ ♞ ♛

 モンターク伯爵家に帰ってきてから半月。
 予想よりも早く屋根が直った屋敷で、エルフリーデはのんびりと過ごしていた。

「お前が入団して、お父様もお母様もこのままじゃいけないと一念発起してな。庭に生えている草で青汁(健康ドリンク)を開発してみたんだ」
「それがけっこういいお金になってね。だからあなたは安心して休んでいいのよエルフリーデ」

 妊娠して帰ってきた娘を、父も母も何も言わずに温かく迎えてくれた。

(そう、やっぱり私、妊娠していたのよね)

 母の出産を介助し、兄二人とエルフリーデをとりあげた経験のあるメイド頭に診てもらったところ、予想通りエルフリーデのお腹には新しい命が宿っていた。

 ジークヴァルトの子供だ。

(まだお腹が膨らんだりの変化がないから、実感はわかないけれど……)

 幸い、今のところエルフリーデに悪阻(つわり)の症状はなく、穏やかに過ごせている。

(産むからには、改めて騎士団に辞表を出さなきゃ)

 半月前、エルフリーデは『病気療養のために騎士団を辞めて実家へ戻る』と辞表を提出してモンターク家に帰ってきたのだが、何故かジークヴァルトが却下し、休職扱いになっているらしい。

 しかも屋敷に戻ってきて以来、ジークヴァルトから見舞いの品とメッセージが届かない日はなかった。
 連日届く花や菓子や調度品のおかげで、モンタークの屋敷は彩り豊かになっている。

 そしてつい先ほど、また新たにジークヴァルトから手紙が届いた。
 皇帝の竜の紋章が押された赤い封印。それを剥がし封筒を開けると、中にはシンプルな白い便箋が入っている。

 少し角ばった、几帳面な文字。
 体調を労る文を読みすすめていたエルフリーデは、最後の行を見て目を見開いた。

『お前に伝えたいことがある。会いに行ってもよいだろうか』

 いいわけがない。
 もし今ジークヴァルトに会ってしまったら、自分が女であることも彼に恋をしていることも隠せる気がしない。

(どどどどどどどうしよう……っっ!)

 どうにかしてジークヴァルトがモンターク家に来るのを止めなければ。

(じゃなきゃ、最悪の事態になっちゃう!)

 そうしてすっかり混乱したエルフリーデは、思わず手紙に書いて送ってしまったのだ。

 エルリックは病を拗らせて亡くなりました。と――――。

*

 エルリックが死んだとジークヴァルトに返事を書いてから一週間。
 彼に返事が届いたであろう頃から、ぱったりとジークヴァルトからのメッセージが来なくなった。

(きっとエルリックが亡くなったと信じてくださったのね……)

 安堵と寂しさが入り混じった複雑な心境になりながら、エルフリーデは庭に出る準備をする。
 両親が開発した栄養ドリンクの材料を採取するためだ。

「今日も風が爽やかで過ごしやすい、いいお天気」

 お腹の大きさに変化はないものの、ズボンだとなんとなく締め付けられる気がして、最近はエンパイアワンピースをよく着ている。
 心地のいい風が、スカートの裾を揺らした。

(今日はこのあと、赤ちゃん用の靴下でも編もうかな?)

 しかしエルフリーデの予定が実行されることはなかった。

 風の感触を楽しむエルフリーデの背後で、激しい馬の嘶きと蹄の音が聞こえたのだ。

「エル! 見つけたぞ!」
「陛下?!」

 振り向くと、鬼気迫る形相でジークヴァルトが黒馬から降りてくるところだった。

「ひええぇぇっ!」
「エル! 何故逃げる! お前に伝えたいことがあると言っただろう」
「ひひひひ人違いです……!」

 ビックリしすぎて腰が抜けた。
 それでも木の幹に縋り、なんとか逃げようとするエルフリーデをジークヴァルトの長い腕が囲った。
 壁ドンならぬ木ドン、もしくは幹ドンだ。

「――ほう? 人違いだと?」

 怖い。怖い怖い怖い怖い!
 紅の瞳に宿るギラギラとした光が凶悪すぎて、小鳥くらいなら視線だけで殺せそうだ。

「そうです人違いです……! エルリックは病を拗らせて亡くなりました。私は彼の双子の妹です……!」
「俺には同一人物に見えるが?」
「だから! ソックリな双子だったんです!」
「ならば墓を暴こう。エルリックの墓へ連れて行け」
「まさかそんなこと……!」
「俺が冗談を言っているように見えるか?」

 見えない。
 ジークヴァルトの瞳は真剣そのものだ。

「……お前が、エルが女だということは、最初からわかっていた」
「んえっ?!?!?!」
「竜の血を舐めるな。オスかメスかぐらい匂いでわかる。だから最初『そんな格好をして走りまわって何をしているんだ』と聞いただろう」

 初対面のときのことを思い出し、エルフリーデは息をのんだ。
 言われた。確かに、ジークヴァルトにそう言われた。

(アレって、女なのに男の格好で何をしているって意味だったのー?!)

