Pure─君を守りたかったから─

40.素直に ─side 晴大─

 音楽室でのことがなければ、きっと楓花とは仲良くならなかった。
 中学に入学した頃、楓花とは通学路や廊下ですれ違っていたかもしれないけれど、晴大の記憶には残っていなかった。だから音楽室で会ったとき、何年なのかさえ分からなくて聞いた。
 いつの間にか楓花のことを好きになり、けれど告白するチャンスもないまま卒業してしまった。悶々とした高校生活のあと大学生になって奇跡的に再会し、ようやく付き合えることになった。今まで言えなかった想いを全て打ち明け、両片思いしていたことを知った。そして──社会人になって四年後、二十代のうちに入籍した。将来的には実家に戻らないといけないけれど、今はまだ二人でマンションで暮らしている。
「楓花、これ、親父から」
「ん? 社員証? 私の?」
「名前、変わったやろ?」
 楓花はスカイクリアの社員ではないけれど、店での支払いを割引するために社員証を渡していた。名前の打刻が〝FUUKA NAGASE〟だったので、父親が新しく〝FUUKA WATARI〟のものを用意してくれた。
「そっか……渡利……。ホテルの名札はまだ長瀬やからなぁ」
「早く慣れろよ? 結婚式でまだ旧姓使うし、ややこしいけどな」
 準備や仕事の都合で、結婚式は入籍よりも半年ほど後になってしまっていた。式場との打ち合わせには渡利家と長瀬家で話をするので、楓花にはまだ旧姓のほうが馴染むのかもしれない。もちろん、既に入籍して楓花の姓は変わっているので、晴大としては一刻も早く〝渡利楓花〟に慣れてもらいたいけれど。
「前撮りしたし、招待状も送ったし……あとは体調管理かな」
「そうやな。……俺まだいつ連休取れるか分からんから、新婚旅行はもうちょい後になってまう……ギリシャと、そのへんの近くの国と……。年に一回は旅行したいな。近くならいつでも行けるけどな」
「旅行……そうやなぁ……」
「どうした? 楓花、楽しみにしてたよな? ギリシャ行きたいって」
 楓花は旅行が好きだと言っていたし、ギリシャに行くのも大学のときから希望していたと聞いた。けれどいま晴大の隣にいる楓花は、旅行することを迷っているように見えた。
「旅行、しばらく無理かも」
「なんで?」
「結婚式の衣装も、変更せなあかんかも」
「なんで? 衣装変更って、楓花、太っ……て、ない……いや……肉ついたか……?」
 改めて楓花をよく見ると、気のせいかふっくらしてきたようにも見えた。楓花が何か言おうとしているので、晴大はじっと待った。
「たぶんやけど──、妊娠してる」
「……マジか……えっ、お、俺の子、よな……やったぁ……!」
 晴大は力いっぱい、けれどお腹の負担にならないように楓花を抱き締めた。今までは悲しいときでさえほとんど涙は出なかったのに、嬉しすぎて泣いてしまった。
「ちゃんと病院で診てもらわな分からんけど……。体調あんまり良くなくて、ごめん、だから──拒否してた」
「そういうことやったんやな。嫌われてなくて良かった」
 晴大が楓花を抱きたくなったとき、楓花は大抵は受け入れてくれていた。それが少し前から拒否されることが続いたので、気持ちが冷めてしまったのかと心配していた。晴大は本音を言えばつまらなかったけれど、それ以上に楓花の妊娠を喜んでいた。
 楓花はウエディングプランナーと相談し、結婚式でのドレスをお腹を締め付けないものに変更した。転んではいけないので、靴もヒールの低いものにした。妊娠していることは式の司会者が言うことになったけれど、性別はまだ分からなかったので大がかりなサプライズはせずに、『生まれてからの報告を待て』ということにした。
 晴大と楓花は中学と大学が一緒だったので、友人もほとんどが二人を知っていた。
「渡利ぃ、やったな!」
「楓花ちゃん、落ち着いたらいろいろ聞かせて!」
 丈志と舞衣は今も順調に付き合っているようで、
「俺もやっと、長瀬さんのこと諦められる良い子に出会ってん」
「──それは、良かったな」
 悠成も近いうちに、その彼女へのプロポーズを考えているらしい。
 晴大と楓花が仲良くなるきっかけを作った佐藤も招待したけれど出席はできないと返事があったので、楓花が安定期に入ってから挨拶に行くことにしている。
「楓花ちゃん、写真いっぱい撮ったから送る!」
「ありがとう。あっ、翔琉君、髪が! 黒くなってる!」
「だって結婚式やし、彩里が、黒いほうが格好いいって言うから……。おい渡利、楓花ちゃんのこと、任せたぞ。泣かすなよ」
「ふん。誰が泣かすか」
 翔琉と彩里も、揃って元気な顔を見せに来てくれた。晴大は翔琉には冷たい顔をしたけれど、本当は、祝ってもらえることがとても嬉しかった。

