「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。
 シナリオに没頭していて、仕度がまだだ。

「先に行ってて。後で行くから」

 場所はいつもの海鮮居酒屋『一瀬』だ。

「お父さんがもう着いたみたいだから、先行ってるわよ」
「うん」

 母が出かけ、私は慌ててクローゼットを開ける。

 今日は家にいたので、毛玉パーカーを着ていた。さすがにこのままでは行けない。せっかく外に出るんだし、少し頑張ってみようかな。
 ピンクのワンピースを買いに行った時、シナリオ教室に通う用の服も何着か買っていた。首元が広めに開いたパフスリーブの水色のカットソーにジーンズを合わせた。

 普段アイメイクはしないけど、アイラインを引いて、ピンク色のアイシャドウを塗り、まつ毛はビューラーでクリンとさせて、マスカラを塗った。

 お見合いの時にメイクアイテムも新しく揃えたから使ってみたくなった。
 完成した顔はまあまあ可愛い。仕上げに髪を軽くブローして支度が終わる。スマホをショルダーバッグに入れて家を出た。

 三十分遅れてしまったけど、父と母はそれなりに楽しくやっているだろう。うちの両親は仲がいいから。加瀬さんと付き合い始めた頃、私もそんな仲のいい夫婦になれたらいいなと思っていた時期があった。

 現実は上手くいかない。そんなことを考えながら、一瀬まで歩いた。
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