 エルフリーデの表情を観察していたジークヴァルトの視線が、彼女の顔から腹へと移動する。
 まだ変化のないはずのそこを、ジークヴァルトはジッと見つめた。

「……それ(・・)は、俺の子供だな?」
「んぇっ?! な、なんのことでしょう……?!」
「侮るな。そこまで育っていたら、俺にもお前の腹の中に、お前とは別の魂の色が見える」

 声にならない悲鳴がエルフリーデの唇から漏れる。
 まさか、妊娠しているのことまでバレてしまうなんて。

(竜の力って、そんなものまで見えるの……?!)

「これは違うんです!」
「何が違うのか」
「えっと、その……そう! このお腹の子の父親は、陛下とは別の人なんです!」

 こうなったらせめてお腹の子の父親だけでも隠したい。
 パニックになったエルフリーデは咄嗟にでまかせを叫んだ。

 瞬間。凄まじい殺気が膨れ上がり、周囲の空気が重くなった気がした。
 心地のいい天気だと思っていたのに、凍えそうな冷気が足元から這い上がってくる。

「――誰だ?」
「ひっ?!」
「その俺じゃない、お腹の子供の父親とやらは、どこの男だ?」

 地獄の底から聞こえてきたのかと思うほどの低い声。
 鋭い眼光はもはや凶器で、息が止まりそうなくらいの威圧感だ。

(冷酷陛下の評判は伊達じゃなかった……!)

 エルフリーデを腕の中に囲いながら、ジークヴァルトがゆっくりと視線を合わせた。

「その腹の、子供の父親は、どこの、誰だ? 俺以外の男がお前に触れたと言うのなら、その手を切り落としてやる」

 恐ろしい言葉を一言一言ゆっくりと囁きながら、ジークヴァルトは壮絶な笑みを浮かべる。
 けれど紅の瞳の奥は笑っていない。

「ぴええぇぇっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 嘘です! 今のは嘘です! このお腹の子の父親は、ジークヴァルト様ですうぅぅぅっっ!」

 半泣きになりながら弁明するエルフリーデのおでこに口づけ、ジークヴァルトは大きな手で彼女の頭を撫でる。

「冗談だ」

 嘘だ。絶対に本気だった。

「お前が女だということは最初から知っていたから、黙っていたことを気に病まなくていい。お腹の子も、とても嬉しい。だから、俺の妃になってくれ」

 膝が汚れることも厭わず、ジークヴァルトは芝生の上に跪き求婚する。
 しかしまだ、エルフリーデは彼の言葉を受け入れるわけにはいかなかった。

「そんなの、無理です!」
「は?」
「だって、青薔薇の間は?! 皇妃様のお部屋になる予定だって噂で聞いて……!」
「だからお前の部屋だ! 貧血で倒れたお前が、ゆっくり休めるように広い部屋を用意させてたんだ!」
「…………へっ」

 と言うことは、今までの行動は全部エルフリーデの空回りだったのだろうか。
 ぽかんと口を開けるエルフリーデのおでこに再び口づけ、ジークヴァルトが甘く囁く。

「これでもう心配事はないか。我が愛しい(つがい)。どうか俺と結婚してくれ。愛しているんだ」

「っ、はい……! 私を、ジークヴァルト様のお嫁さんにしてください……!」

 ついにジークヴァルトの愛を受け入れたエルフリーデは、彼の腕の中に勢いよく飛び込む。
 そんな彼女を抱きしめ、ジークヴァルトは何度も唇にキスを落とした。

 二人の抱擁は、心配した両親が探しにくるまで続いたという。

♛ ♞ ♛ ♞ ♛ ♞ ♛

 一年後。
 シャンディエン帝国の空は美しく晴れ渡り、甘やかな花の香りを風が運んでいる。

 昨年には皇帝が突如城を数日留守にしたのち、皇妃となる女性を連れ帰ったことで大騒ぎになったが、国民は祝福の喝采で皇妃を歓迎した。

「皇帝陛下は皇妃様を溺愛していて、片時も手放さないそうだよ」
「こりゃ次のお子が生まれるのも、すぐだろうねぇ」
「違いない」

 城の中でも一番陽当りのいい部屋の中。
 そこには、すっかり髪が伸びた皇妃と、彼女の肩を抱いた皇帝が、男の子二人と女の子一人の三つ子の赤ん坊が眠るベッドを愛しそうに見つめる姿があった。

「愛しているよエルフリーデ」
「私もですジークヴァルト様」

 国民たちの噂通り、皇妃が新たな命を宿すのは、これからすぐの話。

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