 ──それから数ヵ月が経って、楓花は無事に男の子を出産した。晴大は仕事を休んで立ち会い、妊娠が分かったとき以上に感動して泣いてしまった。ちなみに楓花はホテルの仕事を辞めて、いまは専業主婦だ。
「可愛いな……。俺、楓花との子供できるって、全然想像もしてなかった」
「ははっ、私も。……名前、前に考えてくれてたやつで良いかなぁ?」
「……そうやな。凌央(りょう)。おまえの名前は、凌央」
 どんな困難でも乗り越えられるように。
 グループの中心でいられるように。
 リーダーになれ、とまでは言わないけれど、そんな願いを込めて名前をつけた。楓花と晴大の子供なら、きっと大丈夫だろう、と二人とも信じていた。
 楓花は産後を実家で過ごし、数ヵ月後にマンションに戻ってきた。
「黙ってたんやけど、実は……海外に日本食レストラン出す話があってな」
「えっ、どこに?」
「まだ決まってない。親父も一緒に考えてくれてるんやけど……候補の中に、ギリシャがあんねん」
「それ、決定!」
 楓花は嬉しそうにしているけれど、候補に上がっているだけで確定ではない。
「だから──凌央がもうちょっと大きくなってからになるやろうけど、新婚旅行のついでに視察行きたくてさ」
「やったぁ」
「でも、せっかくの新婚旅行やのに……仕事の話って、嫌やろ?」
「ううん。私は晴大と同じ世界を見たい。しばらくは無理やろうけど、晴大の仕事を手伝いたい。だから……嫌じゃない」
 楓花はいつも、晴大のことを考えて話をしてくれる。それは楓花の意見を潰しているのではなく、本心がそうなので晴大にとっては良いことでしかない。リコーダーのことは未だに同級生には話していないし、たまに渡利家で両親に会うときもいつも晴大を褒めてくれる。大学で同じ学科だったのもあって、本当にこれからの海外との仕事を手伝ってもらえそうな気がしている。
 今は凌央にかける時間が多くなっているけれど、それでも晴大が嫉妬しない程度には楓花は晴大との時間も大切にしてくれた。
「凌央の世話とかで疲れてるやろ? 休んでて良いのに」
 晴大の帰宅が遅い日でも、楓花は起きて待っていてくれた。晴大はネクタイを外しながら、寝ている凌央の頬を撫でた。
「待ちたいから待ってんの。晴大に──大事なこと教えてもらったから」
「……俺、なに教えた?」
「言ってたやん、大学のとき。自分を(さら)せ、って」
「──桧田のときのやつか」
「あれとはちょっと違うけど、私は晴大を支えたい。凌央もやけど、私には晴大が大事やから、できることはしたい。無事に帰ってくるの見たい。それくらい、晴大が好き。あの頃から、ずっと」
「くっそ、あの頃の俺、強引にいけよな……」
 晴大が顔を歪めると、楓花が優しく抱きしめてくれた。晴大は、これからも楓花と凌央を守り続けると誓った。
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