「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。
 俺はノートパソコンを持って来て、藍沢さんのそばで広げた。

 頭の中のイメージを文字に落とし込んでいく。次々とイメージが膨らんで来て、指が止まらなくなる。いい調子だ。デビュー二作目の『アオの教室』を書いた時のことを思い出す。深夜枠の連続ドラマで、新人の俺にとって大きな仕事だった。そして、ありがたいことに回を重ねるごとに視聴率が上がっていった。それが嬉しくて、俺は全十話の脚本を夢中で書いた。

『落としましたよ』

 ふと、俺のペンを拾ってくれた女子高生を思い出した。

 取材で訪れた海浜公園近くにある高校の制服を着た子だった。眼鏡をかけていて真面目そうな子だった。何となく、雰囲気が藍沢さんに似ている気がする。まさか藍沢さんだったりして。

 安らかな寝顔を浮かべる藍沢さんに視線を向けると、「小早川先生」と小さな声で呼ばれた。

「藍沢さん、起きた?」
「うーん」

 藍沢さんが寝返りをうち、再び安らかな寝息を立てる。
 俺を呼んだのは寝言だったようだ。寝ながらでも俺を読んでくれて嬉しい。

 よし、過去で出会った男女が再会する恋愛ドラマにしよう。藍沢さんの顔を見てそう思った。
 方向性を決めたら、さらに調子よく物語が進んでいく。そして書き上げたものを読み返して笑ってしまった。それは半年前、海浜公園で出会った女性との再会の物語になっていた。

 記憶をなくした男はずっと女性を探すが、実はその女性は近くにいたというオチだ。
 俺の願望が百パーセント入っている。まあ、いいか。物語っていうのは祈りに似た所があるから。

 藍沢さんの寝顔を見ながら、あの子と同一人物だったら面白いなと思った。

 そんことはあるわけないか。
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