Pure─君を守りたかったから─

10.バレンタイン

 三学期になると楓花はまた、音楽の授業でピアノを弾く日が増えた。合唱コンクールで伴奏するので、楽譜をもらってすぐに練習を始めていた。
 流行りの歌は歌うのに、授業になると男子生徒は特に歌うのを嫌がる。楓花がちゃんと弾いていても男声は蚊が鳴く程度にしか聞こえないので、その度に佐藤が怒ってなかなか進まない。
「男子たちって、やる気ないよなぁ」
「反抗期? 逆にダサいよなぁ」
「お……、俺はちゃんと歌ってんで?」
 教室に戻ってから楓花と舞衣が話していると、丈志が控え目に抗議してきた。
「うん、知ってる」
「それにしても長瀬さんも大変やな。ピアノも習ってて、ずっと弾いてんちゃうん?」
「まぁ……そうやなぁ。好きやから良いけど」
「そっちの道に進むん?」
「ううん。それはないと思う」
「勿体なー(ない)
 楓花は少し前に、中学二年が終わるまでにはピアノを習うのはやめることに決めた。学力が少しずつ落ちてきていて、試験の度に父親に怒られた。ピアノを続けたかったけれどピアノ教室で〝次に練習する曲〟として指示される曲の複雑な楽譜についていけず、練習も中途半端になってしまっていた。
 周りは褒めてくれるけれど、そんな状態で晴大にリコーダーを教えるのもどうかと思い始めていた。ピアノほど複雑ではないけれど、迷いが影響してあまり気が乗らない。
 晴大の人気は相変わらずで、舞衣も相変わらず彼を見かけると喜んでいた。△△の件以降に晴大に彼女ができた噂もなく、バレンタインが近づくにつれてそわそわしている女子生徒が増えた。
「もうすぐバレンタインやけど、学校にお菓子を持ってくるのは禁止ですからね」
 ホームルームで担任が言っていたけれど、だいたい守られないのが通常運転だ。
「いつ渡そう? 放課後かな? 昼休み?」
 そんな声をあちこちで聞いた。
「楓花ちゃんは誰かに渡すん?」
「ううん、別に渡したい人もいてないし、そんなお金もないし」
 本当に、楓花は好きな人がいなかった。小学校のときに渡したこともないし、中学の間に渡すことになりそうな人もいない。もちろん晴大ともそんな関係ではないし、気にしたこともない。
「あっ、長瀬さん、伝言なんやけど」
 用事があって職員室に行くと、佐藤に呼ばれた。
「今日もし時間あったら、練習見てほしい、って」
「──えええ? 今日?」
「予定あるの?」
「ないけど……今日は渡利君と離れときたいのに」
「ああ……ほんまやねぇ」
 放課後にいつもの部屋に行くと、既に晴大は到着していた。部屋の隅で椅子に座り、リコーダーを構えていた。
「悪いな、急に頼んで」
「ほんまに急やわ……友達ごまかすの大変やった」
 晴大は練習を再開し、楓花も適当に座った。舞衣には〝佐藤に相談してから帰る〟と何とかごまかせた。
「渡利君は今日は、外にいたほうが良いんじゃないん?」
 バレンタイン当日の午前中、晴大にチョコレートを渡す、と意気込んでいる女子生徒を何人も見た。彼女たちは今ごろ、〝八番目の不思議〟の謎解きをしているのかもしれない。
「ああ……ええねん、既にクラスの奴からいっぱいもらってるし。逃げるついでに練習しようと思って」
「──かわいそう」
 近いうちにリコーダーのテストが予定されているので、晴大はその練習をしていた。楓花もそれに〝音が違う〟とか〝リズムがおかしい〟とか口を出さずに聴くことができた。
「もう大丈夫なんじゃない?」
「そうなん? もしテスト失敗したら、おまえ──長瀬さんのせいにするからな」
「なんでそうなんの」
 宿題をしながら晴大のリコーダーを聴いていると、ときどき遠くのほうでバタバタという足音と共に、晴大を探す女子生徒の声が聞こえた。息を潜めて聞いていると、こんなところにいるわけがない、と言って体育館のほうへ探しに行った。
「私、そろそろ帰るわ。一緒にいるとこ見られても嫌やし」
「ああ──俺も帰ろ」
「待って、時間ずらして」
「良いやん別に」
「良くないわ、ただでさえ渡利君は人気やのに、今日一緒におるとこ見られたら、私が困る」
「……あっそ」
 不服そうに頬を膨らませる晴大を置いて、楓花は先に学校を出た。同級生たちから逃げる必要はないけれど、なんとく隠れるように端を歩いてしまう。
 一人で歩いていると、しばらくしてから二人乗りの自転車が追い越していった。後ろ姿から分かったことは、同じ学校の男子生徒が二人、一人はヘルメットを被っているけれど、後ろに乗っている人はノーヘルだ。自転車は楓花を追い越して少ししてから止まり、二人とも振り返った。運転していたのは丈志で、ノーヘルは晴大だった。
「長瀬さん、余ってるチョコある? 今日はバレンタインやろ?」
「──あるわけないやん。禁止って先生も言ってたし」
「真面目やなぁ……。あ、渡利、おまえどうせいっぱい貰ったんやろ? 一個くらいくれよ」
「ん? ……はい」
「サンキュー。これ、誰から?」
「忘れた。クラスの誰か」
「ふぅん。おし、じゃ行こか、長瀬さん、また明日な」
 丈志は楓花に挨拶してから自転車を漕ぎだした。
 晴大は少しの間だけ楓花を見ていたけれど、何も言わなかった。それがどういう意味なのかは分からなかったけれど、おそらく〝リコーダーのことは言うな〟という合図だ。晴大は自転車のスピードが出てきたのと同時に前を向いて、それからは一度も振り返らなかった。
「あー悔しい、昨日、渡利君に渡せんかった!」
 翌日の始業前、晴大にチョコレートを渡せなかった、と悔しがる女子生徒が何人もいた。ちなみに舞衣は何も行動を起こさなかったらしい。
「そうなん? 俺、あいつと一緒に帰ったで」
 丈志が話の輪に入ると、女子生徒たちは〝晴大はどこにいたのか〟と丈志に聞いた。
「知らんけど、学校出てから見かけたで。そうそう、あいつ乗っけて走ってたら、長瀬さんも歩いてたわ」
「え……楓花ちゃん、渡利君にあげたん?」
「ううんっ、誰にもあげてない。そんなつもりなかったし」
「そやねん、残り物でもあったらもらおうと思って声かけたけど、何も持ってなかったわ」
 代わりに晴大がクラスメイトからたくさん貰って鞄が膨らんでいたのでひとつ貰った、と丈志は笑った。晴大はノールックで掴んでいたので貰った相手を全く意識していないらしいと言うと、女子生徒たちは複雑そうな顔をしていた。
 楓花も本当は、心の奥底では晴大にあげようか迷っていたけれど、行動に移すことはできなかった。おそらく学校一のイケメンの彼と仲良くできていることは嬉しかったし、好きになっていない、とも言い切れなかった。それでも彼の人気のことを考えると上手くいった場合の周りの反応が怖くて、△△のように断られた場合に同じクラスになるのも辛くて、自分の気持ちには蓋をしてしまった。
「あらそう……。伝えとくわ。ありがとうね」
 晴大にリコーダーを教えるのも、バレンタインの日を最後にやめた。これ以上に続けていると本気で好きになってしまいそうだったし、晴大は本当にちゃんと吹けるようになった。きちんと話はできなかったけれど、楓花はそれで良いと思った。
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